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元自衛官、ゾンビに噛まれる。相棒AIは「おめでとう、統計上の死亡例だ」と言った  作者: makubes
2章「彷徨」

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第7話「初登校」

 倉庫から持ち帰った荷を運び終え、居間に座り込む。

 戦利品の中にあったコーヒーを、湯を沸かして淹れる。

 探していたコーヒー、インスタントだがこれが美味しい。

 一口飲んで、息をつく。


 あっちにあったよ、と言い残して去っていった声が、まだ耳の奥に残っている。

 君は、自分がまだ人間だと思っているのかな。

 あの問いだけが、頭の隅にこびりついたまま離れない。


「なあ、キーロン」

「人間の定義って、何だ」


「質問の粒度が粗すぎる」

「生物学的にか、法的にか、それとも自己申告か」


「……自己申告、でいいのか」


「なら答えは簡単だ」

「お前が人間だと思っている限り、統計上はまだ人間側のサンプルだ」

「思わなくなった時点で、母集団から抜ける」


 思わなくなった時点、か。

 その基準が、今日のことなのか、まだ先のことなのか、自分でも分からない。


 テーブルに広げたファイルを、指でなぞる。

 地図には矢印、殴り書きのメモ、日付らしき数字が並んでいる。


「見張りの配置、交代時間まで書いてある」

 キーロンが、リストバンドに拡大表示しながら告げる。

「あの連中、仕事だけは丁寧だったらしいな」


 皮肉なのか、感心しているのか分からない声だった。


「港南高校、人がまだ残っているのか」


「これだけ詳しいなら、何日も見張ってたはずだ」

「今も無人とは考えにくい」


 資料の端、支援物資らしき単語の書き込みに目が留まる。

 これがそのまま使えるなら、こちらの手札が増える。

 助けたいという気持ちより先に、そんな計算が浮かんだことに、自分で少し嫌気が差す。


    


 翌日から、ジムニーで高校の近くまで出向き、ドローンを上空へ飛ばす日々が続く。


 バリケードの継ぎ目、見張りの立ち位置、交代の間隔。

 キーロンが数値と時刻を淡々と積み上げていく。


 数日をかけて偵察した結果、見えてきたものは多かった。


 校庭の一角、畝の並んだ区画に人影が動いている。


「畑、耕作中」


 小さな人影、杖をついた老人らしき姿、集まって何か運んでいる女子生徒たち。

 思っていたより、ずっと大所帯だった。


「屋上に干してある洗濯物、目算で百枚以上」

「朝と夕、決まった時間に煙が上がる」

「規則性あり。定住者の行動パターンと推定」


「一時凌ぎの寄り合いじゃない、ってことか」


「継続してるから、畑がある」

「短期の避難所に、収穫までの時間はない」


    


 東側の塀の一角、ドローンの映像が同じ場所で何度も止まる。


「防御の穴、発見」

 キーロンの声に、いつもの軽さが薄い。

「合板の継ぎ目、ここだけ二列足りない」

「見張りの巡回間隔も、この区画だけ長い」


 拡大された映像には、崩れかけた合板の隙間が映っている。

 人一人が這って通れるかどうか、という幅だった。


「この情報を渡すかどうかは、お前の判断だ」


 分かってる、とは言わなかった。

 だが、黙って通り過ぎる選択肢は、なぜか最初から頭になかった。


「データは揃った」

「出発は、いつでも可能だ」


「行く」


「理由は」


 少し考えて、結局出てきたのは短い答えだった。


「ない」

「強いて言うなら、気分だ」


「記録に残す」

「感情由来の判断か。記録しておこう、統計的に貴重なサンプルだ」


    


 ジムニーに乗り込み、資料を助手席に放る。

 エンジンをかけ、ドローンを上空へ上げる。


「反応、多数。密集。移動中」

 キーロンの声から、抑揚がふっと抜ける。

「群れの規模、通常より大きい」

「進行方向――」


「学校か」


「そうだ」

「珍しく察しがいいな」


 アクセルをさらに踏み込む。


    


 正門付近までジムニーを走らせ、その手前で停める。


 悲鳴に近い怒声が飛び交っている。


 ひしゃげた軽トラが、どうにか正門の手前までたどり着き、そこでエンジンが止まる。

 荷台から、物資袋を背負った数人が転がり出るように駆け込んでくる。

 その先頭、体育教師らしき体格の男が、木の棒を振り回して群れを食い止めようとしている。


「しくじったな、あれは」

「回収に出て、そのまま連れ帰ってきたパターンだ」


 正門へ続く道の向こう、街路の奥までびっしりと人影が詰まっている。

 目算では、四十や五十では利かない。


「反応、推定六十以上」


 あれが正門を抜けたら、終わる。

 考えるより先に、体が動いていた。


    


