茜色のグラデーション
ボール遊びを終えて体育館を出ると、空は茜色に染まっていた。
昼間の暑さはまだ少し残っている。
それでも、吹き抜ける風は夏の終わりを感じるほど涼しかった。
「疲れたぁ。」
守屋先輩が両腕を大きく上げる。
「今日、ゆるゆるの日じゃなかったんすか。」
「お前が本気になったからだろ。」
水谷先輩が笑う。
「俺じゃないです。」
「蓮さんです。」
「なんで俺。」
「結衣に点取られてから、目が変わってました。」
蓮さんが少しだけ顔を逸らす。
「取られたんじゃない。」
「たまたま落ちただけ。」
「負け惜しみですか?」
「守屋。」
「はい。」
「明日、スパイクレシーブ追加。」
「またそうやって、すぐ練習に持ち込む!」
笑い声が夕方の道へ響く。
私たちは五人で並んで歩いていた。
水谷先輩。
蓮さん。
神谷先輩。
守屋先輩。
そして、私。
この五人で帰るのは、本当に久しぶりだった。
インターハイへ向かう前は、何度も一緒に歩いた道。
コンビニへ寄って。
守屋先輩が余計なものを買って。
水谷先輩が呆れて。
蓮さんが笑って。
神谷先輩が静かにその隣を歩いていた。
何も変わっていないように見える。
でも。
あの頃とは、少しだけ違っていた。
「結衣。」
守屋先輩が私の手元を見る。
「腕、大丈夫?」
「腕?」
両腕を見ると、ボールが当たった部分が少し赤くなっていた。
「あ。」
「痛くない?」
「少しだけ。」
「最初はそんなもん。」
守屋先輩が自分の腕を見せる。
「俺なんか一年の時、毎日真っ赤だった。」
「今も真っ赤じゃん。」
水谷先輩が言う。
「これは今日、蓮さんが本気で打ったからです。」
「本気じゃない。」
「本気でした。」
「代表候補のリベロなら拾え。」
「また代表候補って言った!」
守屋先輩が頭を抱える。
「今日だけ浮かれていいって言われたのに。」
「お前、十分浮かれてたじゃん。」
水谷先輩が笑う。
「まだ足りません。」
「じゃあ何したいの。」
「帰ったら家族会議です。」
「何を話すんだよ。」
「俺が日本代表候補になった件について。」
「議題一つだけ?」
「三時間くらい必要です。」
「長い。」
蓮さんが笑いながら守屋先輩の頭を軽く叩いた。
その横で、神谷先輩は何も言わずに歩いている。
いつものように静かだった。
でも。
守屋先輩が代表の話をするたびに、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
「神谷さんは。」
守屋先輩が神谷先輩の顔を覗き込む。
「家で自慢しないんすか。」
「しない。」
「なんでですか。」
「まだ候補だから。」
「真面目だなぁ。」
「お前が浮かれ過ぎ。」
「蓮さんは?」
「母親に言う。」
「反応の予想は?」
「泣く。」
「絶対泣きますね。」
「たぶん。」
蓮さんが少し照れ臭そうに笑う。
その横顔を見て、胸の奥が温かくなった。
怪我をして。
跳べなくなって。
何度も苦しんだ蓮さんが。
今は、日本代表候補として名前を呼ばれた。
ずっと近くで見てきたからこそ。
自分のことみたいに嬉しかった。
「水谷先輩は。」
私が声を掛ける。
「ん?」
「今日は家で何か話しますか。」
「俺?」
水谷先輩は少し考えたあと、笑った。
「今日の一年生のことかな。」
「そこですか?」
守屋先輩が驚く。
「普通、自分たちの代表の話じゃないですか。」
「俺は選ばれてないし。」
水谷先輩は、いつもと変わらない声で言った。
その一言に。
少しだけ空気が止まった。
守屋先輩も何かを言おうとして、口を閉じる。
でも。
水谷先輩はすぐに笑った。
「そんな顔するなって。」
「別に落ち込んでない。」
「本当ですか。」
「本当。」
水谷先輩は前を見ながら続ける。
「神谷と蓮が選ばれるのは分かってた。」
「守屋はびっくりしたけど。」
「ひどくないですか?」
「でも。」
水谷先輩は守屋先輩を見る。
「納得してる。」
守屋先輩の表情が変わる。
「お前。」
「全国で一番拾ってたから。」
「胸張れ。」
「水谷さん……。」
守屋先輩の目が少し潤む。
「泣く?」
蓮さんが笑う。
「泣かないっす。」
「今にも泣きそう。」
「夕日が目に入っただけです。」
「俺ら、反対向いて歩いてるけど。」
「じゃあ風です。」
「便利だな、風。」
また笑いが起きる。
水谷先輩は静かに続けた。
「俺は。」
「聖明でやることが残ってるから。」
「一年生を鍛えて。」
「岡田たちを支えて。」
