捕虜
明遠の部隊は、山道で一人の日東兵を捕らえた。
若い通信兵だった。
味方とはぐれたらしく、脚に傷を負って歩けなくなっていた。銃は持っておらず、胸に書類の入った革鞄を抱えていた。
呉大成たちは、捕虜を廃屋へ連れ込んだ。
「敵部隊の位置を聞き出す」
呉はそう言った。
だが、誰も日東国の言葉を話せなかった。
捕虜も華嶺国の言葉を理解できない。
呉は地図を広げ、捕虜の顔の前へ突き出した。日東軍の位置を指せと身振りで命じた。
捕虜は首を振った。
呉は捕虜の顔を殴った。
「話せ」
捕虜は再び首を振った。
呉はもう一度殴った。
周囲の兵士たちは笑いながら見ていた。
「やめろ」
明遠が言った。
呉が振り返った。
「何だ?」
「言葉が通じていない。殴っても何も分からない」
「なら、通じるまで殴る」
「意味がない」
「趙俊を殺した連中にも、同じことが言えるのか」
明遠は黙った。
呉は捕虜の髪をつかみ、顔を上げさせた。
「よく見ろ。こいつの仲間が趙俊を殺した」
捕虜の鼻から血が流れていた。
怯えた目が明遠を見る。
清江の森で見た日東兵とは別人だった。それでも、同じ軍服を着ている。
明遠の胸元には、小蓮の髪があった。
「お前もやれ」
呉が明遠に命じた。
「俺は尋問のやり方を知らない」
「殴るだけだ。簡単だろう」
明遠は動かなかった。
「まさか、敵がかわいそうなのか?」
周囲から笑い声が起きた。
「弟の前でも同じことが言えるか? 日東兵がお前の家へ入り、母親を殴り、弟を殺そうとしていても、水を飲ませてやるのか?」
その言葉を聞いた瞬間、明遠は捕虜の胸ぐらをつかんだ。
拳を振り上げる。
捕虜が何かを叫んだ。
短い言葉だった。
「ハハ」
そう聞こえた。
意味は分からなかった。
だが、捕虜が何を呼んだのか、明遠には分かった。
拳が止まった。
母親を呼んでいる。
自分も死ぬ瞬間には、同じように母を呼ぶかもしれない。
「どうした。やれ」
呉が言った。
明遠は拳を下ろそうとした。
そのとき、誰かが小さく笑った。
臆病者を見るような笑いだった。
明遠は捕虜の顔を殴った。
一度だけだった。
捕虜は床へ倒れた。
その場にいた兵士たちが歓声を上げた。
呉は満足そうに明遠の肩を叩いた。
「それでいい」
明遠は自分の拳を見た。
血がついていた。
趙俊の仇を討ったはずなのに、何の喜びもなかった。
捕虜は床にうずくまり、同じ言葉を繰り返していた。
「ハハ……ハハ……」
明遠はそれ以上、その声を聞いていられなかった。
外へ出ると、雪が降っていた。
手についた血を雪で洗った。
何度こすっても、血の色が残っているように見えた。
背後の廃屋から、再び殴る音が聞こえた。
明遠は止めに戻らなかった。




