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なぜ、公爵を落とせたのか?~天才令嬢は恋も事件も予想できない~  作者: 雪乃 瑞叶


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第9話 魔法の研究者

 重厚な黒の扉を押し開け、魔塔に入った。


 その瞬間、ぱちっと小さな魔法を使った。纏っていた黒いローブの色が、さっと淡いシルバーに変わる。そのまま廊下を歩いていく。


 シルバーのローブは魔塔をまとめる幹部たちのみが着れる色だった。ルティミアは魔塔主だが、バレたくないので幹部と同じ色を着ていた。なので、魔塔でも魔塔主がどんな人物なのか知らないものの方が多かった。


 白を基調とした内装が、窓から差し込む光を柔らかく反射している。足元の床は磨き上げられた白い石で、歩くたびに靴音がコツコツと静かに響いた。廊下の両側には等間隔に柱が並び、その合間から中庭の緑が見える。高級なホテルといっても遜色ない佇まいだ。


 (……やっぱ変えてよかった)


 ルティミアはそう思いながら歩いた。以前の魔塔はひどかった。石造りの薄暗い廊下、黴臭い空気、どこかから聞こえてくる奇妙な実験音。魔道士といえばそういう湿っぽいところにひっそりと籠もって魔法の研究をしている、というイメージが世間に根付いていた。


 でも実際は違う。魔道士だって普通のやつばかりだ。


 魔塔の人材はかなり優秀だった。魔法の才能はもちろん、それ以外の才能を持つ者も多い。交渉が得意な者、分析が鋭い者、医療に長けた者。そういう才能もきちんと見極めて、適材適所に派遣する。それがルティミアが魔塔に来てまず整えたことのひとつだった。


 研究室へ向かいながら、ルティミアは廊下に漂う微かな魔力の気配を感じていた。どこかで誰かが実験をしているのだろう。活気がある。それでいい。


 一番奥の部屋をノックして扉を開けた。


「レイ? いる??」


 声をかけながら中へ入る。この部屋はいつ来ても整然としている。実験道具は種類ごとに並べられ、書物は背の高さ順に棚に収まり、机の上には書きかけの術式のメモだけが几帳面に置かれていた。


 レイの部屋だからだ。この男は幾帳面で、身の回りのものを常に整えておかないと気が済まない性格だった。どこからともなく微かな薬草の香りが漂っていた。


 部屋の奥。床に複雑な紋様が光を帯びて浮かび上がっていた。魔法陣だ。淡い青白い光が脈打つように揺れ、その中心に長身の男が静かに立っていた。


 ――レイ・ラグーンだ。


 男爵家の四男。私生児の彼は勘当同然で家を追い出され魔塔に来た。私生児である彼が他の兄弟よりも優秀すぎてしまったからだ。


 長身で細身のスタイリッシュな見た目に、知的な笑みを浮かべる。口数は多い人物では無いが空気が読め、とても頭の回転が早く優秀な男だ。ユーリ・ハクトと同じく魔塔の幹部の1人だ。


 ふっと、魔法陣の光が消えた。


 静寂が戻る。レイはゆっくりと振り返った。アッシュグレーの髪が揺れ、金色の切れ長の瞳がルティミアを捉えた。


「ルティ? 久しぶりだね。ここに来るなんて、珍しいね」


 穏やかな声だった。驚いている様子はあったが、それを大げさに表には出さない。この男はいつもそうだ。感情の波がない、静かな湖のような男だった。


「レイ、協力してもらおうと思ってさー」


 そう言いながら、ルティミアはふと机の上に目が止まった。


 びっしりと書き込まれたメモの束。術式の計算式、実験の記録、統計のグラフ。几帳面な文字で丁寧に整理されたそれらは、一枚一枚が積み重ねた時間の証だった。


 やっぱりこの人はすごいな。


 ルティミアは感覚で魔法を組み上げるタイプだ。頭の中でイメージが完成して、それをそのまま具現化する。正直なところ、過程を記録したり統計を取ったりする気にはなれない。


 でもレイは違う。根っからの研究者だ。試して、記録して、統計を取って、また試す。確実に、丁寧に、積み上げていく。だからこそルティミアには出せない精度がある。


 同じ優秀でも、まったく違うタイプだとルティミアはいつも思う。


「レイ、今社交界で密かに広がってる噂があってね」


 ルティミアはそこで少し言葉を止めた。


「それが……少し特殊というか。原因がわからないことで」


 また少し間を置く。


 これはレイの興味を引く言い方だ。ルティミアはそれをよく知っていた。原因不明、解明されていない謎。そういう言葉にこの男は敏感に反応する。


「ルティ、お茶を出すよ。ユーリがいいのをくれたんだ。ハーブティは大丈夫だった??」


 レイはそう言いながら、研究室の奥へと歩いていった。


 奥にある扉はレイにしか開けられない。レイの魔法に反応する仕掛けになっていて、他の者が触れても微動だにしない。この几帳面な男らしい設計だとルティミアはいつも思う。


 魔塔には住み込みで生活している者もいる。近くに専用の寮もあるが、レイはずっとここに住んでいた。研究室と自室が隣り合っているこの環境が、この男には一番合っているのだろう。


