もう一度。跳ぶために
――新人戦県大会決勝。
二十四対二十三。
マッチポイント。
体育館中に歓声が響いていた。
「一本!」
ベンチから声が飛ぶ。
観客席も総立ちだった。
俺はゆっくりと助走の位置まで下がる。
コートの向こうでは、凛太郎がボールの下へ入っていた。
(来る。)
何年も一緒にプレーしてきた。
だから分かる。
この場面なら、絶対に俺へ上げる。
助走へ入る。
一歩。
二歩。
三歩。
凛太郎のトスが、寸分の狂いもなく上がる。
一番高く。
一番打ちやすい場所へ。
(このトスなら決まる。)
そう思った。
いや。
そう信じて跳んだ。
今までで、一番高く。
腕を振り抜く。
ドンッ。
確かな手応え。
ボールは相手コートへ突き刺さる。
「よし!」
その瞬間だった。
着地。
右足が床につく。
ぐにゃり。
嫌な感覚が足を走る。
「……っ!」
膝が崩れる。
体を支えられない。
そのまま床へ倒れ込んだ。
ドサッ。
さっきまで響いていた歓声が、一瞬で消えた。
「蓮!」
凛太郎の声。
立ち上がろうとする。
立てない。
右足に力が入らない。
「大丈夫か!」
守屋の声。
「蓮!」
水谷の声。
「触るな!」
監督の声が飛ぶ。
周りは何かを話している。
でも。
何も聞こえなかった。
目に映るのは、体育館の床だけ。
(終わった。)
その言葉だけが頭をよぎる。
――病院。
「手術は無事に終わりました。」
医師は静かにカルテを閉じた。
「リハビリを続ければ、競技復帰は十分可能です。」
その言葉に、母は安堵したように息を吐く。
監督も、小さく頷いた。
でも。
俺だけは笑えなかった。
(また、跳べる。)
その言葉よりも。
あの着地の感覚だけが、頭から離れなかった。
――「跳べ。」
低い声が聞こえる。
ゆっくり目を開ける。
目の前には、ボールを持った凛太郎が立っていた。
「もう一本。」
現実へ引き戻される。
体育館には、ボールを弾く音だけが静かに響いていた。
「もう一本。」
凛太郎がボールを手に取る。
蓮は静かに息を吐き、助走の位置へ下がった。
体育館には二人しかいない。
夕日がコートを赤く照らしていた。
「来い。」
トスが上がる。
蓮は助走へ入る。
一歩。
二歩。
三歩。
踏み切る。
ボールを打ち抜く。
「違う。」
凛太郎はすぐにボールを拾う。
「もう一本。」
蓮は苦笑いを浮かべた。
「まだやるのか。」
「当たり前だ。」
再びトスが上がる。
助走。
一歩。
二歩。
三歩。
踏み切る。
「違う。」
蓮はボールを抱えたまま俯いた。
「……何が違う。」
少しだけ苛立った声だった。
凛太郎は迷わず答える。
「お前が一番分かってる。」
静かな体育館。
蓮は何も言い返せない。
「決まったかどうかじゃない。」
「跳んでない。」
その言葉に、蓮の肩が小さく震えた。
「……。」
「お前は無意識に高さを捨ててる。」
「違うか。」
蓮は俯いたまま笑う。
「全部見えてんだな。」
「当たり前だ。」
凛太郎はボールを持ち直す。
「何年お前に上げてきたと思ってる。」
蓮は何も言えなかった。
「誰より分かる。」
「お前の跳び方も。」
「お前のタイミングも。」
「全部。」
蓮は唇を強く噛む。
「……怖ぇんだよ。」
小さな声だった。
「また、あの着地になるんじゃねぇかって。」
「踏み切る瞬間、勝手に体が止まる。」
「頭じゃ跳べるって分かってる。」
「でも。」
「足が動かねぇ。」
体育館が静まり返る。
凛太郎は何も驚かなかった。
ただ静かに蓮を見つめる。
「それでも跳べ。」
蓮は苦笑した。
「だから、それができねぇんだよ。」
「できる。」
即答だった。
「お前ならできる。」
蓮は顔を上げる。
凛太郎の目は、一度も逸れていなかった。
「俺は待つ。」
「何回でも上げる。」
「お前が本気で跳ぶまで。」
蓮はしばらく黙っていた。
やがて、小さく笑う。
「……相変わらず嫌なセッターだ。」
凛太郎は少しだけ口元を緩める。
「知ってる。」
蓮はボールを床へ置いた。
「今日は終わりにしよう。」
そう言って歩き出す。
体育館の出口まで来たところで、一度だけ立ち止まった。
「凛太郎。」
「なんだ。」
蓮は前を向いたまま、小さく笑う。
「ありがとな。」
そう言い残し、体育館を後にした。
夕日に照らされた体育館には、凛太郎だけが残っていた。
彼は静かにボールを拾う。
「早く戻ってこい。」
誰にも聞こえないほど小さな声が、静かな体育館に溶けていった。




