最初の一発
戦闘は、夜明け前に始まった。
慎太郎は地面を揺らす轟音で目を覚ました。
「砲撃だ!」
誰かが叫んだ。
川岸に据えられた日東軍の大砲が、対岸の陣地へ向けて火を噴いていた。砲声が腹の底まで響き、空気を震わせる。暗い空を砲弾が飛び越え、数秒後、遠くの丘で赤い炎が上がった。
慎太郎は慌てて銃をつかんだ。
眠気は一瞬で消えていた。
砲撃が始まる前まで、敵はまだ頭の中にしか存在しなかった。しかし対岸からも大砲が撃ち返され、近くの木が砲弾で吹き飛ばされると、敵が本当にそこにいるのだと理解した。
木片と土が雨のように降り注いだ。
「伏せろ!」
慎太郎は地面に身体を押しつけた。
耳鳴りの中で、誰かの叫び声が聞こえた。
顔を上げると、数歩先にいた兵士が倒れていた。軍服の胸元が赤く染まり、その兵士は何かをつかもうとするように腕を伸ばしていた。
慎太郎は助けに行こうとした。
しかし小隊長が腕をつかんだ。
「放っておけ! 前進するぞ!」
「まだ生きています!」
「衛生兵に任せろ!」
小隊長は慎太郎を立たせ、背中を押した。
「止まれば次はお前だ!」
兵士たちは川に架けられた仮設橋へ殺到した。
足音と怒号と銃声が混ざり合う。橋の上では身を隠す場所がなく、対岸から飛んでくる弾が欄干や板を打った。
前を走っていた兵士が急に消えた。
橋の隙間から川へ落ちたのだと分かったが、振り返る余裕はなかった。
「走れ! 走れ!」
慎太郎は銃を抱え、前にいる源次の背中だけを見て走った。
弾が耳元を通り過ぎた。
虫が飛んだような、あまりにも小さな音だった。
あれに当たれば人間が死ぬのだと、すぐには信じられなかった。
対岸へ渡った兵士たちは、華嶺軍の陣地へ向かって斜面を駆け上がった。大砲によって土嚢は崩れ、塹壕からは黒い煙が立ち上っている。
慎太郎は息ができなかった。
胸が苦しく、足が重い。背嚢を捨ててしまいたかった。それでも前へ進んだ。周りが進んでいるから、自分だけ止まることはできなかった。
塹壕まで数十歩に迫ったとき、一人の華嶺兵が姿を現した。
若い兵士だった。
慎太郎とほとんど変わらない年齢に見えた。
煤で汚れた顔。大きすぎる軍服。震える両手に握られた銃。
華嶺兵も慎太郎を見た。
二人の目が合った。
慎太郎は銃を構えた。
相手も銃口を向けた。
引き金にかけた指が動かなかった。
相手の顔が見えてしまったからだった。
もし遠くの影であれば撃てたかもしれない。だが、目の前にいるのは怪物ではなかった。汗を流し、怯え、唇を震わせている一人の青年だった。
華嶺兵の口が動いた。
何を言ったのかは分からなかった。
母親を呼んだのかもしれない。
降伏すると言ったのかもしれない。
あるいは、慎太郎を罵ったのかもしれない。
銃声がした。
慎太郎は自分が撃たれたと思った。
しかし、倒れたのは目の前の青年だった。
慎太郎の指は、引き金を引いた形で固まっていた。
銃口から細い煙が上がっている。
華嶺兵は胸を押さえ、その場に膝をついた。何かを言おうとしたが、口から出たのは声ではなかった。
やがて身体が横へ倒れた。
「新田、進め!」
後ろから来た兵士が慎太郎にぶつかった。
慎太郎は動けなかった。
「何をしている! 死にたいのか!」
腕を引かれ、慎太郎は再び走り出した。
倒れた青年の横を通り過ぎる。
一瞬だけ、その腰に小さな木彫りの人形が結びつけられているのが見えた。故郷の子供から贈られたものかもしれない。
だが、確かめることはできなかった。
慎太郎は振り返らなかった。
振り返れば、自分が何をしたのか、本当に分かってしまう気がした。




