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第2話 婚約者は顔だけ選んではいけない

 翌朝、ルティミアは屋敷を出た。


 いつものドレスではない。目深にフードを被り、なるべく人目を引かない格好をしている。令嬢らしさを消すのは、慣れたことだった。


 大通りを外れ、細い路地へと足を向ける。石畳の隙間から草が顔を出し、洗濯物が頭上に揺れている。


昼間でも少し薄暗い、帝都の裏側だ。でも、ルティミアはこういう場所が嫌いではなかった。


 路地の奥に、一軒の店が見えた。周囲の雰囲気に似合わず、小綺麗なレストランだ。看板は小さく、知る人ぞ知るといった佇まいをしている。


 扉を押し開けると、思いのほか明るい空間が広がっていた。


丸いテーブルが並び、昼時の客がめいめいに食事をしている。笑い声、食器の音、スープの匂い。どこにでもある、賑やかな昼下がりの光景だった。


 ルティミアはフードを少し直して、迷わず奥へと歩いた。


 カウンターの中には、愛想のいい女性が立っていた。にこやかな笑顔で、客に声をかけている。


 ルティミアはその前に立つと、静かに口を開いた。


「黒豹さんに、会えるかしら?」


 女性の手が、ぴくりと止まった。


貼りついた笑顔はそのままに、視線だけがすっとルティミアへ向く。フードの下の黒髪、茶色の瞳。値踏みするような、探るような一瞬の間があった。


「……少々お待ちください」


それだけ言うと、女性はカウンターの奥へと静かに消えていった。


ルティミアは待った。客のざわめきに紛れて、奥の気配にそっと耳を澄ます。


しばらくして、女性が戻ってきた。先ほどと変わらぬ、にこやかな笑顔で。


「お待たせいたしました。奥のお部屋へどうぞ」


そう言って、カウンターの奥をやわらかく手で示した。


ルティミアは小さく頷き、その奥へと進む。


扉を抜けると、薄暗い廊下が続いていた。


そこに、少年が立っていた。 15、6歳だろうか。黒いローブにフードを深く被って、壁にもたれている。


 ルティミアが近づくと、少年はちらりとこちらを見た。その目が、一瞬だけ細くなった。


「……こちらです」


 それだけ言って、踵を返す。感情の読めない声だった。


ルティミアは黙ってその後に続いた。


 この少年がこういう態度なのは、いつものことだ。ルティミアは気にしなかった。


 廊下の突き当たり、重そうな扉の前で少年は立ち止まった。


コンコンッ


静かにノックする。


「……お嬢様です」


 短く告げて、扉を開いた。少年がわずかに身を引いて、中へと促す。


ルティミアはそのまま部屋へと足を踏み入れた。


「やあ、お嬢さん。お久しぶりですね」


 部屋の奥に座っていたのは、髭面のもっさい男だった。よれた上着、ぼさぼさの髪。どう見ても裏社会のトップには見えない。


「……なんでいつもそれで迎えるの?」


 ルティミアは眉をひそめた。


「まあ、いいけど」


「あーすみません。いつもの癖で」


 男がぼそりと言った瞬間、ふっと空気が変わった。髭が消えた。ぼさぼさの髪が整い、よれた上着がすっと直る。そこには、黒髪に黒い瞳の、細身の美形が座っていた。


 こちらがマスターの元々の姿だった。

ルティミアは、はじめて会った日にもっさい男の見た目は変装だと見抜き、正体を出させたのだ。


「マスター、いつものやつ持ってきたから確認して」


 ルティミアはそう言いながら、向かいのソファにさっさと腰を下ろした。


「……相変わらずさっぱりしてますね。分かりましたを見せてください」


 男は苦笑いを浮かべながら、向かいのソファに静かに腰を下ろした。


「今回も完璧ですねー。もっと量産してくださいよ」


 マスターは小瓶を手に取り、光に透かした。中に収められた結晶が、ゆらりと輝く琥珀色だ。光を受けると、その内側でまるで何かが揺れているかのように、きらきらと色が変わった。


