守備と言う名の攻撃
神谷先輩のチームに集められたのは、守屋先輩、杉山先輩、小林先輩、一年生セッターの藤枝。
そして、私だった。
ほかの二つのコートでは、すでに練習が始まっている。
水谷先輩の笛と一年生たちの悲鳴。
蓮さんが助走を修正する鋭い声。
その間で、神谷先輩だけはすぐにボールを使おうとしなかった。
ホワイトボードをコートの端へ運び、黒いペンでコートの形を描いていく。
「座れ。」
「はい。」
私たちはホワイトボードを囲むように腰を下ろした。
神谷先輩は描いたコートの中央に、二つの丸を置く。
「杉山。」
「はい。」
「小林。」
「はい。」
「お前らはブロック。」
次に後衛へ一つ丸を書く。
「守屋はレシーブ。」
そして、コートの右側へもう一つ丸を置いた。
「藤枝はセッター。」
最後に、コートの外へ小さな丸を書く。
「結衣は記録。」
「はい。」
神谷先輩は全員を見渡した。
「最初に聞く。」
「守備って何だ。」
守屋先輩が手を挙げる。
「ボールを拾うこと。」
「違う。」
即答だった。
守屋先輩が苦笑いする。
「絶対そう言うと思った。」
神谷先輩は気にせず、ホワイトボードへ一本の線を引いた。
「守備は。」
「相手の攻撃を予測して。」
「打てる場所を減らして。」
「残った場所でボールを拾うこと。」
誰も口を開かない。
「全部拾おうとするな。」
「全部止めようとするな。」
「そんなことはできない。」
神谷先輩はブロックの丸を指す。
「杉山と小林が。」
「相手に打たせる場所を決める。」
次に守屋先輩の丸を指した。
「守屋が。」
「そこへ来るボールを拾う。」
「ブロックとレシーブは。」
「別の守備じゃない。」
「一つだ。」
守屋先輩の表情が少し変わった。
「白鷹戦。」
神谷先輩は静かに続ける。
「最後まで拾えた理由。」
「守屋がすごかったからだけじゃない。」
「杉山と小林が。」
「相手の打てるコースを減らしてたからだ。」
杉山先輩と小林先輩が顔を上げる。
「でも。」
神谷先輩は黒いペンで、ブロックの間へ小さな隙間を描く。
「後半。」
「ここを何度も使われた。」
ブロックとブロックの間。
ほんのわずかな隙間だった。
「相手の打点が高くなると。」
「二人ともボールを追って手が外へ流れる。」
「間が空く。」
「そこを守屋一人に任せた。」
守屋先輩が静かに頷く。
「何本か。」
「遅れました。」
「違う。」
神谷先輩が守屋先輩を見る。
「あれはお前だけの失点じゃない。」
「ブロックとレシーブ。」
「全員の失点だ。」
守屋先輩は少し驚いたように目を見開いた。
神谷先輩は立ち上がる。
「確認する。」
「コート入れ。」
杉山先輩と小林先輩がネット際へ立つ。
守屋先輩は後衛中央。
藤枝は前衛の右側へ入った。
私はコートの外でノートを開く。
神谷先輩はネットの反対側へ回り、ボールを持った。
「結衣。」
「はい。」
「相手のコースだけ書くな。」
「味方がどこにいたか。」
「誰の一歩目が遅れたか。」
「ブロックの間が何センチ空いたか。」
「全部書け。」
「何センチまでですか。」
思わず聞き返す。
「できるだけ正確に。」
「……はい。」
守屋先輩が小さく笑った。
「記録倍って、本気だったんだ。」
「守屋。」
「はい。」
「喋る余裕があるなら。」
「今から全部拾え。」
「はい!」
神谷先輩はボールを軽く投げ上げた。
助走を付けずに跳び、杉山先輩と小林先輩の間へ打ち込む。
二人がブロックへ跳ぶ。
けれど。
手と手の間を抜けたボールが、守屋先輩の前へ落ちた。
守屋先輩が腕を伸ばす。
ボールは上がった。
しかし、ネットから大きく離れていく。
藤枝が慌てて追いかける。
「すみません!」
「止めろ。」
