第4話 魔塔とルティミア
ルティミアは目的のものを買うと、屋敷には戻らなかった。
こういうイライラする時は魔法に限る。
人通りの多い大通りを外れ、細い路地裏へと足を向ける。辺りを確認した。誰もいない。
静かに魔法陣を展開した。足元に淡く光る紋様が広がり、次の瞬間にはその場から姿が消えていた。
そしてルティミアは目的地へ移動した。
降り立ったのは、帝国のあらゆる魔法を管理する魔塔の前だった。
「師匠!!」
魔塔の入口の方から、可愛らしい声が飛んできた。
「やあ、アッシュ。久しぶりだね」
ルティミアはその声の主に爽やかな笑顔で挨拶をした。
「いや、師匠。久しぶりだね、じゃありませんよ!仕事溜まってますよ!師匠、魔塔主のくせに全然魔塔に来ないんだから!」
まだ幼さを残す顔立ちの少年がルティミアに怒っている。
「今日は減らして帰る」
ルティミアはさらりとそう言って、アッシュと建物の中に入る。
白亜の魔塔は帝都の空を貫くようにそびえ立ち、黒いアイアン装飾がその美しさを際立たせていた。
洗練された優雅さを持ちながら、どこか人を寄せ付けない異質な威厳を纏っている。
魔塔は、帝国トップの魔導士たちが所属し、帝国の魔法に関する研究・開発・運用を担う中枢組織である。
魔塔と言えば、地味で陰気な場所だと思われがちだ。薄暗い石造りの建物に、偏屈な魔導士たちが籠もっている――そんなイメージが、世間には根強くある。
もっとも、そう思われるのも無理はなかった。
もともと魔塔は、王宮ですら干渉できない独立機関だ。外から口を出す者は、誰もいない。だからこそ、内部をどう治めるかは、すべて魔塔主の手に委ねられていた。
ところが、その実態は無法地帯に近かった。明確な規則も、組織だったまとまりもない。常に資金難を抱えながら、皆が思い思いに、怪しげな研究ばかりに明け暮れていた。
それもそのはず。前魔塔主は、魔法の才も人を惹きつける魅力も並外れていたが、組織を治めることにかけては、まるで無能だった。「好きにやりなさい」が口癖で、運営も経営も、まるで頓着しなかったのだ。
外から律する者もなく、内から律する者もいない。そうして魔塔は、ただ自由なだけの場所になっていた。
しかし、今の帝国の魔塔は違う。とても綺麗だった。
ルティミアが魔塔主に就いた時、開口一番にこう言ったのだ。こんな陰気な場所では仕事ができない、と。そしてそのまま、何もかもを変えてしまった。さすがの財力と魔力の力だった。
そのおかげか、魔導士たちもどうやら、随分と仕事がしやすくなったようだった。さらに思わぬ副産物として、魔導士といえば陰気でコミュ障、という長年のイメージまで払拭されたらしい。
そもそも帝国では、魔法が使える者と使えない者は、だいたい半々だ。使えない者でも立派に仕事をしているし、魔法が使えるからといって特別というわけではない。使えない者も魔力は少なからず持っていて、魔道具を媒体にすれば魔法は使える。そうやって、魔石を埋め込んだ剣で戦う魔導騎士も多くいる。
ただ、魔導士という職業は意外と人気がなく、地味で陰気な者ばかりだと、なぜか思われていた。それは、魔塔の雰囲気がそうさせていた部分が大きかった。
磨き上げられた白亜の廊下に、二人分の靴音が静かに響いた。建物に入ったルティミアとアッシュの会話は続いていた。
「定期的にちゃんと来てくださいよ。一応魔塔主なんですから」
アッシュは呆れたように言った。言ったところで無駄だろうな、とは思いながら。
「そうだけどさー。師匠が引退するからやってくれって言われてさ……まあ、あの広い研究室もくれるって言われたから」
割と不純な動機で、魔塔主という大役を引き受けていた。
しかし誰も反対しなかった。それだけの実力が、ルティミアには十分すぎるほど備わっていたからだ。
「そうだアッシュ!お土産あるよ!」
ルティミアはアッシュに袋を見せた。
「えっ!お土産!!今日は何ですかー!!」
アッシュは嬉しそうに前を歩くルティミアに駆け寄った。
ルティミアの隣を歩くアッシュは、お菓子の入った袋を大事そうに両手で抱えていた。嬉しそうに、大切そうに。
ルティミアは思わず微笑んだ。
可愛いやつめ。
アッシュは可愛い。
まだ十五歳。淡いピンクの髪に、小さな顔。スカイブルーのつり目がちな大きな瞳と、血色のいい頬。小柄な体つきをしている。
ルティミアの弟子だ。とはいえ、特に教えることもない。それどころか、ルティミアが来ない間の仕事まで難なくこなしてしまう。優秀すぎる弟子だった。
