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青春病。  作者: 翠吉
2/7

速さに触れた日

 ――次の日

体育館のドアの前で、一瞬だけ足が止まる。

(……見学だよね)

軽く息を吸って、中に入る。

昨日と同じ音。

ボールが弾む音と、シューズが床を擦る音。

「お、来たじゃん」

水谷が気がついて、手を軽くあげた。

「今日はとりあえず見ててもらって、ボール拾いとか簡単なのは一緒にやろっか」

「雰囲気とか感じてもらえれば」

「はい……」

少しだけ緊張しながら、壁際に立つ。

コートの中では既に練習が始まっていた。

速い。

昨日よりも、ずっと。

「……バレー、見たことある?」

隣から声。

振り向くと、凛太郎が立っていた。

「え……」

一瞬、言葉に詰まる。

「……あ、去年の夏の、オリンピックで少しだけ」

「テレビで」

「そか」

短い返事。

「じゃあルールとかは何となくわかるか」

「サーブ入って、繋いで……みたいな」

「はい、なんとなくは」

コートを見る。

速すぎて、ボールを追えない。

「……全然、追いつかないです」

思わずこぼれる。

「最初はそんなもん」

淡々とした声。

でも、少しだけ優しかった。

「そのうち、見えるようになる」

その言葉に少しだけ視線をあげる。

凛太郎は、もうコートを見ていた。

「……」

もう一度、コートを見る。

さっきより、ほんの少しだけ。

動きが、分かる気がした。

ボールを拾うだけなのに、余裕なんて無かった。

コートの外を走る。

転がったボールを追いかける。

その間にも――

バンッ、と重い音。

振り向く。

もう次のラリーが始まっている。

(はや……)

息が少しずつ上がる。

「次!」

短い声。

誰かが叫ぶ。

トスが上がる。

高い。

速い。

――叩きつける音。

空気が震える。

思わず足が止まる。

「止まんな」

低い声。

すぐ近く。

ビクッとして、また走り出す。

(……見てる場合じゃない)

転がったボールを拾う。

抱えて端に置く。

 ――でも

目が、勝手にコートにもどる。

跳ぶ高さ。

落ちる速さ。

繋がる動き。

全部が別の世界みたいで。

「……つ」

気づけば立ち止まっていた。

その瞬間。

ボールが、こっちに弾かれてくる。

「危な!」

とっさにしゃがむ。

ボールが、すぐ横を通り過ぎた。

「ちゃんと、見とけ」

また、あの声。

顔をあげると、

凛太郎がこっちを見ていた。

「……すみません」

小さく返す。

「別に」

興味無さそうに、視線を外す。

でも――

「当たったら、危ねぇから」

一言だけ、残して。

コートに戻っていく。

「……」

胸の奥が、少しだけざわつく。

怖いのか。

それとも――

(……すごい)

もう一度コートを見る。

さっきよりも近くで感じる。

音も、速さも、空気も。

全部リアルで。

(……この中に、いるんだ)

ボールを握る手に、少しだけ力が入る。

「ボール」

不意に声が飛ぶ。

顔をあげる。

凛太郎が、こっちを見ていた。

「次、こっち」

「あ、はい」

慌ててボールを投げ渡す。

急だったせいか、少し軌道がズレてしまった。

「あ……」

ネットに当たって、落ちる。

一瞬、空気が止まる。

「す、すみません」

思わず声が、小さくなる。

「大丈夫、もう1回」

すぐに返ってきた。

「……はい」

もう一度ボールを投げる。

今度は――

真っ直ぐ届いた。

「……よし」

短い一言。

それだけ。

でも。

さっきより、胸の奥が軽くなる。

「次」

もう、視線はコート。

完全に、練習の一部みたいに扱われてる。

「はい」

反射で返事をする。

足が自然と向く。

さっきよりも、迷わずに。

ボールを拾って、運んで、渡して。

その繰り返し。

でも――

「橘」

「……っ、はい」

不意に名前を呼ばれ、声が裏返ってしまった。

「さっきの位置でいいよ」

振り向かないままの声。

でも、ちゃんと見ている。

(……今)

名前を呼ばれ、だけなのに。

心臓の鼓動が、速くなる。

「もう、1本行くぞ」

レシーバーが構える。

鋭い音が体育館に響く。

「遅い」

一言。

一瞬で、空気が変わる。

「今の取れただろ」

責めてるわけじゃない。

「すみません!」

「次」

間髪入れない。

もう一度、同じ形。

同じコース。

同じ速さ。

――でも

今度は、上がった。

「……ナイス」

小さく、短く。

それだけ。

でも、その一言で、

コートの空気が少し、緩む。

「もう、1本いくぞ」

コートの空気が、また締まる。

音が弾ける。

走る。

拾う。

渡す。

ほんの少しだけ。

自分がこの場所に『いる』気がした。


笛の音が、体育館に響く。

「今日は、ここまで」

その一言で、

張り詰めていた空気が一気に緩む。

座り込む人。

水を飲む人。

笑い声も、少しだけ混ざる。

(……終わった)

