白津の浜
輸送船が黎国の白津港へ着いたとき、空は鉛のような色をしていた。
雨は降っていなかったが、冷たい風が海から吹きつけ、甲板に立つ兵士たちの軍服をはためかせていた。港の外には日東国の軍艦が並び、その黒い煙突から吐き出された煙が低い雲に溶けている。
慎太郎は船べりから陸地を見た。
崩れかけた石造りの倉庫。折れた旗竿。岸壁に乗り上げた小舟。人の姿はほとんど見えなかった。
「これが外国か」
隣にいた源次が呟いた。
慎太郎が想像していた外国は、もっと奇妙な場所だった。見たことのない建物が並び、人々は理解できない言葉を叫び、空気の匂いまで違うと思っていた。
だが、実際に目の前にあるのは、故郷とそれほど変わらない海と山だった。
浜辺には海鳥が群れ、波打ち際には木片が流れ着いている。遠くに広がる畑では、収穫されないままの作物が風に揺れていた。
「こんなところまで来て、何をしているんだろうな」
慎太郎が言うと、源次は慌てて周囲を見た。
「聞かれたら叱られるぞ」
「誰にだ」
「誰にでもだよ」
そのとき、上官の怒鳴り声が飛んだ。
「上陸準備! 持ち物を確認しろ!」
兵士たちは一斉に動き出した。
慎太郎も銃を背負い、弾薬盒と水筒を確かめた。背嚢には毛布、替えの足袋、乾パン、母から渡された小さなお守りが入っていた。
陸へ降りると、靴の裏に異国の泥がまとわりついた。
港の入口には、黎国の老人と子供が集まっていた。彼らは兵士たちから距離を取り、不安そうに行進を眺めている。
慎太郎は一人の少女と目が合った。
年齢は小春と同じくらいだった。少女は母親らしい女の後ろに隠れ、それでも慎太郎から目を離さなかった。
慎太郎は安心させようと笑いかけた。
少女は怯えた表情のまま顔を背けた。
「怖がられたな」
源次が言った。
「俺たちは黎国を助けに来たんじゃないのか」
「そう聞いている」
「なら、どうしてあんな顔をするんだ」
源次は答えなかった。
行軍が始まると、港の風景はすぐに背後へ消えた。
日東軍は、黎国北部を流れる清江を目指していた。その向こうには華嶺国の遠征軍が陣地を築いているという。
上官は、敵軍は統制を失った弱兵の集まりだと説明した。
「華嶺兵は銃声を聞けば逃げる。数だけは多いが、恐れる必要はない」
兵士たちは笑った。
慎太郎も笑うふりをした。
しかし、道の脇に捨てられた荷車や、焼かれた民家を見るたびに胸がざわついた。壁には砲弾の痕が残り、庭先には割れた食器が散らばっている。井戸のそばには、持ち主を失った赤い子供靴が片方だけ落ちていた。
戦争とは、もっと遠くにあるものだと思っていた。
だが、その日は行軍の先にではなく、道の至るところに残されていた。