神谷先輩の声で全員の動きが止まった。
「今の失敗。」
「誰の責任だ。」
「俺です。」
守屋先輩が答える。
「違う。」
「俺です。」
杉山先輩が続く。
「俺も。」
小林先輩も手を挙げる。
神谷先輩は藤枝を見る。
「藤枝。」
「はい。」
「お前は。」
藤枝は少し迷った。
「俺もです。」
「理由。」
「守屋先輩が上げてから動きました。」
神谷先輩が頷く。
「そうだ。」
「セッターだからって。」
「二本目だけを見るな。」
「相手が打つ前に。」
「一本目がどこへ上がるか予測しろ。」
神谷先輩は藤枝の立っていた位置へ入る。
「ブロックを見る。」
「守屋の位置を見る。」
「ボールが抜ける場所を見る。」
「それから。」
一歩だけ後ろへ下がる。
「先に動く。」
「一本目が上がってからじゃ遅い。」
「はい。」
「もう一回。」
神谷先輩が再び反対側へ回る。
ボールを投げ上げる。
杉山先輩と小林先輩が跳ぶ。
今度は二人の手がしっかりと並ぶ。
神谷先輩はブロックの外側へ打った。
「クロス!」
杉山先輩が空中で叫ぶ。
その声より少し早く、守屋先輩が一歩動いていた。
ボールが腕の中央へ当たる。
高く。
ネット際へ。
藤枝もすでに落下地点へ入っていた。
「杉山先輩!」
藤枝がトスを上げる。
守備から着地した杉山先輩がすぐに助走へ入る。
跳ぶ。
振り抜く。
ボールが反対側のコートへ叩きつけられた。
バンッ——。
きれいな音が響いた。
「今。」
神谷先輩が言う。
全員が振り返る。
「それが守備。」
「拾って終わりじゃない。」
「拾った一本を。」
「点に変える。」
藤枝が自分の手を見つめる。
守屋先輩は嬉しそうに笑った。
「今の気持ちいい。」
「一回で満足するな。」
「ですよね。」
神谷先輩はすぐに次のボールを持つ。
「もう一回。」
三本目。
神谷先輩は杉山先輩の指先を狙った。
ボールが触れて、後ろへ大きく弾かれる。
守屋先輩が飛び込む。
片手でボールを上げた。
「藤枝!」
「はい!」
藤枝が走る。
けれど。
ボールだけを見ていた藤枝は、前へ落とされたフェイントに気付かなかった。
神谷先輩がもう一つ持っていたボールを、ネット際へ軽く落とす。
誰も動けない。
ボールが床へ落ちた。
「今。」
神谷先輩が藤枝を見る。
「お前が拾う。」
藤枝が息を整えながら頷く。
「はい。」
「セッターは。」
「二本目を上げる人じゃない。」
「二本目を上げられる状況を作る人だ。」
「守屋が後ろへ下がったら。」
「前はお前が守る。」
「自分が一本目を触っても。」
「誰かが二本目を上げればいい。」
「全部自分でやろうとするな。」
「はい。」
藤枝は悔しそうに唇を噛んだ。
神谷先輩は少しだけ声を柔らかくする。
「一年で。」
「全部できると思ってない。」
「でも。」
「できないままでいいとも思ってない。」
藤枝が顔を上げる。
「春高で。」
「お前がコートに入る可能性はある。」
「その時。」
「一年だからは通用しない。」
「はい!」
藤枝の返事が体育館へ響いた。
それから。
何本も繰り返した。
ストレート。
クロス。
ブロックアウト。
フェイント。
ワンタッチ。
神谷先輩は同じ場所へ二度続けて打たなかった。
杉山先輩と小林先輩は、相手の助走に合わせて手の位置を変える。
守屋先輩は二人のブロックを見ながら守備位置を細かく変える。
藤枝はボールが打たれる前から、次に動く場所を考える。
私はその全てをノートへ書き続けた。
『杉山先輩、右手が外へ流れる。』
『小林先輩、着地後の切り返しが遅い。』
『守屋先輩、ブロックの内側へ入り過ぎる時がある。』
『藤枝、ボールを見過ぎると味方の位置を見失う。』
書いて。
顔を上げて。
また書く。
