第九話 止める者
イシは地下診療所で、キーツの身体記録を広げていた。
人工脚の接続部には、複数の亀裂が生じているはずだ。
神経回路にも異常がある。
負荷が続けば、運動機能だけでなく意識そのものへ影響する。
だが問題は、キーツ一人の身体ではない。
同じ技術が、警護兵や宗教団体の実行部隊へ使われていた。
洗脳と身体改造。
命令への服従を、神経レベルで固定する。
イシが開発した技術だった。
扉が開き、若い女性が入ってきた。
かつて司法資料を複写した事務官だった。
「これが、手術を受けた人たちの名簿です」
ゆうに百人を超えていた。
多くは孤児や移民だった。
家族のない者。
行方不明になっても、探す者の少ない人間。
イシは椅子に座り込んだ。
「私は、ここまで増えているとは」
「知らなかったのですか」
「知ろうとしなかった」
女は責めなかった。
そのほうが苦しかった。
イシは名簿を閉じた。
「これは止めなければならない。」
声に出すと、あまりに遅い言葉に思えた。
「止められますか」
「わからない」
「では、なぜ」
イシは自分の手を見た。
何人もの身体を切り刻んだ手だ。
「誰かがやらなければならない。」
彼は手術記録と制御装置の設計図を市民団体へ渡した。
同時に、人工部位を停止させる信号の作成を始めた。
それを使えば、キーツを止められる。
だが、ほかの生体アンドロイドたちも倒れる。
命令から解放される者もいれば、死ぬ者もいる。
正しい選択はなかった。
間違いの中から、より少ない犠牲を選ぶしかないのだ。
ブンカンが診療所へ来たのは、その数日後だった。
帽子を深くかぶり、裏口から入ってきた。
「首相が、市民集会への軍投入を決めた」
「議会の承認は」
「求めないそうです」
「それでは違法だ」
「もう、違法かどうかを判断する者がいない」
ブンカンは額の汗を拭いた。
「私も、ずっと従ってきた。
少し譲れば政策を通せると思った。中にいれば抑えられるとも思っていた」
「抑えられたことは?」
ブンカンはうつむいた。
「一度もない」
その声には苦渋の色が濃く表れている。
彼は軍投入命令の写しを差し出した。
「これを公表してほしい」
「あなたが出すべきだ」
「私には家族がいる」
女事務官が初めて口を開いた。
「抗議している人たちにもいます」
ブンカンは顔を上げられなかった。
それでも、逃げずに資料を置いていった。
翌日の閣議で、キーツは国境封鎖と市民団体の一斉拘束を提案した。
閣僚たちは黙っていた。
ブンカンだけが、震える声を出した。
「さすがにそれは……非常識では。」
キーツは彼を見た。
「今さら常識の話か?」
その日のうちに、ブンカンの事務所は捜索を受けた。
彼は逮捕された。
だが軍投入命令は、すでに国中へ複写されていた。
兵士たちは、自分たちが銃を向ける相手を知った。




