最後の新聞
青海の印刷工房では、避難せずに残った職人たちが印刷機を動かしていた。
明遠がかつて働いていた場所だった。
工房の主人は、以前と同じように墨で汚れた前掛けを着けている。違うのは、腰に古い拳銃を差していることだった。
「まだ新聞を刷っているのですか」
明遠が尋ねた。
「新聞ではない。市民への布告だ」
主人は刷り上がった紙を見せた。
――青海市民に告ぐ。
――我が守備軍は最後の一兵まで戦い、必ず敵を撃退する。
――市民は動揺せず、それぞれの場所で軍に協力せよ。
「必ず撃退できるのですか」
主人は答えなかった。
工房の奥では、少年たちが布告を束ねていた。
かつて新聞を街へ売りに行っていた子供たちだった。
「この子たちを避難させてください」
「どこへ?」
「慈雲寺があります」
「ここにいれば仕事がある。寺にいれば、ただ死ぬのを待つだけだ」
主人は印刷機を動かした。
鉄の歯車が回り、白い紙に黒い文字が刻まれていく。
「文字には力があると、お前に教えたな」
「はい」
「人を勇気づけることも、戦わせることもできる」
主人は布告を一枚手に取った。
「だが、いくら勝利と印刷しても、それだけで戦争に勝てはしない」
主人はその紙を丸め、床へ投げた。
「それでも刷るしかない。兵士が銃を撃つように、私は文字を刷る。それしかできん」
外で爆発が起きた。
窓ガラスが震え、天井から細かなほこりが落ちた。
日東艦隊の砲撃が始まっていた。
主人は拳銃を明遠へ差し出した。
「持っていけ」
「あなたは?」
「私にはもう一丁ある」
明遠は受け取った。
「生きて帰ってきたら、またここで働け」
「工房が残っていれば」
「残らなければ建て直す」
主人は印刷機を叩いた。
「お前は教師になりたかったんだろう。戦争が終わったら、もう一度勉強しろ」
忘れていた夢だった。
本を読み、子供たちに文字を教える。
それはつい数か月前まで、手を伸ばせば届く未来だった。
今では、別の人間の夢のように感じられた。
明遠は主人へ頭を下げ、工房を出た。
背後では印刷機が動き続けていた。
街の外まで響く砲声の中でも、その規則正しい音だけは止まらなかった。




