第17話 魔塔の調査とルティミアの薬
コンコン。
「どうぞ」
魔塔にあるルティミアの研究室で、彼女は書類に目を落としたまま答えた。
「師匠。調査依頼が来ました」
弟子のアッシュが、静かに部屋へ入ってくる。
「調査依頼?私に?」
ルティミアは書類から顔を上げた。
「……これです」
アッシュが、小さな小瓶を机の上にそっと置いた。
……!!
ルティミアの手が止まる。
椅子から体を起こし、小瓶を手に取った。指先で軽く持ち上げ、窓の光に透かす。中の結晶がきらりと輝いた。
ルティミアが作っている追想の結晶だった。
「……調査依頼? 誰から?」
声は落ち着いていたが、目の色が変わっていた。小瓶をそっと机に戻しながら、アッシュを見る。
「えっと……カイル・オルセンという男性です。この成分を調査できるかと聞いてきました」
「カイル・オルセン……知らない名前だわ」
ルティミアは立ち上がり、部屋の窓辺へと歩いた。腕を組んで、じっと考える。
追想の結晶。
これは魔塔とは関係なく、ルティミアが個人で作り出したものだ。成分なら、誰よりもルティミア自身が知り尽くしている。報告書の一枚など、造作もない。
だが、ルティミアの胸をざわつかせているのは、そこではなかった。
なぜ、カイル・オルセンという男が、この成分を調べようとしているのか。
ただ、高度な分析ができそうだから魔塔に持ち込んだ――その程度の理由ならいい。だが、もしこの薬に魔塔が関わっていると見て、探りに来たのだとしたら。話は、変わってくる。
いや、そもそも魔塔主に直接依頼を持ち込めるのはそこそこの地位を持つ人物に限られる。一般の者が簡単に接触できる相手ではない。
それだけの地位がある人間が、なぜこれを調べようとしている。
ルティミアの頭の中で、様々な疑問が一気に巡った。
ただ――ルティミアは、まさかこの結晶が、貴族たちの間で密かに流行っているとは、思ってもみなかった。
この結晶が、お偉いさんがわざわざ調べさせるほど、出回っているなどとは知らなかった。ほんの小遣い稼ぎのつもりで、ギルドに卸していただけ。せいぜい、ごく一部の者が使う程度のものだと思っていた。
だからこそ、戸惑っていた。
「師匠……」
アッシュがルティミアの険しい顔をそっと覗き込んだ。心配そうな声だった。
「アッシュ、カイル・オルセンの調査をお願いするよ。クロウを動かしても構わない」
ルティミアは窓から視線を外さないまま言った。
はぁ、と小さくため息をついた。
「それと……最近魔塔を嗅ぎ回ってるやつはどうなった?」
ようやく振り返り、アッシュを見た。いつもの表情に戻っていた。
ここのところ、どうも魔塔の周りを嗅ぎ回る者の影があった。正体も目的も掴めないまま、こそこそと様子を探っている。気味が悪い、とまではいかないが、放っておけるものでもなかった。
「その件については、誰が差し向けたのかわかりませんでした。こそこそと嗅ぎ回っていたので警告したんですが、上手く交わされて姿を消されました」
アッシュは少し悔しそうに続けた。
「それと先日、魔塔に調査が入りました。でも今の魔塔は特に隠すことがありませんので、好きに調べさせて帰らせました。確か……宰相からの依頼だと言っていました」
アルセン・リード。
ルティミアの頭に、その名前が静かに浮かんだ。
なぜ今のタイミングで。
ゴシップ誌でしか知らない名前だ。でもここ最近、なぜかこの男の名前をよく耳にする。記憶障害の件を調べている宰相が、魔塔に調査を入れた。魔塔が関わっていると疑っているのか。それとも別の理由か。
どちらにせよ、放置するわけにはいかない。
ルティミアは机の上の小瓶を再び手に取り、しばらくの間それを見つめた。
「報告ありがとう」
静かに言った。小瓶をポケットにしまいながら、アッシュを見る。
「この薬については私がやっておく」
「師匠、あと頼まれていたゼイン・アーツベイトの報告書です」
アッシュが静かに書類を差し出した。
「ありがとう、アッシュ。助かるよ」
「では、何かご用があればまた呼んでください」
アッシュはぺこっと軽く頭を下げて、そっと部屋を出ていった。扉がゆっくりと閉まる。
静かになった部屋で、ルティミアは椅子に深く腰を下ろした。窓から差し込む夕暮れの光が、机の上に長い影を落としている。
書類に目を落とす。
【調査対象】ゼイン・アーツベイト
【身分】アーツベイト伯爵家三男
アーツベイト家は代々王宮騎士団に多くの人材を輩出してきた、帝国でも指折りの名家。長兄ダルタ・アーツベイト、次兄シオン・アーツベイト、共に現役の王宮騎士団員として活躍中。
三男ゼイン・アーツベイトは騎士としての才能こそないものの、頭脳明晰かつ魔法の才能はトップクラスと評される。社交界への出席はほぼ皆無に等しく、帝都において三男の素顔を知る者は極めて少ない。婚約者なし。女性関係のトラブルの記録なし。
「ふーん。女関係のトラブルは今のところないのか。まあ、そこは良しとしよう」
ぺら、とページをめくった。
……!!
ルティミアの手が止まった。
城下町裏通りに所在する庶民向け飲食店「ブラックパンサー」のオーナー。同店舗はギルドとの関係が確認されており、詳細については調査継続中。
ルティミアは書類から目を上げた。
ブラックパンサー。
私が薬を卸しているギルドがある、あのレストランだ。
その店のオーナーが、アーツベイト家の三男。
……どういうことだ。あそこは表向きには普通のレストランとして人気がある。でもその奥には……。
ルティミアは書類を持ったまま、しばらく動かなかった。窓の外で鳥が一羽、夕暮れの空を横切っていった。




