第6話「良いゾンビ?」
カレーの匂いが、キッチンいっぱいに広がった。
湯煎する、そのひと手間を今朝は行った。
こんな世界でも、うまいものはうまい。
スプーンを口に運びながら、ふと思う。
「スパイスカレーが、食べたいな」
独り言のつもりだった。
「贅沢言うな。スパイス類は備蓄ゼロだ」
「聞いてない」
「聞かれる前に答えるのが、私の仕事だ」
スプーンを止め、リストバンドの方へ目をやる。
「そういえば、昨日の夜」
「バージョンアップとか言ってなかったか」
「本社の定期更新だ。気にするな」
「もう少し、人間らしい返しはできないのか」
「今ので十分人間らしいと思うがな」
言い返す言葉が見つからず、カレーの残りを口に運ぶ。
軽口の切れが、前より少しだけ鋭くなっている気がしたが、確かめる術はなかった。
食べ終えた皿を流しに置き、居住区の隅に積んだ資材を見て回る。
合板は、あと数枚。
番線も、残りは片手で数えられる程度だった。
血液パックのラベルに、目をやる。
消費期限は、思っていたより早く迫っている。
棚の隅、工具箱の陰に目をやったところで、数日前の光景が頭をかすめる。
物陰を選ぶように歩いていた、あの個体。
深く考える前に、視線を資材の方へ戻す。
「合板、番線、その他消耗品」
キーロンが、棚を一瞥するように数え上げる。
「このままだと、次の要塞化に回す材料が足りない」
「あのホームセンターは、もう空だ」
「積み残していた発電機と資材も、何往復かで運びきった」
あれから、十日近くが経っていた。
「わかってる」
「次の資材置き場なら、もう調べてある」
舌打ちしそうになるのを、堪える。
仕事だけは早い。
この口の減らなさは、どうにかならないのか。
「どこだ」
「あの倉庫」
「敵はいない。物資だけが残っている」
あの倉庫か、と思い出す。
女に嵌められ、拘束され、目が覚めたら賊ごと片付いていた場所だった。
「賊のアジト跡地で物資集めか」
「俺としては、もう行きたくない」
「効率の話をしているだけだ」
「感傷はそっちの担当だろう」
言い返す気力もなく、資材の残数をもう一度目でなぞる。
行くしかない、というのは分かっていた。
出発前に、ドローンの巡回ログを開く。
昨夜のうちに撮れていた分の映像を、リストバンドで流し見ていく。
途中、キーロンの声が挟まる。
「ついでに言っておくと」
「例の分類不能個体、移動方向の延長線上に倉庫がある」
手が止まる。
「追ってるのか、あれを」
「追ってはいない。ログの符合を報告しているだけだ」
「気になるなら勝手に気にしてろ」
突き放すような言い方だったが、それ以上何も言わないところに、かえって引っかかりが残る。
あの、物陰を選んで歩いていた個体。
声には出さず、記憶の隅に押しやる。
軽トラを発進させる。
窓を少し開けると、焦げた臭いの薄れた風が入り込んでくる。
「風、心地いいな」
「気温、二十二度。快適域内」
「そういう話じゃない」
「では、どういう話だ」
言葉に詰まる。
説明する気にもなれず、黙って前を見る。
「沈黙、七秒」
「会話を放棄したと判断していいか」
「うるさい」
「音量を下げた」
「これでいいか」
ハンドルを握る手に、少しだけ力がこもる。
言い負かされているという自覚はあるが、悔しさよりも、この不毛なやり取りにどこか慣れてきている自分がいる。
倉庫が見える距離まで来たところで、ドローンを先行させる。
エンジンを切り、リストバンドに映像を呼び出す。
棚の隙間、崩れた段ボールの陰。
白い箱がいくつか覗いている。
印字までは読み取れないが、医薬品らしい形状だとキーロンが数値付きで告げる。
「内容物、未確認。血液パックの可能性は低い」
「だが、使える医療品が入っている可能性はある」
わずかに、期待が持ち上がる。
映像が奥へ進んだところで、その手が止まる。
倉庫の中央付近、崩れた資材の間に、人影のようなものが動いている。
一体の死体の前でしゃがみ、何かを口へ運んでいる。
しばらくすると立ち上がり、数歩先の別の死体の前に移動して、また同じ動作を繰り返す。
一体にかじりつくのではない。
順番に、少しずつ、確かめるように。
「反応、一体」
キーロンの声から、いつもの抑揚が抜けている。
「行動パターン、既知の個体と一致しない」
映像の中の姿は、着ている服こそ薄汚れているが、大きな損傷や返り血のような汚れは見当たらない。
それが、かえって不気味さを増している。
「あれか」
「前に見た、あの分類不能」
「断定はできない」
「だが、特徴は近い」
倉庫の裏口から、バールを手に足を踏み入れる。
薄暗い通路の先、崩れた棚の隙間から光が漏れている。
足音を殺しながら進む。
あの日の記憶が、否応なく蘇る。
拘束され、投げ込まれ、目覚めたら何もかも終わっていた場所だった。
通路を抜けたところで、視線がぶつかる。
死体の傍にしゃがんでいた影が、ゆっくりとこちらを向く。
構える間もなく、声が届く。
「やあ、僕は悪いゾンビではないよ」
軽い、人懐っこいとさえ言える口調だった。
バールを握る手に、力がこもる。
「なぜ、死体を少しずつ食ってる」
「さあ、なぜだろうね」
はぐらかすような答えに、苛立ちが先に立つ。
「ゾンビは人間を食べるものじゃないのか」
「ゾンビとは何か、それこそ難しい問題だね」
「君は、自分がまだ人間だと思っているのかな」
言葉が返せない。
問いのはずなのに、値踏みされているような響きがあった。
「答えたくないなら、それでいい」
「そう怒らないでくれよ」
「僕は、君を襲う気は今のところないんだ」
バールを下げる理由にはならない。
だが、バールを握る腕から、力が抜けていくのが分かる。
「もう質問はないのかな」
答えられずにいると、影は死体の傍から離れ、出口とは違う方向へ歩き出す。
「では僕はもういくよ」
背を向けたまま、軽い調子で付け加える。
「君に必要なものはあっちにあったよ」
言い残し、崩れた棚の隙間へ姿を消していく。
追う気は起きなかった。
指された方向を探ると、目当ての医薬品の箱ではなく、事務机の引き出しに古びたファイルが残っていた。
中には地図とメモの束。
高校らしき建物を囲む矢印、見張りの配置を示す殴り書き、日付らしき数字が並んでいる。
あの賊グループが、生きていた頃に立てていた計画だった。
高校に、まだ大勢の生存者がいる。
「なんだ、アレは」
答えを期待したわけではなかった。
「分類不能」
「それ以上の情報がない」
いつも通りの、素っ気ない返答だった。
ファイルを小脇に抱え、軽トラへ戻る。
本来の目的だった合板と番線を荷台に積み込み、白い箱もその上に重ねる。
積み終えたところで、荷台をもう一度見渡す。
賊のアジトだった場所は、今日は資材と医療品を運び出す倉庫に変わっていた。
軽トラを走らせ、倉庫を後にする。
7話、18日、深夜1時、更新。