「この色が、不思議ですね」


「いや、量産なんて面倒なことしないわよ。それに、そんな売れないでしょ」


 ルティミアはあっさりと言った。


マスターはにやりと笑った。テーブルの上に、金貨を置く。重い音がした。


「え? 多くない??」


「これ、素晴らしいですよ。今や貴族たちもお忍びで買い求めにきますからね。その希少性から、そこそこいい値で売れるんですよ」


「え??」


 ルティミアは素直に驚いた。友人夫婦のために作った、ただの小遣い稼ぎのつもりだった。


「……じゃあ、これでは安いかもしれないわ」


 ルティはそう言い切った。一切の躊躇がなかった。


「相変わらず容赦ないですね」


 マスターが苦笑いをした。黒い瞳が、どこか楽しそうに細くなる。


「わかりました。追加します。この追想の結晶は、スキャンダルの多い貴族にはなかなかいい対策になるようですね」


 にやつきながら言う。どこか楽しんでいる顔だった。


「追想……?なんかいつの間にか名前がついてるんだけど」


 ルティミアは眉をわずかに寄せた。首を少し傾けて、なんで、という顔がありありと出ている。


「売り物には名前が必要ですから」


「勝手につけたの」


「ええ」


 悪びれる様子が一切なかった。


「まあ、いいけど」


 ルティミアは興味なさげに言った。


「ところで、どうして貴女のようなご令嬢がお金稼ぎを? もしかして、家、貧乏なんですか?」


「そんなことないわ」


 ルティミアはあっさりと否定した。天下のアルノ家が貧乏なわけがなかった。ただ、この男は目の前の女性がアルノの長女とは知らない。


 目の前に座る令嬢の瞳は茶色く、髪は真っ黒だ。

夜空を閉じ込めたような紺碧の瞳も、夕日を切り取ったようなオレンジのボブも、今この部屋には存在しなかった。


「まあ、私は商品さえもらえれば問題ないです」


 マスターはそう言いながら、小瓶をテーブルの隅に置かれた魔法陣の上にそっと乗せた。ふわりと光が広がる。結晶が一瞬強く輝いて、魔法陣の紋様が静かに消えた。


「今回も大丈夫そうですね」


「毎回それする必要ある?」


「あります。どんな方からでも、偽物を渡されたらうちの名に傷がつきますから」


 マスターはにこやかに答えた。笑顔だが、一切揺るがない。


 ルティミアは小さく息をついた。


 この男は毎回必ずこれをする。信用しているのかしていないのか、よくわからない男だと思った。


「じゃあ失礼するわ」


 ルティミアが立ち上がった。


「お嬢さん、お得意様に少しいい情報をあげます。これの出処を、少し嗅ぎ回っている者たちがいるようです」


 それと同時にマスターはルティミアに向かって言った。


 ルティミアは眉をしかめた。


「なんですって。あなた、私のこと売るつもり?」


「まさか。大事な商売相手です。うちはそんなことはしません。ですが、うちに依頼が来ましたよ。出処を調べてほしいと。依頼主は名乗らないと言いましたけどね」


 にっこりと笑う。丁寧で、爽やかで、まったく表情が読めない顔だった。


 どさっ。


 ルティはテーブルの上に先程貰った、追加分の金貨を置いた。


「私のこと、しっかり秘密は守ってね」


 笑顔で言った。とても爽やかな笑顔だった。そのまま振り返りもせず、扉を開けて部屋を出ていく。


 マスターはテーブルの上に置かれた金額を眺めた。

 (……なるほど。口止め料、というところか。)


