信頼の証明
翌日。
放課後の体育館。
「お願いします!」
いつも通り練習が始まる。
私は昨日のことが頭から離れなかった。
蓮先輩が、一人になると跳べなくなること。
水谷先輩が『誰にも言うな』と言ったこと。
何も知らないふりをしながら、私はいつも通りボールを運んだ。
「ゲーム。」
監督の声が響く。
部員たちがコートへ散る。
私はスコアボードの前へ立った。
試合が始まる。
蓮先輩は昨日までと変わらなかった。
笑っている。
声も出している。
スパイクも決まる。
守屋先輩も何度も笑顔で拳を合わせていた。
(やっぱり普通に見える……。)
でも。
私はもう知っている。
あの笑顔の裏を。
試合は終盤。
二十四対二十四。
最後の一本を取った方が勝ちだった。
守屋先輩が拾う。
神谷先輩がボールの下へ入る。
「蓮!」
迷いなくトスが上がる。
蓮先輩が助走へ入る。
一歩。
二歩。
三歩。
ほんの一瞬。
私は目を見開いた。
昨日と同じだった。
踏み切る直前。
体が止まる。
跳ぶ。
でも、高さが足りない。
ボールはブロックに触れ、こちらのコートへ落ちた。
ピーッ。
ゲームセット。
体育館が静かになる。
「ありがとうございました!」
部員たちが整列する。
誰も責めない。
蓮先輩も笑っていた。
「悪い悪い。」
その笑顔が、昨日より苦しそうに見えた。
練習が終わり、片付けが始まる。
私はボールをケースへ戻していた。
その時だった。
「蓮。」
神谷先輩が静かに呼ぶ。
蓮先輩は足を止めた。
「少し付き合え。」
「……おう。」
二人は体育館の奥へ歩いていく。
私は思わずその背中を見つめた。
守屋先輩は気付いていない。
部員たちも、それぞれ帰る準備をしている。
水谷先輩だけが、小さく息を吐いた。
私は昨日と同じように体育館を後にした。
帰り道。
夕日が長い影を作っている。
ふと後ろを振り返る。
体育館の窓から、ボールが床を叩く音が聞こえた。
バンッ。
少し間を置いて、また一回。
バンッ。
私は立ち止まる。
昨日までなら、何も思わなかった音。
でも今は違う。
あの体育館で、何が行われているのか。
私はもう、少しだけ知っていた。
体育館には、ボールを打つ音だけが響いていた。
バンッ。
バンッ。
神谷先輩がボールを持つ。
向かいには蓮先輩。
「来い。」
短い一言。
トスが上がる。
蓮先輩が助走へ入る。
一歩。
二歩。
三歩。
スパイク。
「違う。」
神谷先輩はすぐにボールを拾う。
もう一度。
「来い。」
トス。
助走。
スパイク。
「違う。」
蓮先輩が苦笑する。
「お前、今日は厳しいな。」
神谷先輩は表情を変えない。
「もう一本。」
「おいおい。」
蓮先輩は笑いながら頭をかく。
「今日は勘弁してくれ。」
神谷先輩は黙ってボールを持つ。
そして、もう一度だけトスを上げた。
蓮先輩が跳ぶ。
ボールは決まる。
それでも。
「違う。」
蓮先輩の笑顔が少しだけ消えた。
「何が違う。」
神谷先輩は真っ直ぐ蓮先輩を見る。
「分かってるだろ。」
体育館が静かになる。
蓮先輩は視線を逸らした。
「……分かってる。」
「なら跳べ。」
その一言だった。
蓮先輩は小さく笑う。
「簡単に言うなよ。」
「簡単だ。」
神谷先輩の声は変わらない。
「お前なら跳べる。」
蓮先輩は何も答えない。
神谷先輩は続ける。
「今日の最後。」
「お前、逃げただろ。」
その瞬間。
蓮先輩の表情が変わった。
「逃げてねぇ。」
笑顔は消えていた。
「逃げた。」
「逃げてねぇって言ってんだろ。」
「俺のトスから。」
その一言で。
蓮先輩の拳がゆっくり握られる。
「……。」
神谷先輩は一歩も引かない。
「お前なら届く。」
「届かせろ。」
「それがお前の仕事だ。」
蓮先輩は唇を噛む。
「……うるせぇ。」
小さな声だった。
「跳べねぇやつの気持ちなんか、お前には分かんねぇよ。」
神谷先輩は即座に返す。
「分かる必要はない。」
蓮先輩が顔を上げる。
「跳べ。」
それだけだった。
沈黙が流れる。
蓮先輩は神谷先輩を見つめる。
やがて、小さく笑った。
その笑顔は、今までの明るい笑顔とは違っていた。
どこか悔しそうで。
どこか苦しそうだった。
「……ほんと、お前嫌いだ。」
神谷先輩はボールを拾う。
「知ってる。」
「でも。」
神谷先輩は蓮先輩へボールを投げた。
「俺は、お前が一番信頼できる。」
蓮先輩はボールを受け取る。
その手は少しだけ震えていた。
体育館には、二人だけが残っていた。