「ごめん、アッシュ。今日は研究室にこもる。ちょっと発散したくて」
「発散……」
アッシュはちらりとルティミアを見た。
発散。それはあの空間を使うということか。相当いらつくことがあったのだろうと、師匠の横顔を窺う。
「わかりました。やり過ぎないでくださいね」
やがて2人は重厚な扉の前に着いた。黒鉄と思しき素材で作られていて、古い洋館の奥にでもありそうな、アンティーク調の佇まいだ。
装飾的な金具が縁に沿って施され、表面には細かな魔法陣の紋様が刻み込まれている。近づくだけで微かな魔力の気配が漂う。普通の人間が無闇に触れれば弾き飛ばされるだろう、そういう扉だ。
ルティミアはそれを難なく押し開けて、扉の外にアッシュを残し一人中へ入った。
広めの研究室だった。実験道具が整然と並び、見慣れぬ素材が棚を埋め、分厚い本が積み上げられている。どこか生活感のある、使い込まれた空間だ。
その奥に、小さな木の扉がある。
ルティミアはそれを開けた。奥は、見えない。
体が吸い込まれるような感覚があって、次の瞬間には別の場所に立っていた。
青空が、どこまでも続いていた。果てがない。地面には小さな花が静かに咲いている。現実のように見えて、ここは亜空間だ。
かつてルティミアの師匠が作った場所だった。ただ空を眺め、心を落ち着かせるために作ったのだという。師匠はここをルティミアに譲ってくれた。
だが、ルティミアはそんなヒーリングには使っていない。
「くそったれーーー!!」
叫んだ。
同時に、魔法陣が展開された。静かな亜空間に、轟くような魔力が溢れ出す。街ひとつ消し飛ばしてもおかしくない、最上級の火力の攻撃魔法だ。
それを空に向けて放った。
凄まじい光が青空を貫き、そのまま亜空間の空に吸い込まれ、消えた。
この空間は、あらゆる魔法が一定の距離で自動的に消滅するよう設計されていた。師匠がかつて新しい魔法陣の威力を試すために作り上げたものだ。だからこそ、ルティミアはここで思い切り発散できる。
先ほどの失礼な男への怒り、夜会の疲れ、婚約者探しのうんざり感。それら全てをひっくるめて、ルティミアは思い切り発散した。
「どいつもこいつも結婚結婚うるさい!! できるもんなら私だってしたいわよーー!!」
ありとあらゆる暴言を吐きながら、魔法を放ち続けた。轟音が響き、光が空を貫き、そして消える。また放つ。また消える。
師匠もまさか、自分が心を落ち着かせるために作った亜空間が、こんなバッティングセンターのような使われ方をされているとは思わないだろう。
……いや。
あの人のことだ。予想した上で、魔法陣を消さずに譲渡したのかもしれない。
ルティミアはここでは魔力を調整せずに放てる。それが楽しくて仕方なかった。全力疾走しているような、解放感だ。
バタッ
そのまま、仰向けに倒れ込んだ。肩を大きく上下させ、荒い息を吐いている。投げ出された手足、乱れたスカートの裾から、膝先が覗いていた。
貴族令嬢が決して外ではできない格好だ。はしたないと怒られる、軽蔑される、そういう行動。でもここには誰もいない。
まるで野原に寝転んでいるような気分だった。
見上げると、青空が広がっている。足元には小さな花が咲いている。魔法がかけられているから、この空間にある限り枯れることがない。
……相変わらず化け物だな、あの人は。
こんな空間を作ってしまうのだから普通の人にはできない。膨大な魔力と知識、それと頭のネジがいくつかぶっ飛んでいなければこんな芸当はできないだろう。それがルティミアの、師匠で前魔塔主だった。
師匠のことを思いながら、ルティミアは静かにそう思った。
しばらく、漂う風に体を委ねた。放ちすぎて疲れた体が、少しずつ落ち着いていくのを感じる。
むく。
起き上がった。
そろそろ出るか。ルティミアはぼんやりと思った。
……何時間経ったんだろう。アッシュが出てこなくて心配しているかもしれない。
あの子は意外と心配症だから。
部屋へ戻った。
あれから二時間が経っていた。
「師匠!! お帰りなさい!!」
ルティミアの気配を感じたのか、偶然か。アッシュが部屋に入ってきた。大量の書類を抱えて。
……まじか。
「アッシュ君……その書類……もしかして、私の仕事でしょうか??」
引き攣った笑顔でアッシュに尋ねた。
アッシュは何も言わずに、その書類を机の上にどさりと置いた。
「今日はこれだけですよ」
