妻への手紙
趙俊の妻に手紙を書こうと決めてから、明遠は十日間、何も書けずにいた。
紙を広げ、筆を持つ。
趙俊殿は勇敢に戦い――
そこまで書いて手が止まる。
紙を丸め、火へ投げる。
趙俊は勇敢だった。
だが、勇敢だったから死んだわけではない。ただ塹壕の中にいて、飛んできた弾が胸に当たった。それだけだった。
最期は立派だったと書くべきなのか。
苦しまずに亡くなったと嘘をつくべきなのか。
娘の名を呼んだことを伝えれば、妻は慰められるのか。それとも一生、その言葉に苦しむのか。
明遠には分からなかった。
「また書いているのか」
声をかけてきたのは、同じ部隊の呉大成だった。
三十歳を過ぎた古参兵で、頬から顎にかけて古い刀傷があった。日東兵を五人殺したと自慢し、捕虜を一人も取ったことがないと言っていた。
「死んだ靴屋の家族にか?」
「趙俊という名前だ」
「死者の名前など覚えていられるか。この先、いくらでも増えるぞ」
呉は焚き火のそばに座った。
「お前、前の戦いで日東兵を見逃したそうだな」
明遠の手が止まった。
「誰から聞いた」
「森で同じ隊の兵が見ていた。お前は銃を構えていたのに、撃たなかった」
「捕虜に水を与えていた」
「だから何だ」
呉は小枝を折り、火へ放り込んだ。
「水を与えれば善人になるのか? その日東兵は、別の場所でお前の仲間を殺しているかもしれん」
明遠は反論できなかった。
「敵を人間だと思うな」
炎に照らされた呉の傷が、蛇のように頬を這っていた。
「顔を見るな。声を聞くな。家族がいるなどと考えるな。あれは日東兵だ。それだけ覚えておけば、お前は生き残れる」
「それで、生きて帰ったあとも人間でいられるのか」
明遠が尋ねると、呉はしばらく黙った。
やがて、炎を見たまま答えた。
「生きて帰ってから考えろ」
その夜、明遠は新しい紙に短い手紙を書いた。
趙俊殿は、祖国を守る戦いの中で立派に亡くなりました。最期までご家族のことを思っていました。
お預かりしたものは、私が必ずお届けします。
それ以上は書けなかった。
明遠は娘の髪を包んだ布と一緒に手紙を封筒へ入れようとした。
しかし、手が止まった。
自分が死ねば、この髪も失われる。
それでも髪を手放すと、趙俊が本当にいなくなってしまうような気がした。
明遠は布だけを再び懐へ戻した。
その手紙が趙俊の妻へ届けられることはなかった。
戦況の混乱で郵便が止まり、行き場を失った封筒は、その後も明遠の荷物の底に残り続けた。




