表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
元自衛官、ゾンビに噛まれる。相棒AIは「おめでとう、統計上の死亡例だ」と言った  作者: makubes
2章「彷徨」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
12/16

第9話「蝉時雨」

 セミの声で目が覚める。

 まだ日も高くない時間なのに、もう一匹二匹と鳴き始めている。

 気の早い奴らだ、と思いながら体を起こす。


 台所に立ち、鍋に湯を沸かす。

 素麺の束を掴み、帯を外す。

 沸いた湯に放り込み、菜箸でほぐす。

 茹で上がったところでザルに上げ、水を切る。

 節約のため、冷水で締めるのは諦める。


「今日の水配分、残り四十二パーセント」

 リストバンドから、キーロンの声が挟まる。


「分かってる」


 丼に盛った素麺は、まだ湯気を立てていた。

 啜ると、いつもの喉越しとは少し違う。

 締めていない分、麺がやわらかい。

 それでも腹には十分入る。


「セミが鳴き始めたか」


「例年の初鳴きは六月下旬から七月上旬」

「今年の観測時期と大きな差はない」


 軽口というより、事実確認に近かった。

 それでもこの手の掛け合いが、朝の一部に馴染んでいる。


 食べ終えた丼を水で軽くゆすぐ。

 港南学校との交易は、今週も変わらず続いた。

 特筆することもなく、いつも通り物資を渡し、いつも通り野菜と水を受け取った。


 箸を置き、今日の予定を頭の中で組み立てる。

 外はもう、セミの声で満ちていた。


    


 幹線を外れた通りに、郵便局が建っている。

 シャッターは半分だけ下りていて、隙間から中の様子が見えた。

 男が二人、しゃがみ込んでATMのパネルをこじ開けている。

 工具の音が、静かな通りに規則的に響く。

 もう一人が、開いた投入口から札束を掴み出しては、リュックに詰め込んでいた。


 見なかったことにして、通りを進む。


「紙幣、燃料としての価値はある」

「着火材として優秀だ、油分を含んだインクのおかげで火付きがいい」

「換金価値はゼロだが、資源としてはまだ生きている」


「トイレットペーパーの代わりにもならないな」


「紙質が違う、吸水性がない」

「代用は不可能ではないが、快適さは保証しない」


 背後で、男の一人が歓声を上げる声が聞こえた。

 振り返らずに、そのまま歩き続ける。


    


 住宅街の外れに、小さな個人商店があった。

 看板は色褪せて読めないが、軒先の自販機がまだ光っている。

 引き戸を開けると、店内はほとんど空だった。

 棚という棚が、すでに誰かの手で拾い尽くされている。

 奥から、古い冷凍ケースの唸る音だけが聞こえていた。


 電源がどこから来ているのか、確かめる気にもならない。

 蓋を開けると、氷の霜に埋もれてアイスが並んでいた。

 見向きもされなかったのか、それとも誰かが遠慮したのか。

 理由は分からないが、そこだけ手つかずのまま残っている。


 適当に一本掴み、包装紙を破る。

 指先が、まだ冷たさを保っている表面に触れる。


 齧りつくと、氷の粒がざりっと歯に当たる。

 頭の芯まで、冷たさが一気に抜けていく。

 遅れて、甘さが舌の上に広がってくる。

 溶けかけた雫が、棒を伝って手の甲に落ちる。

 舐め取る間もなく、次の一口を齧る。


 棒だけになるまで、あっという間だった。

 口の中に残った甘さの余韻を、しばらく味わう。


 木の棒をゴミ箱に放り、店を出る。


    