 「お気をつけて」

 閉まっていく扉に向かって、静かに言った。


 扉を開けると、廊下に少年が立っていた。ルティミアと目が合った瞬間、びくっと肩が跳ねた。


「大丈夫よ。食べたりしないわよ、子狐ちゃん」


 ルティミアはそう言って、来た道をそのまま歩き始めた。振り返らない。フードをするりと直して、廊下の暗がりへと進んでいく。


 少年はその後ろ姿を、じっと睨みつけた。


 しばらくして不機嫌そうな顔で少年がマスターの部屋に入ってきた。


「マスター。あの人、何者なんですか」


 ジトっとした目でソファに座る男を見る。


「俺にもわからないよクルト」


 マスターは小瓶を一つ手に取りながら、どこか呆れたように言った。


「あの人、俺の追跡魔法を消してしまうような人だからね」


 クルトと呼ばれた少年は黙った。


 追跡魔法は、マスターが独自に開発した術式だ。一度かけたら気づかれることなく対象を追える、ゼインの自信作だった。それをあっさり消す。


 クルトはルティミアが出ていった扉を、しばらく見つめた。


「怖い人ですか?」


 クルトは少し真剣な顔で言った。


「どうかな」


 マスターは小瓶を光に透かしながら、どこか遠い目をした。


「彼女自身はそう見えないけど……こんなものを作ってしまう人だしね。怖い人かもしれない」


 クルトはゾッとした顔でゼインを見た。


 追跡魔法を消す実力。そして、人の記憶を呼び覚ます結晶を何食わぬ顔で作る令嬢。あの笑顔が、急に別のものに見えた気がした。


「人の記憶を動かすような魔法、普通は使えないですよね?」


 クルトが真剣な顔で聞いた。


「んー。魔塔主ぐらいになればいけるかもよ?」


 マスターはさらっと言った。


「え? 魔塔主??」


 クルトの目が、わずかに見開いた。


「俺もどんな人なのか、ってあちこち聞いたんだ。魔塔のやつらに聞いても、誰も知らないって言うんだよね」


 マスターはどこか楽しそうに言った。


「でも……あんなご令嬢なわけないですよね」


 クルトは眉をひそめた。


「でもあの人、いつも僕のことを子狐ちゃんって呼ぶんですよ! バレてますよね!? なんで!?」


 クルトはマスターに畳み掛けた。


 クルトは幻とも言われる獣人だった。でも普段は獣人であることを完壁に隠しているのに、初対面から見抜かれていた。それがずっと引っかかっていた。


「俺にもわからないよ。幻の獣人がいるなんて、誰も信じないことだろ。」


 マスターは少し笑った。


「案外、お前が狐っぽいからじゃないか?」


 からかうような声だった。


 クルトはむっとした顔でマスターを睨んだ。


*   *   *


 ルティミアはレストランを出ると、帝都の昼の空気が出迎えた。


 フードを直しながら、ふと足を止めた。久々に街でも見て帰ろうか。ぼんやりとそう思った瞬間、ある顔が頭に浮かんだ。


(……そういえば、あの子が食べてみたいって言っていたものがあったな。)


 今度会う時に持っていってあげようか。ルティミアはそう思いながら、人混みの中に目を向けた。


 人混みを歩いていたルティミアは、ふと足を止めた。 

 少し先の路地の入り口で、人だかりができている。

というより、修羅場だ。


 二人の令嬢が、一人の男を挟んで睨み合っていた。男は爽やかな笑顔で両者をいなしているが、その後ろにもう一人、こっそりと身を縮めている男がいる。


 (……なるほど)


 ルティミアは状況を三秒で把握した。


 真ん中の美男子は完全に盾にされている。悪いのはどう見ても後ろの男だ。そして令嬢たちの顔には見覚えがあった。帝都の社交界で何度か見かけた顔だ。


 (……あれは、介入した方がいいやつだな。)


