第13話 ソフィリアの能力
「ねぇ、記憶障害になった令息の婚約者ってどの人??」
ルティミアはとなりに立つソフィリアに、ひっそりと耳打ちした。
ルティミアとソフィリアは記憶喪失の手がかりを見つけるため夜会に来ていた。
「どうかしら。この前の夜会に来ていたと思うけど……」
ソフィリアはさりげなく広間を見渡した。ラベンダーの瞳がすっと細くなる。
「令嬢を数人集めてみるわ。その中に、当人たちの誰かがいるかもしれないから」
そう言って、ソフィリアはするりと動いた。
ルティミアは少し離れた場所から、その様子を眺めた。
見事なものだ。ソフィリアが近づくと、令嬢たちが自然と引き寄せられていく。明るくて、可愛くて、話しかけやすい雰囲気がある。あっという間に輪ができていた。笑い声が上がって、会話が弾んでいる。
ルティミアには到底習得できないスキルだった。いつ見ても感心してしまう。
二人は今夜、記憶障害への手立てがないかを探るために夜会に参加していた。でもそんな素振りは微塵も見せず、ソフィリアはただ楽しそうに笑っている。
さすがだな、とルティミアは思った。
ソフィリアがちらりとルティミアに目配せした。
ルティミアはそれを受けて、さりげなく輪に近寄った。近寄り難い雰囲気があるのは自覚している。それでも令嬢たちにとってルティミアは憧れの存在らしく、輪の中に入ると自然に場が締まった。
ソフィリアとルティミアを囲んで、令嬢数人となんてことのない会話が続く。夜会の話、最近のお茶会の話、流行りのドレスの話。
そして、頃合いを見計らって。
「リディア様、体調は大丈夫ですか?」
ソフィリアが心配そうな表情で、一人の令嬢に声をかけた。
「え、あ……そうですね。はい。もうだいぶ良くなりました」
リディアと呼ばれた令嬢が、少し狼狽えた様子で答えた。目が一瞬泳いで、すぐに笑顔を作る。でも作り物だとわかる笑顔だった。
――リディア・ラグジー。
ソフィリアはターゲットを見つけたのだ。ソフィリアが知っていた被害者婚約者だった。
「大変でしたね。ハリントン様、倒れられたんですよね」
輪の中にいた令嬢の一人が言った。
「ハリントン様、意識が戻られたんですか?」
周りの令嬢たちが身を乗り出した。噂が好きな子たちを、ソフィリアはさりげなく集めていた。話が自然に広がっていく。
社交界の噂は早い。リディアの婚約者が倒れた言葉多くの令嬢の耳に入っていた。その原因まで知るものはいないかもしれないが……。
ルティミアは輪の中でにこやかに笑いながら、内心で感心していた。
「はい。もう大丈夫みたいです」
リディアはにこっと笑顔を返した。柔らかな笑顔だったが、どこかぎこちない。
そのまま会話は他愛のない方向へ流へ流れていった。
最近のお茶会の話、夜会のドレスの話。ソフィリアが明るく笑いながら場を盛り上げていく。
ふと一人の令嬢がリディアに話しかけた。
「リディア様。ハリントン様は少し記憶喪失になったと聞いたんですが……大丈夫ですか?」
ぴくっとリディアの肩が動いた。ほんの一瞬だったが、ルティミアはそれを見逃さなかった。笑顔のまま固まった、その一瞬を。
「記憶障害ですか??」
令嬢の一人が目を輝かせて身を乗り出した。
「まぁ、それは大変だわ。リディア様、ご苦労なさったのではないですか?」
別の令嬢がまた一人話に入る。
「いえ、はい、まぁ……驚きました。でも今は体調も良くなりましたので。ご心配なく」
リディアは爽やかに言った。
「良かったですね」
「ほんとに、何事もなくて何よりですわ」
令嬢たちが口々にそう言って、ほっとしたように微笑む。
でも、ソフィリアだけは気づいていた。
その爽やかな笑顔が、いつものリディアのものではないことに。どこか無理をした、取り繕った笑顔だということに。
その後、ソフィリアは上手く会話を促しながら、自然な流れで輪を解散させた。
しばらくして、一人になったリディアにそっと近づいた。
「リディア様、お疲れですか?」
ソフィリアはいつもの笑顔をで話しかけた。
「……ええ少し。ご心配かけてごめんなさい、ソフィア様」
リディアは少し俯いた。
「いいえ。リディア様が心配でしたの」
ソフィリアは心配そうに言った。責める気配は一切ない。ただ心配している、そういう声だった。
リディアの表情から警戒心が抜けていった。
「ありがとうございます、ソフィリア様。しばらく私も混乱していて……」
リディアは少し疲れた表情をした。
「……ハリントン様、そんなに重い症状が出ていたんですか?」
ソフィリアがさりげなく切り込んだ。
「あ……ええ。まあ、その……ある日突然倒れて、二週間ほど昏睡状態でした」
リディアは少し言葉を選ぶように続けた。
「その後、意識は戻りましたが……まる一年分の記憶がなくて。私と婚約したのがちょうど一年前で、私との記憶が曖昧で……本人も記憶がないことに困惑していて。まだ外に出られそうにないんです」
リディアは最後、少し寂しそうに目を伏せた。
