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なぜ、公爵を落とせたのか?~天才令嬢は恋も事件も予想できない~  作者: 雪乃 瑞叶


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第10話 公爵の悩みの種

 はぁ。


 静かな執務室に、小さなため息が響いた。


 窓から午後の光が斜めに差し込んで、磨き上げられた床に長い影を落としていた。調度品は厳選されたものだけが置かれていて、余計なものがない。棚には整然と書類が並び、机の上も必要なものだけが配置されている。華やかさより機能性。でも安っぽくはない。置かれているもの一つ一つに品がある。


 この部屋に来た者は皆、主の性格をそこから読み取るという。爽やかで、無駄がなく、でも隙がない。


 机の端に、小さな小瓶がひっそりと置かれていた。窓から差し込む光を受けて、中の結晶がきらりと一瞬輝いた。


「なぜ突然こんなことが起きだしたんだ……原因は何なんだ」


 はぁ、ともう一度ため息をついた。


 ため息の主はこの執務室の主、アルセン・リードだった。


 帝国宰相という立場上、頭を抱えることは珍しくない。だがこれは少々毛色が違った。原因が掴めない。手がかりが薄い。そしてじわじわと被害が広がっている。


 アルセンは椅子の背にもたれながら、天井を仰いだ。整った顔が、珍しく険しくなっていた。


コンコン。


「どうぞ」


「アルセン様。失礼します」


 扉を開けてカイルが入ってきた。


 昨日より、くたびれている。目の下にうっすら疲労の色が滲んで、いつもきちんと整えられた服装も、わずかに乱れていた。


 それもそのはずだ。最近のカイルはある問題の調査に駆り出されて、帝都中を動き回っている。なかなかしっぽの掴めない事ばかりで、日に日に消耗していくのが傍目にも見て取れた。


 優しい顔をした悪魔のせいで。


 アルセンはそれを知りながら、特に気にしなかった。 仕事だ。


「どうだ? 何かわかったか?」


 アルセンは尋ねた。


「えぇ、少しは……」


カイルは疲れた顔のまま、手に持っていた書類をアルセンの机に置いた。


 今社交界で密かに話題になっている、令息たちの記憶障害についての調査報告だ。被害者の名前、症状の詳細、性格、素行。カイルが足で稼いだ情報が几帳面にまとめられ、整然と並んでいる。


 アルセンは書類を手に取り、一枚ずつ静かに目を通した。表情は変わらない。爽やかな顔のまま、でもその目だけが鋭く文字を追っていた。


「被害者は年齢も爵位もバラバラだな。症状の重さもそれぞれ違う」


 アルセンは書類を眺めながら、静かに呟いた。


「共通点は男ということと……女好きってことくらいか」


 眉をわずかに顰めた。爽やかな顔に、珍しく困惑の色が滲んでいた。


「えぇ、そうですね。グラディア侯爵は息子が昏睡状態になっているので、かなり焦っているようで。帝国中の魔導師や神官をかき集めているみたいです。」


 カイルはそう言いながら、ぺらっと書類をめくった。細い指が一点を指さす。


「被害者はたいそう可愛がっている長男です」


 アルセンは示された箇所に目を落とした。グラディア侯爵家の長男。年齢は二十二。昏睡状態、原因不明。発症から三週間が経過している。


 ふっとアルセンが笑った。


「グラディア家は次男の方が優秀だからな。これで優秀な次男が侯爵を継げるじゃないか。馬鹿な長男が女遊びを続けるから、女に仕返しでもされたんじゃないか」


 爽やかな顔で、サラッと言った。


 カイルは冷めた目でアルセンを見た。


 ……相変わらず口が悪い。


 この整った顔に騙されて、帝国中の令嬢たちが信仰にも近い感情を抱いている。可哀想に。本性を知ったら卒倒するだろう。


 カイルはそれを口には出さなかった。出したところで何も変わらないことを、長年の付き合いでよく知っていた。


「この女好き共の共通点は何だ。怒り狂った令嬢たちが呪いの儀式でもしたのか?」


 アルセンが言った。冗談のような口ぶりだったが、目は笑っていない。


「そんなことしてたら一大事ですよ……」


 カイルが呆れた、飽き飽きしたような声で返した。


「でも何かしらの原因はあるはずだ」


 アルセンは書類に視線を戻した。一枚一枚、再び丁寧に目を通していく。


 しばらく静寂が続いた。


 ふむ、と小さく声が漏れた。


「……皆、婚約者がいるな」


 アルセンの目が細くなった。被害者全員の欄に、婚約者の名前が記載されている。偶然にしては、綺麗に揃いすぎていた。


「この婚約者からは事情を聞いたか?」


 アルセンはカイルに尋ねた。


「婚約者ですか? えぇ、聞きました」


 カイルは書類をめくりながら答えた。


「でも皆、知らないの一点張りで。何の情報も漏らしませんでした」


 それだけ言って、静かにアルセンを見た。


 カイルは優秀だ。聞き取りの難しい相手からも情報を引き出す。それでも何も出なかったということは、令嬢たちが意図的に口を閉ざしているか、本当に何も知らないかのどちらかだ。


