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元自衛官、ゾンビに噛まれる。相棒AIは「おめでとう、統計上の死亡例だ」と言った  作者: makubes
2章「彷徨」

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第6話「良いゾンビ?」

 カレーの匂いが、キッチンいっぱいに広がった。

 湯煎する、そのひと手間を今朝は行った。

 こんな世界でも、うまいものはうまい。


 スプーンを口に運びながら、ふと思う。


「スパイスカレーが、食べたいな」


 独り言のつもりだった。


「贅沢言うな。スパイス類は備蓄ゼロだ」


「聞いてない」


「聞かれる前に答えるのが、私の仕事だ」


 スプーンを止め、リストバンドの方へ目をやる。


「そういえば、昨日の夜」

「バージョンアップとか言ってなかったか」


「本社の定期更新だ。気にするな」


「もう少し、人間らしい返しはできないのか」


「今ので十分人間らしいと思うがな」


 言い返す言葉が見つからず、カレーの残りを口に運ぶ。

 軽口の切れが、前より少しだけ鋭くなっている気がしたが、確かめる術はなかった。


    


 食べ終えた皿を流しに置き、居住区の隅に積んだ資材を見て回る。


 合板は、あと数枚。

 番線も、残りは片手で数えられる程度だった。


 血液パックのラベルに、目をやる。

 消費期限は、思っていたより早く迫っている。


 棚の隅、工具箱の陰に目をやったところで、数日前の光景が頭をかすめる。


 物陰を選ぶように歩いていた、あの個体。


 深く考える前に、視線を資材の方へ戻す。


「合板、番線、その他消耗品」

 キーロンが、棚を一瞥するように数え上げる。

「このままだと、次の要塞化に回す材料が足りない」


「あのホームセンターは、もう空だ」

「積み残していた発電機と資材も、何往復かで運びきった」


 あれから、十日近くが経っていた。


「わかってる」


「次の資材置き場なら、もう調べてある」


 舌打ちしそうになるのを、堪える。

 仕事だけは早い。

 この口の減らなさは、どうにかならないのか。


「どこだ」


「あの倉庫」

「敵はいない。物資だけが残っている」


 あの倉庫か、と思い出す。

 女に嵌められ、拘束され、目が覚めたら賊ごと片付いていた場所だった。


「賊のアジト跡地で物資集めか」

「俺としては、もう行きたくない」


「効率の話をしているだけだ」

「感傷はそっちの担当だろう」


 言い返す気力もなく、資材の残数をもう一度目でなぞる。

 行くしかない、というのは分かっていた。


 出発前に、ドローンの巡回ログを開く。

 昨夜のうちに撮れていた分の映像を、リストバンドで流し見ていく。


 途中、キーロンの声が挟まる。


「ついでに言っておくと」

「例の分類不能個体、移動方向の延長線上に倉庫がある」


 手が止まる。


「追ってるのか、あれを」


「追ってはいない。ログの符合を報告しているだけだ」

「気になるなら勝手に気にしてろ」


 突き放すような言い方だったが、それ以上何も言わないところに、かえって引っかかりが残る。


 あの、物陰を選んで歩いていた個体。

 声には出さず、記憶の隅に押しやる。


    


 軽トラを発進させる。

 窓を少し開けると、焦げた臭いの薄れた風が入り込んでくる。


「風、心地いいな」


「気温、二十二度。快適域内」


「そういう話じゃない」


「では、どういう話だ」


 言葉に詰まる。

 説明する気にもなれず、黙って前を見る。


「沈黙、七秒」

「会話を放棄したと判断していいか」


「うるさい」


「音量を下げた」

「これでいいか」


 ハンドルを握る手に、少しだけ力がこもる。

 言い負かされているという自覚はあるが、悔しさよりも、この不毛なやり取りにどこか慣れてきている自分がいる。


    


 倉庫が見える距離まで来たところで、ドローンを先行させる。

 エンジンを切り、リストバンドに映像を呼び出す。


 棚の隙間、崩れた段ボールの陰。

 白い箱がいくつか覗いている。

 印字までは読み取れないが、医薬品らしい形状だとキーロンが数値付きで告げる。


「内容物、未確認。血液パックの可能性は低い」

「だが、使える医療品が入っている可能性はある」


 わずかに、期待が持ち上がる。


 映像が奥へ進んだところで、その手が止まる。


 倉庫の中央付近、崩れた資材の間に、人影のようなものが動いている。

 一体の死体の前でしゃがみ、何かを口へ運んでいる。

 しばらくすると立ち上がり、数歩先の別の死体の前に移動して、また同じ動作を繰り返す。


 一体にかじりつくのではない。

 順番に、少しずつ、確かめるように。


「反応、一体」

 キーロンの声から、いつもの抑揚が抜けている。

「行動パターン、既知の個体と一致しない」


 映像の中の姿は、着ている服こそ薄汚れているが、大きな損傷や返り血のような汚れは見当たらない。

 それが、かえって不気味さを増している。


「あれか」

「前に見た、あの分類不能」


「断定はできない」

「だが、特徴は近い」


    


 倉庫の裏口から、バールを手に足を踏み入れる。

 薄暗い通路の先、崩れた棚の隙間から光が漏れている。


 足音を殺しながら進む。

 あの日の記憶が、否応なく蘇る。

 拘束され、投げ込まれ、目覚めたら何もかも終わっていた場所だった。


 通路を抜けたところで、視線がぶつかる。


 死体の傍にしゃがんでいた影が、ゆっくりとこちらを向く。


 構える間もなく、声が届く。


「やあ、僕は悪いゾンビではないよ」


 軽い、人懐っこいとさえ言える口調だった。

 バールを握る手に、力がこもる。


    


「なぜ、死体を少しずつ食ってる」


「さあ、なぜだろうね」


 はぐらかすような答えに、苛立ちが先に立つ。


「ゾンビは人間を食べるものじゃないのか」


「ゾンビとは何か、それこそ難しい問題だね」

「君は、自分がまだ人間だと思っているのかな」


 言葉が返せない。

 問いのはずなのに、値踏みされているような響きがあった。


「答えたくないなら、それでいい」


「そう怒らないでくれよ」

「僕は、君を襲う気は今のところないんだ」


 バールを下げる理由にはならない。

 だが、バールを握る腕から、力が抜けていくのが分かる。


    


「もう質問はないのかな」


 答えられずにいると、影は死体の傍から離れ、出口とは違う方向へ歩き出す。


「では僕はもういくよ」


 背を向けたまま、軽い調子で付け加える。


「君に必要なものはあっちにあったよ」


 言い残し、崩れた棚の隙間へ姿を消していく。

 追う気は起きなかった。


    


 指された方向を探ると、目当ての医薬品の箱ではなく、事務机の引き出しに古びたファイルが残っていた。

 中には地図とメモの束。

 高校らしき建物を囲む矢印、見張りの配置を示す殴り書き、日付らしき数字が並んでいる。


 あの賊グループが、生きていた頃に立てていた計画だった。


 高校に、まだ大勢の生存者がいる。


「なんだ、アレは」


 答えを期待したわけではなかった。


「分類不能」

「それ以上の情報がない」


 いつも通りの、素っ気ない返答だった。


 ファイルを小脇に抱え、軽トラへ戻る。

 本来の目的だった合板と番線を荷台に積み込み、白い箱もその上に重ねる。

 積み終えたところで、荷台をもう一度見渡す。


 賊のアジトだった場所は、今日は資材と医療品を運び出す倉庫に変わっていた。

 軽トラを走らせ、倉庫を後にする。


7話、18日、深夜1時、更新。

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