にっこり笑った。
「魔塔主に依頼したい内容とか、魔法の許可とか、魔導士たちの派遣依頼とか……いろいろありますから。そういうのはあなたの許可がいる事もあるんです!」
「ユーリは?? 派遣許可とかそういうのユーリの部署の仕事でしょ!? ユーリに魔塔主譲ろうかな……私より遥かに優秀だよ。」
ルティミアは机に項垂れた。
「私の魔塔主なんてお飾りだよ!師匠も好き勝手してたよー。ユーリ呼んでよアッシュ!」
アッシュはそんな師匠の姿を見て、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。それから魔道具を取り出し、静かに発動させる。連絡用の魔道具だった。
「ユーリ様、ルティミア師匠が来ています。研究室に来てください」
アッシュはそう簡潔に言った。
ガチャ。
しばらくするとノックもせずに入ってきた。
「あんた、やっと来たか」
レンガ色の赤みがかったストレートロングのブラウンヘアに、同じ色のたれ目の瞳。不躾に扉を開けた女性が立っていた。
ユーリ・ハクトだ。庶民の出だが、魔法の才能と頭の良さで元魔塔主に拾われた一人だ。そして、ルティミアとは、同じ師のもとで育った気心の知れた仲だった。
「ユーリ!魔塔主やらない??」
ルティミアはユーリの顔を見るなり、そう言った。
「は?何寝ぼけたこと言ってんだ。絶対嫌だよ!」
ユーリは言い切った。
「てか、あんたほとんどこっちに来ないんだからそもそも魔塔主として機能してないからね!!」
「いや、私はねお飾りなんだよ。そういう約束の元で引き受けたんだから!ここに籠って仕事しないってね!」
ルティミアはきっぱりと言い切った。
「だから魔塔の体制を整えたんだよ。ちゃんとした課もない、曖昧な役割のまま膨大な仕事させられて、才能のある人間が埋もれて……陰気で嫌われ者の魔塔をさ」
ルティミアが前魔塔主から引き継いで、およそ五年。古くからのやり方が残る全てのシステムを変えた。文句を言う者は片っ端から黙らせた。
結果、魔塔のイメージは見違えるほど良くなり、仕事の回りもよくなった。長年詰まり続けていた水道管の詰まりがようやく取れ、水がどっと勢いよく流れ出すような、そんな変わりようだった。
「ユーリやレイ、リリア達みたいな優秀な人材をちゃんと適材適所に送り込んだでしょ?まあ、ここまでできたのは、みんなの力のおかげだけど」
ルティミアがこの魔塔の体制を整えたのは、ひとえに魔塔主の仕事を極力減らすためだった。いちいち魔塔主の許可がいらないような依頼は他の者に任せられるよう、組織を整え、役割を明確にし、必死になってシステムを作り上げた。全ては自分が来なくても回るようにするために。
ルティミアは一応伯爵家の長女なので、家をあけて魔塔に籠ることは出来なかった。家業の手伝いや、社交界での付き合いなど色々忙しい。そもそも、両親には魔塔主であることは言っていない。魔塔で手伝いをしているとしか言っていなかった。
「それでも大きな案件や上位魔導士の派遣はあんたの許可がいるんだから!アッシュが手伝ってくれてるからギリ回ってるって感じなんだからね!」
ユーリが言い返した。
ルティミアは少し考え込んだ。上手く回って入るようだが思ったより魔塔主としての許可がいる案件が最近は多く来ているようだ。
「よし、的確にこの書類を私の屋敷に送れるように魔法陣を作る!そうすればここに来なくてもいいよね?自室で仕事が出来るなら家の仕事を手伝いながらでもできそうね。」
ルティミアはやる気だった。
「師匠?! そんなもの長距離で送るなんて無理ですよ!! ポータルのような複雑な魔法陣じゃ物が壊れますよ?」
アッシュが心配そうに言った。
人を運ぶためのポータルはとても複雑な魔法陣が組まれていて、物はその魔法陣に耐えれない。あくまで生き物だから干渉せずに使えるのだ。
ぶわっと、ルティミアの周りに魔力が満ちた。
夕陽色の髪が靡く。
静かに呪文を唱え、複雑な魔法陣を組み始めた。陣が出来たと思うと崩れ、また新たな陣が編まれる。崩れ、編まれ、崩れ、編まれる。ルティミアは魔力を少しずつ洗練させながら、より的確な陣を作り上げていく。
夜空色の深い紺碧の瞳が、きらきらと光った。
ルティミアの頭の中では、すでに完成形が見えていた。それを一つ一つ、丁寧に具現化していく。
アッシュは思わず見惚れた。
魔法を扱うルティミアは、いつもと違う。幻想的で、綺麗だった。
「やっぱルティの魔法は綺麗ね」