「カイル。婚約者の令嬢たちの動向は今後も追ってくれ。時間が経てば焦って、何か出すものもいるかもしれない」


 アルセンの目が、いつもの涼しげなものに戻った。


「後は彼らの症状を何とかできたら、たぬき親父共を黙らせることができるんだが……」


 今日何度目かわからないため息が、また静かな執室に漏れた。


 若くしてこの地位に就き、山のような仕事をこなす。元老たちはアルセンを若いと侮り、面倒な案件を次々と押しつけてくる。だがアルセンはそれを全て片付けてしまう。結果として元老たちをさらに苛立たせているのだが、本人はまったく気にした様子がない。


 カイルはそれを間近で見てきた。尊敬している。絶対に口には出さないけれど。


「魔塔に依頼してみますか? 体制が変わって依頼がしやすくなりましたし、優秀な者も多いですから。昏睡状態の方には効果があるかもしれません」


 カイルが提案した。


「昏睡状態から目覚めさせるくらいはできるかもしれないが」


 アルセンは書類に視線を落としたまま言った。


「飛んだ記憶を戻すなんてことは無理だろ?頭はどうにもならないだろ」


 期待していない口ぶりだった。否定しているわけでもない。ただ、現実的に考えてそう思っている。それだけだ。


「そういえば、魔塔主が変わったんだったな。あの性格の悪い女は引退したんだったな。あの性格は中々のものだったな」


 アルセンがふと思い出したように言った。


 ――いや、性格の癖の強さならあんたもいい勝負だよ。


 カイルは心の中で静かに突っ込んだ。顔には出さない。


「えぇ。どれくらい前でしたか……それからずいぶん魔塔が変わりました。今回の魔塔主はえらく賢く、思い切りのいい方のようです」


 カイルは答えた。実際、魔塔の評判は近年で大きく変わった。以前の陰気で近寄りがたいイメージはすっかり薄れ、今では優秀な人材が揃う機関として帝国内で一目置かれている。新しい魔塔主の手腕だろうと、カイルは思っていた。


「カイルはどんなやつか知っているのか? 前魔塔主は呼んでもないのにあちこちに出没する厄介なやつだったが、今回のやつはえらく引きこもりらしいな」


 アルセンはカイルに尋ねた。


「いえ、お会いしたことはありません。どんな方かの情報も一切掴めていなくて」


カイルは少し眉をひそめた。


「性別ですら定かではないんです。美人な女性とか、ガタイのいい男とか、白髪の老婆とか……いろんな噂は耳にしますが、どれも信憑性に欠けます」


 情報収集に長けたカイルが、それだけ言って口をつぐんだ。


 アルセンはそれを聞いて、少し考えた。


 ――カイルですら掴めない存在か。


 さすが魔塔主になるほどの実力、というべきか。それとも、意図的に姿を隠しているのか。どちらにせよ、なかなか食えない相手らしい。


「……今回の件、魔塔が絡んでたりしないよな?」


 アルセンがカイルをじっと見た。


「え? 魔塔がですか?」


カイルは思わずアルセンを見返した。今何を言ったんだこの人は、という顔だった。眉が少し上がって、目が微かに丸くなっている。普段感情を表に出さないカイルにしては、珍しい顔だ。


「なんの目的でですか?魔塔にメリットありますか?」


 すぐに冷静な声に戻ったが、どこかまだ「突拍子もないことを言うな」という空気が残っていた。


「うーん……魔塔のレベルならこういうことができるかもしれませんが、やっぱり理由がありませんよ」


カイルが言い切る。


「そうだよな。どれか一つでも原因を特定するヒントでもあればいいんだが……」


アルセンは腕を組んで、静かに目を閉じた。情報が足りない。手がかりが薄い。このまま婚約者の動向を追い続けるしかないのか。


 しばらく沈黙が続いた。


「この問題はもう暫く詳しく知る必要がある。引き続き調査してくれ」


 今日何度目かわからないため息が、また静かな執務室に漏れた。


「たぬき親父どもには適当に言って追い返す」


 アルセンが面倒くさそうに言った。爽やかな顔のまま、でも声にわずかに疲労が滲んでいた。


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