「そう……それは寂しいですね。私でよければ、いつでも話を聞きますからね」
ソフィリアは静かに言った。本心だった。
そしてふと、自分のことが頭をよぎった。
もしラミアンに忘れられたら。自分との記憶が、全部なくなってしまったらショックで家から出られないかもしれない。
ソフィリアは胸の奥でそう思いながら、リディアに向けた笑顔を崩さなかった。
「他にも同じ症状の方がいらっしゃるのかしら。そうだとしたら心配ですが……」
ソフィリアはぽつりと呟いた。
「ユリシア様と、ハンナ様も私と同じことに巻き込まれてしまって……社交の場に出れていないです」
リディアが小さく言った。
――ユリシア・ローズ。ハンナ・エリシー。
どちらも社交の場によく顔を出していた令嬢だった。それがここ二ヶ月ほど、ぱたりと姿を消していた。理由を知る者はいなかった。
「婚約者様が、同じ症状に?」
リディアは聞いた。
「症状の重さはありますが、お二人の婚約者様も……お二人のことを忘れてしまったようでした」
リディアは静かに続けた。声が少し揺れている。
「ハンナ様は婚約者様にとても惚れ込んでいらっしゃったので、ショックが大きく……鬱状態になってしまわれました」
最後はほとんど囁くような声だった。目が潤んでいる。泣きそうなのを、どうにかこらえていた。
「なんてこと……お辛いでしょうね」
ソフィリアは静かに呟いた。胸が痛かった。
「どうしてそうなったか……原因はわからないのですか?」
ソフィリアは思い切って聞いた。
リディアの顔色が、わずかに変わった。 一瞬何かを言おうとしたがすぐに下を向いた。
沈黙が落ちた。短いようで、長い沈黙だった。
「……はい」
そう小さく呟いた。それきり、リディアはぱたりと口を閉ざしてしまった。
知っている。
ソフィリアはそう感じた。何かを知っていて、それを言えずにいる。そういう沈黙だった。
リディアと別れ、ソフィリアは一人になった。
ルティミアを探すか。それとも少し外の空気を吸いに行くか。広間の端で、ぼんやりと考えていた。
「グランバート嬢。お一人ですか」
聞き覚えのある声がした。
ソフィリアは声の主の方を向いた。
雰囲気のある、すらりとした美男子。黒髪に黒い瞳。薄暗い広間の中でも、その存在感は静かに際立っていた。
「アーツベイト様」
思わず口をついて出た。
「先日の夜会ぶりですね。今夜もまた友人を探そうと思っていましたの」
言ってから、ソフィリアは思わず笑ってしまった。前回とあまりにも似た状況だ。
「グランバート嬢の友人は、姿を隠すのが上手なんですね」
ゼインがふっと笑った。静かな、でもところどころ温かみのある笑い方だった。
「ご友人は見つかりそうですか?」
「ふふっ、そうね。きっと今夜も見つかります。こういう場所があまり好きではなくて、隙を見て逃げようとするんです。親友の私を置いてね」
ソフィリアはルティミアのことを思い出して笑った。目が細くなって、自然と頬が緩む。
「あぁ。そうですか。……私もご友人と似ているかもしれません。こういう場所は得意ではありませんから」
ゼインが目を細めた。
「そうなんですか? アーツベイトのご子息として、仕方なく参加を?」
「えぇ、まあ……そうですね。三男でも一応アーツベイトなので、父がうるさくて。私は兄さんたちのように脳筋ではありませんので、父としては早く婚約でもさせたいんですよ」
ふぅ、と軽いため息をついた。
「グランバート嬢は随分楽しそうですね。こういう煌びやかな場、よく似合っていますよ」
「そうですか? 私は楽しいんです。いろんな話を聞くのが。社交界は人間の本質を見るのにとても良い場ですよ。面白いですよ」
ソフィリアは可愛らしい笑顔でそう言った。
「面白いですね」
ゼインは少し考えるような顔をしてから続けた。
「皆が腹の探り合いをしている中、貴女は人間観察をしていらっしゃるんですね」
普通の令息なら、ソフィリアのその笑顔でコロッといだろう。だがゼインには通用しなかった。ただ、面白い人間だとは思った。そういう目で、静かにソフィリアを見ていた。
「君は私の知人に似ていますね。その人も君と同じようなタイプに思います。また、面白い話があれば聞かせてください」
ゼインはそう言って、少し間を置いた。
「すみません。兄を探さないといけませんので、失礼します」
軽く頭を下げて、踵を返した。コツコツと革靴の音が響いて、すらりとした後ろ姿が人混みの中にゆっくりと溶け込んでいった。
ソフィリアはその背中を見送った。
不思議な人だ。どこの令息とも違う雰囲気がある。煌びやかな夜会の中にいても、どこか一人だけ別の場所にいるような静けさがあった。
……彼は他の貴族達のようにギラついていないし、とても大人びているから何故か話しやすいのよね。
それに、話していると意外と楽しかった。
なんだかやっぱり不思議な人だと、ソフィリアは思った。少しだけ、人混みに消えるその背中を見つめた。