「春高へ行く。」
その声は、少しも迷っていなかった。
「代表合宿で三人がいない間も。」
「このチームを止めない。」
神谷先輩が水谷先輩を見る。
蓮さんも。
守屋先輩も。
誰もすぐには言葉を返さなかった。
やがて、神谷先輩が短く言う。
「頼む。」
水谷先輩は笑った。
「任せろ。」
それだけだった。
でも。
三年間、一緒に戦ってきた人たちの間には、たった一言で伝わるものがあるんだと思った。
「あ。」
守屋先輩が突然足を止める。
「コンビニ寄りません?」
少し先に、いつものコンビニの看板が見える。
「また食うの?」
水谷先輩が呆れる。
「今日はいっぱい動いたんで。」
「午後は遊んでただろ。」
「遊びもカロリー使います。」
「何買うんだよ。」
「アイス。」
「さっき足が疲れてるって言ってなかった?」
「アイスで回復します。」
「そんな効果ない。」
神谷先輩が冷静に返す。
「気持ちです。」
「出た。」
蓮さんが笑う。
「守屋の気持ち理論。」
「気持ち大事なんで。」
守屋先輩がコンビニへ向かって歩き出す。
「結衣も行くでしょ?」
「行きます。」
「何食べる?」
「まだ決めてません。」
「じゃあ俺が選んであげる。」
「絶対嫌です。」
「なんで!?」
「前に変な味を勧めたじゃないですか。」
「あれ美味しかったじゃん。」
「炭酸味のかき氷ですよ。」
「夏にぴったり。」
「舌が真っ青になりました。」
「似合ってた。」
「褒めてませんよね?」
笑いながらコンビニへ向かう。
水谷先輩と守屋先輩が先を歩き。
その後ろを蓮さんが歩く。
私は神谷先輩の隣になった。
少しの間。
二人とも何も話さなかった。
「腕。」
神谷先輩が言う。
「え?」
「冷やした方がいい。」
私の赤くなった腕を見ていた。
「これくらい大丈夫です。」
「明日、腫れる。」
「そうなんですか。」
「守屋に聞け。」
「いつも赤いから参考にならない気がします。」
神谷先輩が少しだけ笑った。
「じゃあ。」
「コンビニで冷たいもの買え。」
「アイスですか?」
「それは食べる方。」
思わず笑ってしまう。
「分かってます。」
「本当か。」
「分かってます。」
前を歩く守屋先輩が振り返る。
「二人とも遅いですよー!」
「今行きます!」
少しだけ歩く速度を上げる。
五人の影が、夕日に照らされて長く伸びていた。
「そういえば。」
コンビニの前で、守屋先輩が振り返る。
「この五人で帰るの、久しぶりじゃないですか?」
「そうだな。」
水谷先輩が答える。
「インターハイ前以来?」
蓮さんが考える。
「たぶん。」
私も五人の顔を見る。
何度も一緒に帰った。
でも。
これから先。
同じように帰れる日は、あと何回あるんだろう。
そう考えた瞬間。
少しだけ胸が苦しくなる。
水谷先輩たちは三年生で。
春高が終われば。
今度こそ、本当に引退する。
その先には卒業が待っている。
「結衣。」
水谷先輩に呼ばれ、顔を上げる。
「難しい顔してる。」
「すみません。」
「何考えてたの?」
「この五人で帰れるの。」
「あと何回なのかなって。」
口にした瞬間。
少しだけ空気が静かになった。
守屋先輩も笑うのをやめる。
蓮さんが夕焼けを見上げる。
神谷先輩は何も言わなかった。
でも。
水谷先輩はいつものように笑った。
「まだ数えなくていい。」
「え?」
「春高まで。」
「何回でも帰れる。」
蓮さんも頷く。
「代表合宿があっても。」
「戻ってくるし。」
守屋先輩も笑った。
「俺もいますよ。」
「三年生じゃないですけど。」
「お前は来年もいるだろ。」
「じゃあ、結衣。」
守屋先輩が私を指差す。
「来年も一緒に帰ろ。」
「当たり前です。」
「再来年も。」
「守屋先輩は卒業してます。」
「じゃあ遊びに来る。」
「部活してください。」
「厳しい。」
笑い声が戻る。
神谷先輩がコンビニの扉へ手を掛けた。
「入るぞ。」
「待ってください。」
守屋先輩が慌てて追いかける。
「アイス選ぶ時間、十分くださいね。」
「長い。」
「代表候補はアイス選びも慎重なんです。」
「関係ない。」
自動ドアが開く。
冷たい空気が私たちを包む。
この五人で帰れる日が、あと何回あるのかは分からない。
でも。
まだ終わりじゃない。
春高まで。
卒業まで。
この人たちと過ごせる時間は、まだ残っている。
だから今は。
その一日一日を。
何度でも笑って。
何度でも一緒に帰りたい。
そう思いながら。
私はみんなの後を追って、コンビニの中へ入った。