 ジムニーを飛び出し、金属バットとバールを両手に構える。

 群れの只中へ、迷わず突っ込んでいく。


「先頭集団、十二」

「後続、絶え間なく補充される」

「うち三、接触まで五秒」

 キーロンの声が、戦況を読み上げていく。


 地面を蹴る。

 最初の一体、バットにゾンビの体重を乗せて振り抜く、鈍い音を立てて体ごと吹き飛び、後ろに続いていた二体を巻き込んでまとめて転がる。

 その合間に右のバールを叩き込むと、頭が潰れる湿った感触が柄を伝ってくる。

 噴き出したものを避けるように、半歩だけ体をずらす。

 考えるより先に、体が勝手にそうしている。

 汚れを厭う感情ではなく、ただの反射だった。


 教師が、木の棒を構えたまま動きを止めているのが視界の端に映る。

 助けに入ったはずの相手の姿に、助けられているのか分からなくなっているような顔だった。


 群れの中を、止まらずに歩いていく。

 基本はバットで薙ぎ払い、密集を崩して道を作る。

 道の隙間に紛れ込んでくる一体だけを、右のバールで仕留める。

 打つたびに骨の折れる音、肉の潰れる音、うめき声にもならない呼気が重なっていく。

 まとめて吹き飛んでいく様だけを切り取れば、どこか出来の悪いコントのように滑稽で、頭が潰れる音だけを切り取れば、目を背けたくなるほど生々しい。

 同じ体の中で、その両方が同時に進んでいた。


 何体目か、もう数えていない。

 不意に、手の中で何かが変わる。

 鈍い、金属の軋む音。

 芯がひしゃげ、本来あるはずの手応えが返ってこない。


「壊れたか」


「バット、耐久限界」

「弾性域を超えて塑性変形している、元の形には戻らない」

「代替手段を推奨する」


 舌打ちしながら、ひしゃげたバットを最も近い一体へ投げつける。

 回転しながら飛んだそれが頭部に突き刺さり、鈍い音とともに頽れる。

 バールを握った右手はそのまま、空いた左手は手刀に切り替える。

 薙いだ手刀が肉を裂き、骨まで断つ感触が掌に返ってくる。

 左半身に返り血が浴び続け、ぐっしょりと赤黒く染まっていく。

 骨が軋む音、頭部が潰れる湿った音、肉が裂ける音、それだけが交互に響く。

 次、また次と体が勝手に動いていく。


 残っていた数体も、次々と崩れていく。


「残り、二」

「左後方」


 振り向きざま、バールを叩きつける。

 最後の一体が崩れ落ちたところで、ようやく風の音だけが辺りに戻ってくる。


 残りを片付け終える頃には、辺りは静かになっていた。


 物陰から、子供たちの声が上がる。


「すげえ」

「今の見た!?」

「つえー!」

「やばすぎる!」


 興奮した声が、次々と重なる。

 無邪気な歓声だった。


 一方で、大人たちの間からは声一つ上がらない。

 誰も動けずにいる、その静けさの方が、子供たちの声より雄弁だった。


    


 体育教師と、逃げ込んだ数人は、信じられないものを見たような表情を浮かべている。


 助けられた安堵より先に、後退る足の動きの方が正直だった。

 木の棒を握ったまま、動けずにいる。


「悪い、突然だが」

「予備のバットとかないか」

「今ので駄目になった」


 張り詰めた空気に似合わない問いだった。

 教師が、数秒遅れて瞬きする。


「……少し待っててくれ」


 振り返り、後ろにいた誰かに何か短く指示を出す。

 頷いて、駆けていく背中が見えた。


    


 しばらくして、金属バットを三本抱えて戻ってくる。

 柄にはそれぞれ番号のテープが巻かれ、使い込まれた傷が残っている。


「三本もあるのか」


「あんたの戦いだと、すぐに壊れると思ってな」


 差し出された三本を受け取り、一本ずつ握って重さを確かめる。

 どれも手に馴染む、悪くない仕上がりだった。


「助かる」


 資料を差し出す。


「これも渡しておく」

「この学校を狙って動いてた連中がいた、その計画書だ」

「あそこの合板、二列足りてない」


 教師の視線が、資料と合板を何度も往復する。

 信じていいのかどうか、決めかねている顔だった。


 教師が、少しの間黙る。


「……助けてくれて、感謝する」


 視線は逸らしたままだった。

 礼を言い慣れていない、というより、言葉にするのが照れ臭いような間だった。


 沈黙のあと、思い出したように口を開く。


「権藤だ」

「権藤剛」


「矢代」

 名字だけ返す。


 権藤が小さく頷く。


 物陰から様子を窺っていた子供たちが、少しずつこちらに近づいてくる。

 遠巻きに見つめる視線に、これ以上長居する理由もないと判断する。


「また明日来る」


 権藤が、短く頷き返す。


    


 ジムニーに戻り、エンジンをかける。


「歓迎されたのか、恐れられたのか」


「両方だろうな」

「子供は歓声、大人は青ざめる」

「同じ光景を見て、これだけ反応が割れるのも珍しい」


「お前はどっちだ」


「私は統計を取っていただけだ」

「感想は担当外だ」


 バックミラーに、遠ざかる塀が映る。

 まだ何一つ決まっていないのに、糸口だけは残った気がした。


基本深夜1時投稿予定。

毎日作成毎日投稿。

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