 ルティミアはそう思った。ただ純粋に、好奇心だけがそう判断させた。ルティミアの足はその現場へ向かっていた。


「ナターシャ嬢、ユリア嬢、どうされたんですか? とても目立っていますよ?」


 爽やかな笑顔で声をかけた。二人の令嬢がぱっとルティミアを見た。修羅場に水を差された顔だった。


「ルティミア様……?」


 ユリアが目を丸くした。


「あの彼ですか?」


 ルティミアは爽やかな笑顔のまま、ナターシャとユリアに聞いた。


 2人は後ろの彼を睨んでいた。ルティミアはちらりと真ん中に立つ男を見る。


 かなりの美男子だった。艶のあるブルーブラックの髪に深く綺麗な緑の瞳。整った顔に爽やかな笑みを貼り付けているが、目が笑っていない。どう見ても、迷惑している方だ。


 ルティミアはさりげなくその男に近づいて、小声で聞いた。


「助けて差し上げましょうか?」


 男は一瞬だけルティミアを見た。そして、静かにこくりと頷いた。


 ルティミアはふっと口角をあげた。


「わあ! ごめんなさい! 私、あなたと約束していたのにすっかり忘れていました!私のこと探してくれてたんですよね。約束の場所に全然来ないから」


 ルティミアは目の前の美男子に何かを思い出すようなそぶりをしてそう言った。そして二人の令嬢に向き直り、申し訳なさそうな顔をした。


「本当にごめんなさい。ナターシャ嬢、ユリア嬢、彼は私と約束していて探してくれていたのに私ったらすっかり約束を忘れてしまって。お恥ずかしいわ。なので私たちはここで失礼しますね。あ、後ろの彼はお好きにどうぞ!」


 するりと美男子の腕を取った。そのまま迷わず引っ張る。優雅に手を振り彼を連れていった。


 二人の令嬢は一瞬呆気に取られた顔をした。


後ろに隠れていた男が狼狽えるのが見えたが、ルティミアはもう振り返らなかった。

 こうして、ルティミアは美男子をその場から無事に救出した。

 後ろで令嬢たちが男に飛びかかる気配がしたが、体格がよくて騎士のような男だったので大丈夫だろう、とルティミアは思った。自業自得である。


「ありがとうございます。お美しいレディー」


 隣の美男子が、綺麗な笑顔で微笑んだ。思わず見とれた。整った顔に、よく似合う笑顔だ。


「ふふ。まさかこんな風にレディーに助けられるとは思いませんでした。見た目通り、気が強いんですね」


 爽やかに笑いながら、さらりと言った。


 は?


 まあ、確かに。自分が気の強そうな見た目をしているのは、ルティミアも自覚している。


 でも、それを本人に向かって、ストレートに言うのはどうだろうか。しかも初対面で。


 ……失礼な男だ。


「あなたも見た目通り、女性の扱いがお上手なんですね」


 にっこりと笑って、しっかりと言い返した。


 そのお綺麗な顔で、さぞ女遊びがお盛んなんでしょうね。そういう嫌味だった。


 男は少し驚いたようだったが、すぐに、興味深そうな笑みを浮かべた。


 その笑みの意味を、ルティミアは気に留めなかった。


ルティミアは男の後ろの店が目に付いた。ニヤリ。


「まぁ!!ちょうど、そこの宝石店が素敵な新作を出していますよ。どうぞご令嬢たちにプレゼントを!さぞたくさんの彼女がいるでしょうから」


 そう言いながら、公爵の後ろの宝石店のショーウィンドウに向かって優雅に手を差し伸べた。


店主がそれを見てすかさず扉から顔を出す。


「では、私は失礼します。さようなら。良い買い物を」


 とびきりの笑顔で、さっさと立ち去った。


 とびきり高いのでも買わされてしまえ。そう心から思った。さっかく助けたのに、最悪の気分だった。


 後ろで店主があの男に熱心に接客を始めているようだったが、ルティミアは振り返らなかった。そしてそのまま人混みの中へと足を進めた。


 はぁ、、やっぱり顔で男を選ぶのはよくないな。

 ルティミアはそう思った。


 あの後ろの男も美男子の部類の男だった。けど、修羅場を起こしていた。多分二股。


 結婚するなら、やっぱり、、性格も大事だと実感したルティミアだった。


はぁ。と長い溜め息が人混みに消えた。


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