青海へ
明遠が青海へ戻った日、新聞には「我が軍、各地で大勝」と印刷されていた。
駅の壁には勝利を告げる紙が何枚も貼られ、華嶺軍が日東兵を追い払い、間もなく黎国の王都を奪還すると書かれていた。
しかし、駅へ入ってきた列車は負傷兵で埋まっていた。
頭に包帯を巻いた者。片腕を失った者。担架の上で動かない者。客車に乗り切れない兵士たちは、屋根のない貨車に積まれていた。
「どこで勝っているんだ」
呉大成が壁の新聞を剥がした。
紙の裏には、青海の商店が出した石鹸の広告が印刷されていた。
「新聞の中だろう」
明遠は答えた。
駅を出ると、故郷の街は以前とは別の場所になっていた。
店の多くは戸を閉ざし、通りには軍用の荷車が並んでいる。港へ向かう兵士と、内陸へ逃げようとする住民が道を埋め、怒鳴り声と泣き声が絶えず響いていた。
役人や裕福な商人たちは、家財を馬車に積んで街を離れていた。
一方、馬車を持たない者は、背負えるだけの荷物を抱えて歩いていた。老人を戸板に乗せて運ぶ家族もいれば、親とはぐれて泣いている子供もいた。
明遠は部隊の許可を得て、家へ向かった。
家の戸は開いていた。
「母さん!」
返事はなかった。
部屋には服や食器が散らばり、慌てて荷物をまとめた跡が残っていた。明遠はすべての部屋を探したが、母も明浩もいなかった。
食卓の上に、一枚の紙が置かれていた。
明遠へ。
西門から逃げようとしましたが、人が多くて進めません。軍が道を閉じたので、母さんと慈雲寺へ行きます。帰ってきたら、そこで会いましょう。
明浩。
文字は震え、ところどころ墨がにじんでいた。
明遠は紙を握りしめ、家を飛び出した。
慈雲寺は、青海の西側にある大きな寺だった。
三百年以上前に建てられた古刹で、高い山門の奥には広い境内があり、本堂、講堂、庫裏、鐘楼が並んでいた。丘の上に建つ三重塔は、港へ帰る船乗りたちの目印にもなっていた。
洪水や大火が起きるたび、慈雲寺は住民を受け入れてきた。
戦争が始まってからは、軍と寺の間で、境内へ武器を持ち込まないことが決められていた。屋根と山門には避難所を示す大きな白い布が掲げられ、日東軍へも寺を攻撃対象にしないよう使者が送られていた。
明遠が慈雲寺へ着くと、境内は人で埋め尽くされていた。
老人や女、子供たちが毛布にくるまり、炊き出しの粥を待っている。本堂に入り切れない者は回廊や講堂で横になり、負傷者は仏像の前に並べられていた。
「兄さん!」
人混みの向こうから明浩が走ってきた。
明遠は弟を抱きしめた。
「無事だったか」
「兄さんこそ」
明浩の身体は以前より細くなっていた。それでも腕の中に確かな温かさがあった。
母は本堂の隅に横たわっていた。
避難の途中で足を痛め、熱も出していた。明遠の顔を見ると、安心したように笑った。
「帰ってきたのね」
「遅くなってごめん」
「約束を守ったじゃない」
明遠は何も言えなかった。
帰ってきたのではない。
戦うために戻ってきたのだ。
「ここも危ない。動けるようになったら街を出よう」
「西門は閉じられているよ」
明浩が言った。
「北の道も軍が使っている。避難民は通してもらえない」
明遠は唇をかんだ。
港には役人を逃がすための船が残されているという。だが、市民を乗せる船はなかった。
慈雲寺の住職である慧真が近づいてきた。
白い眉を持つ老僧だった。戦争が始まるまでは、境内を走り回る子供たちを穏やかに叱っていた。今は汚れた法衣を着て、休むことなく負傷者の世話をしていた。
「屋根と山門に白い布を掲げています。日東軍にも、ここが避難所であることは伝えてあります」
「敵が約束を守ると思うのですか」
明遠が尋ねると、慧真は静かに答えた。
「守ると信じるほかありません」
本堂の奥では、大きな仏像が避難民を見下ろしていた。
穏やかな顔だった。
明遠は信心深い人間ではなかった。祈ったところで砲弾が止まるとは思っていない。
それでも、この場所だけは戦場にならないでほしいと願った。
「兄さんも、ここにいればいい」
明浩が言った。
明遠は弟の顔を見た。
「俺は兵士だ」
「だから何だよ。兄さん一人が戦わなくても同じだろ」
「俺一人がそう思えば、他の兵士も同じことを思う」
「みんなが戦わなかったら、戦争は終わるじゃないか」
明遠は答えられなかった。
母が弱い声で言った。
「明浩、兄さんを困らせてはいけません」
「でも……」
「明遠には、明遠がしなければならないことがあるのでしょう」
本当にそうなのだろうか。
誰が決めたのだろう。
明遠が戦わなければならないことを。
慎太郎が海を渡らなければならないことを。
趙俊が娘を残して死ななければならないことを。
その答えを知る者は、慈雲寺にも、軍の営舎にもいなかった。
「日が暮れる前に部隊へ戻らないと」
明遠は立ち上がった。
母は明遠の手を握った。
「生きて戻りなさい」
「うん」
「もう一度、約束して」
明遠は明浩を見た。
弟は涙をこらえながら、あの日と同じように小指を差し出していた。
明遠も小指を絡ませた。
「必ず戻る」
二度目の約束は、一度目よりもずっと重かった。




