第5話「発電機」
シャッターを持ち上げる。
朝の光が、薄く差し込む。
「バイタル、安定」
キーロンの声が、いつも通り平坦に告げる。
「睡眠時間、六時間十二分。回復傾向、良好」
答えず、停めたままのジムニーへ向かう。
インバーターに繋いだままの充電ラックから、満充電になったドローン用バッテリーを取り出す。
この島でエンジンをかけられる車が、まだ動く電源そのものだった。
バッテリーをドローンに装着し、起動する。
リストバンドに、上空からの映像が映る。
「周辺、反応僅少」
「進行ルート、異常なし」
ジムニーではなく、軽トラのキーを取る。
荷台の広さが、今日の目的には必要だった。
住宅街を抜ける。
庭先の草が伸び放題になった家、開けっ放しの玄関、干したままの洗濯物。
どれも、時間が止まった場所ばかりだった。
以前は、路地の奥に人影が動くのを何度も見た。
カーテンの隙間から覗く視線も、何度も感じ取った。
今は、それすらない。
「反応密度、前回探索比でさらに減少」
キーロンが、数字を添える。
「喜んでいい数字じゃないだろうが、傾向は継続中だ」
少なくなった、というだけの話ではない気がする。
だが、それを言葉にする気力はなかった。
「今日は、晴れてるな」
何気なく、口に出してみる。
「日照量、平年比八十七パーセント」
キーロンが、即座に数字を返す。
「そういうことを聞いたわけじゃない」
「他に基準となる情報がない」
会話として、成立していない。
それでも、無言よりはましだった。
誰かと言葉を交わす相手は、もうこれしかいない。
ホームセンターの駐車場に、軽トラを停める。
バールを手に、店内へ足を踏み入れる。
薄暗い店内は、思っていたよりも静かだった。
棚という棚が、すでに荒らされたあとだとすぐに分かる。
乾電池のコーナーは空。
携帯用のガスボンベも、一本残らずない。
工具コーナーの一角も、軽い手工具から順にごっそり消えていた。
残っているのは、重いものばかりだった。
大型の発電機、資材の束、園芸用の大きなプランター。
誰も持ち出せなかったものだけが、取り残されている。
食品コーナーに寄る。
カップ麺の棚の前で、足が止まる。
辛口シリーズの棚が、空になっている。
人気がないはずだった。
いつ来ても、決まって余っていた棚だった。
それが、ついに空になっている。
(辛ラーメンも、ついに無くなったか)
(感慨深いな)
声には出さず、内心で軽く笑う。
「反応なし」
キーロンが、意に介さず先を促す。
棚をもう一段見下ろした先で、動きが止まる。
ペットフードの棚も、缶詰・ドライフードともに空だった。
だが、その空き方が違う。
袋は破られたまま散らばり、缶詰は蓋を開けられたそばから、その場で中身を啜った跡だけが残っている。
持ち去られたのではなく、ここで食われていた。
それだけ、食えるものが尽きかけている証だった。
深く考えないまま、視線を切る。
大型発電機の前に立つ。
以前訪れた時は、持ち帰るには手に余ると判断して見送っていたものだった。
持ち手に手をかけ、持ち上げる。
重みはある。
だが、片手で事足りた。
その事実に、一瞬手が止まる。
以前の自分なら、両手を使ってもここまで簡単には動かせなかったはずだった。
深く考えず、荷台へ運ぶ。
金属が荷台に当たる音が、店内に大きく響いた。
資材の束も次々に積み込んでいく。
合板、金網、南京錠、ロープ。
積むたびに、金属の擦れる音、荷台の軋む音が重なっていく。
三往復目、店の奥から気配がした。
「反応、接近。一体」
振り返ると、老齢の男が一人、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
足取りに迷いはないが、腕を振り上げる様子も、唸る気配もない。
どこか間の抜けた、緩慢な歩みだった。
だが、確かめる余裕はなかった。
バールを振り上げ、頭部一点に振り下ろす。
骨の抵抗が、思っていたよりずっと薄い。
頭蓋が陥没し、骨片と共に中身が飛び散る。
鈍い音と、生臭さが同時に広がった。
返ってきた手応えは、あまりにも軽かった。
力が空を切るような感覚に、動きが一瞬止まる。
手が、かすかに震えている。
恐怖からではない。
自分の力がどれほどのものか、自分でも掴めなくなっていることへの震えだった。