 ルティミアは研究室のソファに腰を下ろして待った。


 しばらくして、レイが戻ってきた。小さなトレイにティーカップとクッキーを乗せて静かに運んできた。ふわりといい香りが漂ってきた。ハーブの柔らかな香りが、魔法陣の気配が残る研究室の空気に溶けていく。


「それで? 詳しく聞かせてよ」


 レイはティーカップをルティミアの前にそっと置いてから、向かいのソファに腰を下ろした。金の切れ長の瞳がルティミアを静かに見ている。


「実はさ、私もそこまで詳しくわかってないんだけど」


 ルティミアはカップを両手で包むように持ちながら、記憶を手繰り寄せた。ソフィリアが夜会で声を潜めて話してくれたことだ。


「貴族の令息が、記憶障害を起こしてるらしいの」


 ハーブティの香りが鼻をくすぐる。柔らかくて、少し甘い。でも今はそれを楽しむ余裕があまりなかった。


「えっと……記憶がかなり飛んじゃう人もいたり、頭が少しおかしくなったり……昏睡状態の人もいたんだったかな」


 ソフィリアも半信半疑だと言っていた。でも上位貴族の息子や高官の息子も含まれているとなれば、噂の域を超えているかもしれない。


「ん? 何か病気でも流行り出したの?」


 レイは不思議そうに眉をひそめた。普段感情を表に出さない男が、珍しく顔に疑問を滲ませている。カップを持つ手はそのままに、金の瞳がルティミアをじっと見ていた。


「いやぁ、そうじゃないらしいの! どうやら特定の人だけらしくて。えっと……浮気の気がある令息だけ!!」


 レイはしばらく黙った。アッシュグレーの髪が微かに揺れる。何かを考えているのか、視線が少しだけ宙を泳いだ。


「令嬢達が呪いの儀式でもしてるの?」


 ごぶっ。


 ルティミアはお茶を吹いた。慌ててカップをトレイに戻し、口元を手で押さえる。こぼれたお茶がソファのひじ掛けに少し跳ねた。


「……流石レイね」


 レイはルティミアにハンカチを渡した。


ハンカチを受け取り口元を拭きながら、ルティミアじわじわと笑いが込み上げてくるのを感じた。


「私とまったく同じこと言ってるわ。でも、呪いの儀式ではないみたいよ」


「でも記憶に関する魔法は難しい。不特定多数の人にかけるなんてできるのかな」


 レイは冷静に言った。感情を交えず、ただ事実として整理するような声だった。


「しかもそれだけの共通点だろ。偶然とかではないのかな。」


 金色の瞳がわずかに細くなった。頭の中で何かを組み立てているのがわかる。レイがこういう顔をする時は、すでに考察が始まっている。


「上位貴族や高官の息子も被害者がいるようで、お偉いさんが密かに動いてるらしい」


 ルティミアはソフィリアから聞いた話を、自分で調べたかのように淡々と話した。情報の出どころを明かす必要はない。レイも聞いてこないだろう。


 しばらく沈黙があった。


「……君の目的は? 犯人探し?」


 レイは静かにそう言った。責めているわけでも、驚いているわけでもない。ただ、真っ直ぐにルティミアを見ていた。


 ルティミアはにこっとした。


「ふっ、犯人なんてどうでもいいんだね」


 レイがぽつりと言った。そしてすぐに、柔らかく微笑んだ。


「その記憶障害の原因の方が知りたいんだね。何故そうなったのか」


 その通りだった。ルティミアは犯人を捕まえたいわけでも、正義を振りかざしたいわけでもない。ただ、わからないことがわからないままなのが気持ち悪かった。どうして記憶が壊れるのか。どんな原理で、どんな術式が使われているのか。その謎の方がずっと気になっていた。


 レイはそれを一言で言い当てた。


 この男はルティミアの本質をよくわかっている。言葉の表面ではなく、その奥にある動機を見る。長い付き合いだからこそかもしれないし、この男が元々そういう目を持っているからかもしれない。


 レイもまた、ルティミアと同じく前魔塔主の弟子であった。

 

 ルティミアはレイのその微笑みを見て、少し安心した。


「そう! これはもう少し経緯なんかを調査するつもり。記憶を取り戻す方をレイと一緒に研究したいのよ!」


 ルティミアはにこっと微笑んだ。美しい笑顔だった。だからこそ少し怖い。この顔をする時、この女は大抵とんでもないことを言っている。


「……言うと思った」


 レイは小さく呟いた。呆れているのか、納得しているのか、その両方か。穏やかな顔のまま、少しだけ眉を下げた。


「そんなことできるのかな。なくなったものをどうするのさ。思い出させるのは、難しさが段違いだよ」


 穏やかな声だった。責めているわけでも、否定しているわけでもない。ただ淡々と、事実として並べていく。それがレイという男だった。


「それを、何とかできたら面白くない?」


 ルティミアは楽しそうだった。目が輝いている。こうなったら止まらない。


「そんなこと、流石のルティにもできるかな」


「レイとならできそうじゃない?」


 ルティミアはひかなかった。にこりと笑顔のまま、まっすぐにレイを見ている。


 レイはしばらく黙った。金の切れ長の瞳がルティミアを見て、小さくため息をついた。


 結局いつもこうなる。ルティミアの熱量に、レイは負けてしまう。断る理由を探しても、気づけば手伝っている。それがいつものことだった。


「……わかったよ。手伝うよ」


レイが折れた。ルティミアが嬉しそうにしている。


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