ページがどんどん埋まっていく。
「結衣。」
「はい。」
「今の。」
神谷先輩が突然私を見る。
「どこが空いてた。」
私は慌ててコートを見る。
杉山先輩と小林先輩のブロック。
守屋先輩の位置。
藤枝の立ち位置。
「前衛の。」
「小林先輩の後ろです。」
「理由。」
「守屋先輩がクロスへ寄って。」
「藤枝がネットへ近付き過ぎていました。」
神谷先輩は少しだけ頷く。
「正解。」
胸の奥が少しだけ熱くなる。
以前の私なら。
ボールが落ちた場所しか見られなかった。
今は。
落ちる前に。
なぜそこが空いたのかを、少しだけ考えられるようになっていた。
「じゃあ。」
神谷先輩が続ける。
「どう直す。」
私はノートのコート図を見る。
「藤枝が。」
「半歩だけ後ろに残る。」
「守屋先輩はクロスへ寄り過ぎず。」
「小林先輩の指先に当たったボールも見られる位置へ。」
「杉山先輩は。」
「ストレートを閉める声を早く出す。」
少しの沈黙。
間違えたかもしれない。
そう思った時。
「やってみろ。」
神谷先輩が言った。
「え?」
「今言った配置。」
「お前が指示しろ。」
「私がですか。」
「お前が見つけた。」
「なら伝えろ。」
みんなが私を見る。
緊張で声が詰まりそうになる。
それでも。
私はコートへ一歩近付いた。
「藤枝。」
「はい。」
「もう半歩後ろ。」
「守屋先輩は。」
「少しだけ中央へ戻ってください。」
「了解。」
「小林先輩。」
「ワンタッチが後ろへ飛んだ時。」
「声をお願いします。」
「分かった。」
「杉山先輩は。」
「ストレートを閉める時、早めに声を出してください。」
「了解。」
全員が私の言葉に従って動く。
神谷先輩がボールを投げ上げる。
杉山先輩と小林先輩がブロックへ跳ぶ。
「ストレート閉める!」
杉山先輩の声が響く。
神谷先輩は小林先輩の指先へ当てた。
ボールが後ろへ弾かれる。
「ワンタッチ!」
小林先輩の声。
守屋先輩は中央へ残っていた。
落下地点へ入り。
きれいにボールを上げる。
藤枝も少し後ろに残っていたため、余裕を持ってボールの下へ入った。
「小林先輩!」
速いトス。
小林先輩が助走へ入る。
跳ぶ。
打つ。
ボールがコートへ突き刺さった。
「よっしゃ!」
守屋先輩が大きな声を上げる。
藤枝も笑っている。
杉山先輩と小林先輩が手を叩き合う。
私は思わずノートを抱き締めた。
「結衣。」
神谷先輩が私を見る。
「はい。」
「今の。」
少しだけ間が空く。
「忘れるな。」
それだけだった。
でも。
それで十分だった。
私は大きく頷く。
「はい。」
神谷先輩はすぐに次のボールを持つ。
「守屋。」
「はい!」
「今の形。」
「十本連続。」
「え。」
「一本でも落としたら最初から。」
守屋先輩の笑顔が固まる。
「せっかくいい雰囲気だったのに。」
「代表候補だろ。」
「うわ。」
「その言葉、ずっと使う気ですよね。」
「拾えば終わる。」
「簡単に言うなぁ!」
体育館に笑いが広がる。
神谷先輩もほんの少しだけ笑った。
「一本目。」
ボールが上がる。
杉山先輩と小林先輩が構える。
守屋先輩が腰を落とす。
藤枝が周りを見る。
私はペンを握り直した。
守備は。
一人でボールを拾うことじゃない。
全員で相手の攻撃を限定して。
全員で一本目をつないで。
最後に点へ変えること。
神谷先輩はきっと。
技術だけを教えているんじゃない。
コートに立つ全員が。
同じものを見て。
同じ一本を追うこと。
それを教えようとしている。
「クロス!」
「ワンタッチ!」
「守屋先輩、後ろ!」
声が重なる。
ボールが上がる。
藤枝が走る。
杉山先輩が助走へ入る。
新しい聖明の守備が。
少しずつ。
形になり始めていた。