その場に立ったまま、少しだけ息を吐く。

気づかないうちに、肩に力が入っていた。

「おつかれー!」

後ろから、明るい声がした。

振り向くと、葵がいた。

「どうだった?」

「……凄かった」

それしか出てこない。

「でしょ?」

楽しそうに笑う。

「最初は、みんなそう言うよ」

「慣れるとさ、あれ普通になるから」

「……え」

思わずコートを見る。

さっきまでの光景。

速さも、音も、全部。

(あれが……普通?)

「無理……」

小さくこぼすと、

葵がくすっと笑う。

「まぁ最初はね」

「でも結衣向いてそう」

「え?」

「なんか、ちゃんと見てたし」

「……そうかな」

自信なんて、まだ全然ない。

でも――

(……もう1回、みたい)

そう思っている自分がいる。

「橘」

低い声。

振り向く。

凛太郎が、すぐ近くに立っていた。

「帰り、気をつけてな」

それだけ。

本当にそれだけ言って、

そのまま通り過ぎていく。

「……はい」

少し、遅れて返事をする。

背中が遠ざかっていく。

無駄な言葉はひとつもない。

――でも

(……覚えられてる)

名前も。

位置も。

さっきのミスも。

全部。

ちゃんと、見られてた。

「ほらほら、ニヤニヤしてる」

横から葵が突っついてくる。

「にやけてない」

「いや、してるって」

笑いながら、言う。

「まぁ、でも」

少しだけ、真面目な顔になる。

「いいじゃん、それ」

「ちゃんと、入ってる顔してたよ」

「……入ってる?」

「うん」

コートを見る。

もう、誰もいない場所。

さっきまでの音が、残ってる気がする。

(また、来たい)

気づけば、そう思っていた。


「帰るかあー」

葵が伸びをしながら言う。

「うん」

体育館を出る準備する。

シューズの音も、さっきより静かで。

さっきまでの空気が、嘘みたいだった。

その時――

「おつかれさまでーす」

軽い声。

振り向くと、守屋が歩いてきていた。

「今日見学してた、橘ちゃんっすよね?」

「あ、はい」

少しだけ背筋が伸びる。

「どうでした?うちの部」

ニヤッと笑う。

「……すごかったです」

「でしょ〜」

すぐに返ってくる。

「まぁ、おれのおかげで回ってるんで」

「嘘つけ」

横から別の2年が、突っ込む。

「お前今日、レシーブ弾いてたろ」

「あれは、あえてだから」

「どこかだよ」

軽く笑いが起きる。

さっきまでのピリッとした空気とは、全然違う。

(……同じ、人たちだよね?)

思わず、見比べてしまう。

「で、マネやる感じ?」

守屋が、少しだけ顔を近づける。

「え……」

一瞬、言葉に詰まる。

(……やるって、言ったけど)

でも、まだ少しだけ実感なくて。

「まぁ、無理にとは言わないっすけど」

「うちは、ガチなんで」

軽い口調のまま。

でも、その言葉はちゃんと重かった。

「その代わり」

ニッと笑う。

「やるなら、ちゃんと面倒みますよ」

その瞬間。

ふっと、さっきまでのコートの光景が浮かぶ。

あの速さ。

あの空気。

「……はい」

小さく、頷く。

守屋が、少しだけ目を細める。

「いいっすね」

「よろしくっす、マネージャーさん」

「ちょっと、まだ決定じゃないから」

葵が横から口を挟む。

「え、そうなん?」

守屋が笑う。

「まぁでも時間の問題っしょ」

軽く言って、

「じゃ、おつかれっす」

手のひらをひらひら振って去っていく。

「……なんか」

ぽつりと呟く。

「雰囲気違うね。」

「でしょ」

葵が笑う。

「でも、あれが普通だよ」

「オンとオフ」

「……オンとオフ」

さっきの凛太郎の顔が浮かぶ。

何も言わない、あの表情。

(……あの人も)

さっきみたいに、笑うんだろうか。

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― 新着の感想 ―
「当たったら、危ねぇから」――無愛想な凛太郎が見せた、ほんの一瞬の「守り」の言葉に心拍数が跳ね上がりました! 結衣がただの観客から、ボールを渡す「練習の一部」へと変わっていく過程が尊い。 速すぎて…
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