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第9話 白爪兎を捕まえろ

 準備を終えた受験者達が、次々と森の中へと入っていく。


 スカートの裾から覗く銀の魔道装具にそっと手を添える。


 結局1ヶ月かかっても、完璧な調整は出来なかった。


 魔力集積装置による魔力供給を行ったとしても、今の魔道装具の状態では通常起動で10分、過負荷での起動だと30秒も動けば良い方だろう。


 積もった腐葉土に車輪が沈む。


 両腕に力を込めて車輪を回しても、思ったほど前に進むことができない。


 背の高い木々に囲まれた森の中は薄暗く、どこまでも続く同じような景色は、方向感覚を緩やかに奪い取っていく。


 比較的傾斜の少ない地形とはいえ、気を付けて進まなければ、横転する危険もある。


 なにより最大の問題は、試験内容だ。


 白爪兎は爪のように鋭い尻尾を持った兎だけど、その最大の特徴は長い耳と尻尾を使った音による空間把握能力の高さだ。


 普通の兎よりも体が小さく、目と鼻が弱い代わりに、息遣いや心音まで聞き取れるほど音に敏感になっている。


 周りでは他の受験者達の魔法だろうか。大きな音が森中に響く。


 これでは近くに白爪兎がいたとしても、すぐに逃げてしまうだろう。


 そもそも、この地面の状況で車椅子で動き回ることは難しい。


 魔導装具を起動したとしても通常起動では、森の中で白爪兎に追いつけるかも分からない。


「でも、動かないと、何も始まらないよね」


 沈む車輪を強引に回し、慎重にルートを選定しながら前へ進む。


 なんとか前へと進むリリアの正面の茂みが、ガサガサと音を立てて大きく揺れた。


「なに!?」


 身構えるリリアの前に、茂みを掻き分けて現れたのは、鮮やかな金髪に目も絡むような派手なローブを纏った男だった。


「まったく、この僕がどうしてこんなことをしなくちゃいけないんだ」


 ブツブツと文句を垂れる顔は眉間に皺を寄せ、これでもかというほど口を曲げている。


「獣狩りなんて従者の仕事だろうに、まったくふざけた話だ」


 体についた葉を叩いて落としながら悪態をつく男の視線がリリアを見て止まった。


「おや? 誰かと思えば、椅子女じゃないか。こんな森の入り口で何をやっているんだ?」


 リリアの足と、沈む車輪を見た男が大きく口を開ける。


「ははははは! そうか、足が壊れてるから森の奥へ進めないのか! 確かにその馬車もどきじゃあ進むのは無理だよなぁ」


 大声で笑っていた男の顔が急に真顔に戻る。


「はーあ、よし。十分笑ったから、もうお前帰っていいぞ」


「嫌です。帰りません」


 詰め寄り見下ろす男から、目を逸らさずに答える。


 男はリリアを一瞥すると、不機嫌そうに右腕を突き出した。


 突き出された手には、長い耳を乱暴に握られた白爪兎の首が二つ。


「なあ、多少魔法が使えたところで、平民は平民なんだよ。平民が貴族に逆らう意味、分かってるよなぁ」


 ポタポタと滴る鮮血が、リリアの足先に赤い染みを落とす。


「あなたこそ、試験の趣旨を分かっているんですか?」


「はあ? どういう意味だよ。兎を捕まえてこいとは言われたけど、生きたまま捕まえてこいとは言われてないだろ」


 足裏で地面を叩く男が、突き出した右手を、さらにリリアへと近づけてくる。


「たしかに、生きたまま捕まえろとは言っていませんでしたけど、魔法薬の材料に使うとは言っていましたよ」


「はあ? だから、それがどうした・・・・・・」


「魔法薬に使われる白爪兎の部位は尻尾です」


 男の表情が強張り、自分が握る首だけの兎へ視線を向ける。


「尻尾、取りに戻った方がいいんじゃないですか?」


 男は今来た茂みとリリアとを何度も見て、諦めたように茂みへと向かって行った。


「くそっ! お前なんかに言われなくても、僕だって気付いてたんだからな! いい気になるなよ!」


 去っていく男の背中を見送ったリリアは、男の姿が見えなくなったことを確認して、大きく息を吐いた。


「はあー。怖かった」


 地面に残された染みが、生臭い臭いを立ち昇らせる。


「とはいえ、私もなんとかしないと」


 木々の隙間から確認できる太陽は、すでにかなり傾き始めている。


 昔読んだ本の内容を思い出す。


 白爪兎、主食は赤い木の実で、特定の巣を作らず澄んだ清流の近くで過ごし、夜は大きな木のうろなどで過ごす。身の危険を感じると体力が続く限り走り続けて、安全な場所を探す。


 今ある情報だけで、なんとか方法を考えなければならない。


 行ける場所は限られている。


 魔道装具も帰りのことも考えると、実質5分程度しか起動できない。


 目を閉じて耳を澄ます。


 風の音、木の葉の擦れる音、何かが破裂するような音、水が流れる音。


「・・・・・・もしかして」


 リリアの脳裏にある考えが浮かぶ。


 解決策と呼ぶにはあまりにも不確かな方法。


「でも、今の私にできること」


 目を開いたリリアは車輪を回し始める。少しでもそこに近づくために、微かな希望を掴むために。


 ペンダントを外し脚へと嵌める。


「音声入力起動、通常起動開始、出力を安定域で維持」


 ゆっくりと立ち上がり、しっかりと前を見据えて一歩を踏み出す。


 起動時間は10分。


♢♢♢♢♢♢


 遠く聞こえる破裂音で、意識が引き戻される。


 どれくらいの時間が経っただろう。


 頬を撫でる風は少し冷たさを帯び始めている。


 目蓋を抜ける光も、ずいぶんと柔らかくなってきた。


 木の幹と接している背中には、じんわりと汗が滲んでいる。


 時折聞こえてくる虫の羽音と、近くを流れる水のせせらぎが耳を撫で、座り込んだ腰はフカフカの腐葉土に沈み込み、濃い土の匂いが鼻の奥に留まっている。


 かさりと、何かが落ち葉を踏み締める音が聞こえてくる。


 カサカサと探るように近づいてくる何かの、フワリとした重さが足全体に広がってくる。


 落ち葉越しに伝わってくる生命の熱気が、太ももを温めていく。


 ゆっくりと目蓋を開くと、隙間から白い毛並みが揺れているのが見えた。


 驚かせないように、慎重に手を伸ばす。


 両手でガッチリと掴んだ体は柔らかく、赤い瞳がリリアを真っ直ぐ捉えて離さない。


 小さな体でもがく力は弱く、リリアの力でも簡単に押さえ込むことができた。


 白爪兎を追い回すことができないリリアが考えた答え。それは、他の受験者に追い立てられた白爪兎が逃げ込みそうな場所で、静かにただ待つことだった。


 その場所に行くために使った5分。


「ごめんね」


 持ってきていた紐で白爪兎の体を縛る。


 赤く染まり始めた光が森を薄く照らし初めている。まだ太陽は沈んでいない。


 森の中の騒音はまだ、聞こえてきている。

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