「一撃で活動停止」
「バールの出番も、そろそろ怪しくなってきたな」
「反応、増加。三体」
入り口の方から、新たに影が近づいてくる。
先ほどとは、明らかに違う動きだった。
唸り声が漏れ、腕をこちらへ伸ばそうとする速さがある。
肩に、殺気に似た圧を感じる。
殴りかかる寸前、ほんの一瞬だけ、手が止まりかける。
だが、結局は迷わなかった。
一体、また一体と、頭部を的確に打ち抜いていく。
全て倒れ切るまで、そう時間はかからなかった。
肩で息をつきながら、周囲を見渡す。
最初の一体と、あとの三体。
何が違ったのか、うまく言葉にできない。
考えかけて、やめる。
答えの出ないことに、これ以上時間を使う余裕はなかった。
積み込みを再開する。
発電機と資材で、荷台はほとんど埋まっていた。
リアサスペンションが、限界まで沈み込んでいる。
軽トラを走らせ、家路につく。
積みきれなかった分は、また今度取りに来ればいい。
「そういえば、コーヒーが切れてたな」
運転しながら、独り言のつもりで漏らす。
「備蓄リストに、該当品目なし」
キーロンが、律儀に答える。
「追加しとくか、暇なら」
「誰が頼んだ」
「では、保留」
こんなやり取りにも、少しだけ気が紛れる。
効率とは関係のない話に、律儀に付き合ってくれるわけではないと分かっていても。
「そういえば」
キーロンが、ふと付け加える。
「昨晩、バージョンアップがあった」
「聞いてないぞ、そんなもの」
「重要度、低。通知不要に分類されている」
「本社からの定期更新だ、いちいち騒ぐな」
勝手に書き換えられている自分の相棒、という事実に、少しだけ落ち着かないものを感じる。
だが、それ以上聞いても、返ってくるのは同じ調子の一言だけだろうという予感があった。
「何が変わった」
「詳細は開示権限外」
「聞いても無駄な質問は、時間の無駄だ」
いつも通りの、素っ気ない返答だった。
それ以上、追及する気にはなれなかった。
シャッターを下ろし、鉄パイプの支えを嵌め込む。
これで、保冷庫の負担は少し軽くなるはずだった。
窓の板打ちも空き缶の警報も、最低限は済ませてある。
だが、それで十分だとは思えなかった。
翌朝、軽トラの荷台から残りの合板と番線を下ろす。
裏口、勝手口――見落としていた側から順に、板を継ぎ足していく。
釘を打つ音が、静まり返った通りに響く。
「騒音、誘引係数を上昇させる」
キーロンの声が、耳の奥で平坦に鳴る。
「呼び寄せたいなら、続けろ」
答えず、次の板に取りかかる。
板が一枚増えるごとに、部屋の中が少しずつ暗くなっていく。
昼でも、ランタンが要るようになった。
次は警報だった。
空き缶の間隔を詰め、範囲を家の裏まで広げる。
これまでは玄関側だけだった紐を、外周ぐるりに回す。
風だけでも簡単に鳴ってしまう作りだが、範囲が広がった分、気づける可能性も上がるはずだった。
最後に屋上へ上がる。
隣家の屋根、電柱、遠くに広がる田畑。
視界を遮るものが少ない分、異変には気づきやすいはずだった。
「ドローン、周辺偵察へ移行」
キーロンの声とともに、リストバンドに映像が映し出される。
いつもの巡回ルートを、機体が淡々と辿っていく。
人影はない。
ゾンビの反応も、数える程度だった。
その中に、一体だけ動きの違う個体が映る。
物陰から物陰へ、視線を避けるように移動していく。
他の個体のような、迷いのない直進はしない。
服はヨレヨレで、薄汚れている。
何日も同じ格好のまま歩き回っている、そんな生活の跡だけがある。
「歩行パターン、生存者との類似度、87パーセント」
キーロンの声に、わずかな間が空く。
映像を見つめる。
もし、本当に生きている誰かだったら。
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。
「体温反応、生存者の範囲外」
「分類、不能」
期待は、数字一つであっさり裏切られる。
個体はやがて建物の陰に入り、映像から消える。
「今のは、何だ」
問いに、すぐには答えが返らない。
「サンプル数不足。判定は保留とする」
キーロンはそう締めくくり、それ以上は何も言わなかった。
リストバンドの映像を消し、屋上の風にしばらく立ち尽くす。
次話、17日深夜1時投稿。