ユーリがぽつりと呟いた。
「ふぅ」
しばらくして、ルティミアがため息をついた。
机の上には二つの魔法陣が浮かんでいた。
「これで行き来できるかな。この書類で試していい??」
ルティミアは先ほどアッシュが机に置いた大量の書類を指差した。
「だめです!!なくなったら困ります。ではこれで。この書類は廃棄のやつですから」
アッシュはメモ用紙のような紙の束を渡した。
ブゥン。
魔法陣が発動した。送る方に置かれた紙の束が消え、もう一つの陣の上にそっと現れた。
「うん。送る仕組みは問題ないわね。紙も破損がないわ」
ルティミアは紙を手に取って確認した。
「あとは距離ね……」
「アッシュ、行こう。 多分まだ終わらないから」
ユーリがアッシュにそう言った。
魔法研究に没頭するルティミアを置いて、二人は部屋を出た。
「はっ!!」
ルティミアは顔を上げた。
「今何時だ!? 三時間……あれから三時間!? やばい、家に帰らなきゃ!!」
「アーーーシューーーー!!」
ルティミアが叫んだ。
「師匠!何事ですか!うるさいです!!」
バンっと扉が開いた。
「終わったんですか?」
アッシュが聞いた。
「ええ、まあいけてるはずよ。ここに魔法陣置いていくから、それとこれ、発動方法ね! あなたなら余裕だと思うから! 私そろそろ帰るね!」
ルティミアはメモをアッシュに渡すと、素早く姿を変えた。ローブを羽織り、フードを被る。そのまま急いで魔塔外へと飛び出してしまった。
「師匠……仕事、何一つ終わってないですよ……」
アッシュはぽつりと呟いた。主人のいない、静かな部屋で机の上の大量の書類の山を見つめた。
ルティミアは大通りに出て、馬車を拾った。
屋敷の手前で降り、門の近くでフードを取り、姿を戻した。
……やばい。やばい。完全に忘れてた。
今日は家族でディナーを取る日だ。早く帰らないとお母様の雷が落ちる。
ルティミアはかなり焦っていた。
「ルティミア様! どこに行かれてたんですか!? こんな時間まで……もうすぐディナーのお時間ですよ!!」
侍女のラーナが怒っている。
「ごめんラーナ!!お説教は後で聞く!準備手伝って!」
ルティミアはラーナごと部屋に入った。ローブと地味な服を脱ぎ捨て、いつものドレスを着る。乱れた髪をラーナに直してもらう。
コンコン。
「お嬢様。お食事の準備が整いました」
執事が時間通りに迎えに来た。
よし。間に合った!!
「ええ。すぐ行くわ」
執事と一緒に食堂へ向かう。父と母はすでに席に着いていた。
「遅くなりました」
ルティミアもさっさと席に着き、静かなディナーが始まった。
ルティミアの父、アルノ伯爵家が口を開いた。
「ルティ。昨日の夜会はどうだった」
……来た。
「いつも通りでした」
そう短く返した。
はぁ、とお父様がため息をついた。
お母様は静かだった。
いつも通り。
それは、何も成果がなかったということだ。婚約者探しの。
「ルティ。また再来週に夜会がありますよ。チャンスはありますよ」
お母様の笑顔がそのお通夜のような空気を少し明るくしてくれた。
「え、ええ……頑張ります……」
ルティミアは引き攣りながら言った。
「ルティ。お前にはお見合いの話も来ている。少しはその中から選んでみてはどうだ?会って話せば、この家の長女に相応しい相手かどうかわかるだろう」
お父様はルティミアを見ずに言った。
顔だけで選ぶなよ、という遠回しの嫌味か。
ルティミアはそうわかっていた。
父もまた、ルティミアの性格をよく分かっていた。
重苦しいディナーを終え、ルティミアはさっさと自室へと戻った。
部屋に戻ったルティミアは大量のお見合い写真を吟味していた。
「うーん……」
パタッ。
ルティミアは写真を閉じた。
会いたいと思える人が、一人もいない。それはつまり、好みの容姿の相手がいなかった、ということだった。
ふと、昼間の出来事が頭をよぎった。
あの失礼な男。
性格は最悪だったけれど、顔だけは、本当に良かった。あんな人、今までいただろうか。少なくとも、夜会で見かけた覚えはない。あれだけの容姿なら、一度会えば忘れるはずもないのに。
身なりは、貴族のようだったけれど。
「はぁ……」
あの性格じゃなければなぁ。
ルティミアは大きなため息をついた。
色々あった一日で、ルティミアは疲れ果てていた。
考えるのは明日以降にしよう。
今日はもう、脳をシャットダウンした。
お風呂に入り、早く寝ようと思った。