 住宅街に入り、一軒ずつ様子を見て回る。


 臭いの強い家には入らない。

 腐敗が進んでいるということは、中に何かがいるということだ。

 バリケード化された家にも近づかない。

 誰かが立てこもった末に、何があったかは考えるまでもない。


 基準はそれだけで、あとは感覚に任せる。


 玄関の鍵が開いたままの家を覗く。

 棚はもう空だった。

 隣の家も、その隣も同じ。

 誰かが先に通った跡が、あちこちに残っている。


 三軒目、庭先に洗濯物が干しっぱなしになっている家があった。

 色褪せて、雨に打たれ続けたのが分かる布地。

 窓は割れていない、荒らされた形跡もない。

 臭いも薄い。


「屋内、映像なし」

「入るなら手探りだ」


 ドローンを上空に残したまま、玄関へ向かう。

 屋根の下に入れば、キーロンの目は届かない。


 引き戸を静かに開け、中へ入る。


 薄暗い廊下を進む。

 カーテンが閉め切られ、昼間だというのに家の中は夜のように暗い。

 目が慣れるまで、その場でしばらく待つ。


 奥から、微かな音がした。

 衣擦れのような、あるいは床を擦るような。

 足を止め、耳を澄ませる。


 音は止まない。

 ゆっくりと近づいてくる。


 とっさに、廊下脇の納戸に体を滑り込ませる。

 戸を完全には閉めず、隙間だけを残す。

 息を潜め、その隙間に目を寄せる。


 廊下を、影が横切った。

 着衣は判別できないほど汚れ、歩みは緩慢だった。

 通り過ぎる直前、影がふと立ち止まる。


 顔の向きが、こちらを向いた気がした。


 心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。

 バールの柄を握る手に、力がこもる。


 だが影は、再び動き出す。

 振り返ることなく、廊下の奥へと消えていった。


 しばらく動けずにいた。

 気のせいだったのか、それとも。

 考えても答えは出ない。


 十分に間を置いてから納戸を出て、家を後にする。

 この家に収穫はなかった。


    


 次の家は、玄関先に段ボール箱が積まれたままだった。

 宅配の伝票が、まだ色褪せていない。

 中身は開けられずじまいらしい。

 臭いも薄い。

 基準に照らせば、問題のない家のはずだった。


 玄関の鍵はかかっていた。

 力任せにこじ開け、中へ入る。

 廊下を進む。

 物色された跡がない。

 棚の上の写真立ても、倒れずそのままの位置にある。


 リビングの襖を開けたところで、足が止まった。


 鴨居から下がった縄の先に、男が一人。

 俯いた顔は影になって見えないが、着ているシャツにはアイロンの跡が残っている。

 誰かが、丁寧に畳んで用意していたもののように見えた。


 布団に寝かされた子供二人に、覆いかぶさるようにして、女が一人こと切れていた。

 最後まで、その体で子供たちを庇うような姿勢のまま動かない。

 乱れた髪が、顔の半分を覆っている。


 掛け布団の襟元まで、きちんと引き上げられていた。

 眠っているようにしか見えない、子供たちの寝顔。

 そのことが、かえって息苦しかった。


 争った様子はない。

 部屋の隅には、たたまれた洗濯物の山がそのまま残っている。

 テレビの上には、家族写真が立てかけられたままだった。

 誰かが最後まで、日常を保とうとしていた跡だけが、そこら中に散らばっている。


 傍らの座卓に、便箋らしきものが一枚置かれている。

 文字までは、読まなかった。


 部屋の空気は、動かない。

 時間だけが、この部屋の中で止まったままになっている。

 そんな気がした。


 校庭で「お菓子は!?」と騒いでいた声が、不意に蘇る。

 悠人が、真っ先に校舎へ走っていく後ろ姿。


「くそ」

 拳を握り、廊下の壁を殴りつける。

「くそっ」

 もう一度。

 壁板がへこみ、鈍い音を立てる。


 それでも、気分は晴れなかった。


 やがて、静かに襖を閉める。

 振り返らずに、家を出た。


    


 翌日は、雨だった。

 朝から降り続く音が、屋根を叩いている。


 外には出ない。

 こういう日は、装備の手入れに充てる。


 バールの柄を布で拭き、金属バットの傷を確かめる。

 特に直す必要のある箇所はない。

 皮手袋の縫い目をなぞり、擦り切れかけた指先を確認する。

 プロテクター入りのバイク用ツナギは、肘と膝の当たりが薄くなってきている。

 ブーツの底も、そろそろ張り替え時か。


 手を動かしながら、雨音を聞く。

 何も起きない時間が、久しぶりに流れていた。


 ふと、思い出す。


「校長の件、まだ返事してないな」


「保留、記録は継続中」

「催促の履歴もない」


「向こうも忘れてるかもな」


「可能性は低い」

「ただし優先度は低い、今考える必要はない」


 それだけで、話は流れた。


 雨は、夕方まで降り続いた。

基本深夜1時投稿予定。

毎日作成毎日投稿。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