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青春病。  作者: 翠吉
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28/63

ひとりじゃない

翌日。

「お願いします!」

体育館にいつもの声が響く。

昨日の帰り道が頭をよぎる。

『ちゃんと見ます。』

私は小さくノートを握りしめた。

練習はいつも通り進んでいく。

蓮先輩も普段と変わらない笑顔でプレーしていた。

ゲーム形式も終わり、片付けが始まる。

「お疲れー!」

「また明日!」

部員たちが次々と体育館を後にしていく。

私もボトルを片付けようとした、その時だった。

「蓮。」

神谷先輩が呼ぶ。

「……ん?」

「残れ。」

短い一言だった。

蓮先輩は少し驚いたような顔をしたが、小さく頷く。

「分かった。」

神谷先輩は私を見る。

「橘。」

「はい。」

「お前も。」

「……はい!」

神谷先輩はボールを拾う。

「一本ずついく。」

「おう。」

トスが上がる。

蓮先輩が跳ぶ。

打つ。

また一本。

さらに一本。

神谷先輩は何も言わない。

ただ、黙ってトスを上げ続ける。

私はその様子をノートへ書き留めていた。

しばらくして。

「休憩。」

神谷先輩が初めて口を開いた。

「橘。」

「はい。」

「水。」

「分かりました。」

私はボトルを取りに部室へ向かう。

開いたままのノートだけが床へ置かれていた。

蓮先輩は何気なく、そのページへ目を落とす。

『8-6 赤五段目』

『14-11 赤五段目』

ページをめくる。

『21-20 赤五段目』

『23-23 赤四段目』

『24-24 赤四段目』

その手が止まった。

「……。」

私はボトルを持って戻ってくる。

「あっ……。」

思わず声が漏れた。

「すみません!」

「勝手に見てるみたいになっちゃって……。」

蓮先輩はゆっくり首を横に振った。

「違う。」

もう一度ノートを見る。

「全部。」

「見てくれてたんだな。」

私は昨日の帰り道を思い出す。

『ちゃんと見ます。』

私は小さく笑って頷いた。

「約束しましたから。」

蓮先輩は少しだけ照れくさそうに笑う。

「そっか。」

その時だった。

「蓮。」

神谷先輩が静かに口を開く。

「休憩終わり。」

蓮先輩はノートをそっと閉じ、私へ返した。

「ありがとな。」

その一言は、昨日より少しだけ素直だった。


体育館には、ボールの弾む音だけが響いていた。

神谷先輩はボールを拾うと、蓮先輩へ向き直る。

「続ける。」

「……ああ。」

私は少し離れた場所でボールを拾いながら、二人を見つめていた。

神谷先輩がトスを上げる。

蓮先輩が助走へ入る。

一歩。

二歩。

三歩。

バシッ。

「もう一本。」

短い声。

またトスが上がる。

一本。

また一本。

何本打っても、神谷先輩は何も言わない。

蓮先輩も何も言わない。

ただ、体育館にボールの音だけが響いていた。

しばらくして。

神谷先輩がボールを抱えたまま口を開く。

「蓮。」

「……ん?」

「お前。」

「一人で抱えすぎだ。」

蓮先輩は苦笑いを浮かべる。

「……。」

「怪我したのは、お前。」

「怖いのも、お前。」

「でも。」

神谷先輩は一歩近付く。

「戦うのは、お前一人じゃない。」

体育館が静まり返る。

「守屋がいる。」

「水谷がいる。」

「監督がいる。」

少し間を置く。

「橘もいる。」

私は思わず顔を上げた。

神谷先輩は私を見ることなく続ける。

「周り見えてるか。」

蓮先輩は俯いたまま、小さく息を吐く。

「……見えてなかった。」

神谷先輩はボールを蓮先輩へ投げる。

パシッ。

「部員全員がお前を支えてる。」

「それを忘れるな。」

蓮先輩はボールを見つめる。

その手に少しだけ力が入る。

ゆっくりと体育館を見渡した。

ネットを片付けている守屋。

モップを掛ける水谷。

ボールを拾う私。

監督は腕を組み、静かにその様子を見守っている。

そして目の前には、何度でもトスを上げ続ける神谷先輩がいた。

蓮先輩は小さく笑う。

「……そうだったな。」

「忘れてた。」

神谷先輩はネットの向こうへ戻る。

「一本。」

その一言だけだった。

蓮先輩は深く息を吸う。

そして、少しだけ肩の力を抜いて助走へ入った。

「一本。」

その一言だけだった。

蓮先輩は深く息を吸う。

ゆっくりと助走へ入る。

神谷先輩のトスが上がる。

一歩。

二歩。

三歩。

踏み切る。

バシッ。

鋭い音が体育館に響く。

蓮先輩は静かに着地した。

「……。」

自分の足元を見つめる。

そして、小さく笑った。

「思い出さなかった……。」

その声は、誰に言うでもない独り言だった。

私は思わずアンテナへ目を向ける。

(……赤四段目半。)

昨日より高い。

でも、まだ本来の高さじゃない。

私は静かにノートを開いた。

『特訓 一球目 赤四段目半』

書き終えると、神谷先輩が私の手元へ目を向けた。

「どうだ。」

「……まだ少し低いです。」

私は正直に答えた。

神谷先輩はノートを一度だけ見て、小さく頷く。

「十分だ。」

「え……?」

私は思わず聞き返す。

神谷先輩は蓮先輩から目を離さない。

「今日は高さじゃない。」

「前を向けた。」

その一言だった。

私はもう一度ノートを見る。

『特訓 一球目 赤四段目半』

まだ戻っていない。

でも。

確かに、一歩前へ進んでいた。

神谷先輩はボールを拾い上げる。

「もう一本。」

蓮先輩は少しだけ笑った。

「……おう。」

今度は迷いなく助走へ入った。


それから一週間。

放課後になると、体育館にはいつも三人だけが残った。

神谷先輩は黙ってトスを上げ続けた。

蓮先輩は黙って跳び続けた。

私は、その全てをノートへ書き続けた。

『赤四段目半』

『赤四段目半』

『赤四段目四分の三』

『赤五段目』

少し上がっては、また少し落ちる。

順調な日もあれば、思うように跳べない日もあった。

それでも、一つだけ確かに変わったことがある。

蓮先輩は、もう怪我をしたあの日を思い出さなくなっていた。

「もう一本。」

神谷先輩の声が響く。

「おう。」

その返事も、最初の頃よりずっと力強かった。

私はノートを閉じる。

きっと。

もう、大丈夫。

そして一週間後。

練習試合当日。

体育館には、いつも以上の緊張感が漂っていた。

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