エピローグ
私の肩に寄りかかった殿下からは清楚な石鹸の香りがする。
「ネルは……まるで咲いたばかりのローズのようです。とてもいい香りがします」
「で、殿下からは石鹸の香りが……ローズの香りと混ざり合い……私もいい香りに感じます」
「うん。普段は香水を付けていますが、今日はネルが主人公だから。ネルがどんな香水を付けても、邪魔しないようにしました」
そこで身を起こしたフリードリヒ殿下は自然に私を優しく抱き寄せる。
その胸に頰を押し当てた状態になると、殿下からはドクドクと激しく鼓動する心音が聴こえてくる。
(落ち着いた様子で話しているけれど、彼も私と同じ。とてもドキドキしているわ!)
今日、いろいろ体験したこと。晩餐会や舞踏会は帝国でも参加していた。でも結婚式、そしてこれからの初夜の儀は完全に初めてのことだった。
(それは殿下も同じ)
フリードリヒ殿下も初夜の儀について知り、きっと私のように驚き、「本当にこんなことを!?」と動揺しているのかもしれない!
(だったらここで私は……勇気を出すべきじゃないかしら?)
「殿下」
「どうしました、ネル?」
そこで私はフリードリヒ殿下の胸から顔をあげた。すると彼は少し私から体を離し、向き合うようにしてこちらを覗き込む。
碧眼はとても優しく、私の声を聞こうと全力なことが伝わってくる。
「ネルは……プリシア王国に来る道中で、少し侍女から話を聞きました」
フリードリヒ殿下はこれから私が何を話すのかと、興味深そうな表情になっている。
「そして今日、皇族の女性に伝わる初夜の儀の書物を見て……ネルはビックリでした」
「!」
「赤ん坊は主の啓示により宿るものと思っていましたが、違うのですね。ネルは……驚き、そして……ずっとドキドキしています。……殿下も、もしかして同じではないですか?」
私の言葉にフリードリヒ殿下はとても優しい表情になる。
「ネル、勇気を出してその話をしてくれて、ありがとうございます」
「殿下……」
「ネルはまだ十五歳ですよね?」
「はい! この春に成人皇族の仲間入りをしました!」
「わたしはネルより二歳お兄さんです。だから初夜の儀については……兄上と一緒に家庭教師から習いました」
「そうなのですね……!」
「教師から黒板を使って生物学的観点からまず学び、そこから王家に伝わる書物を見せてもらい……。わたしの場合は兄上と二人で目を丸くして『赤ん坊ってこんな風にできるんだ!』と驚いた記憶があります。丁度、ネルぐらいの年齢の時です」
「では殿下は……今はあまり驚いていないのですね……」
てっきり私と同じ気持ちだと思っていたので、違うと分かり、しょんぼりしてしまう。すると……。
「知識としては知っています。でもそれ以上ではないです。経験がないのはネルと同じ。しかも大好きなネルと初めて初夜の儀を……緊張しないわけがないですよね」
「……!」
「わたしは王家の人間ですし、跡継ぎが重視されていることは分かっています。でも二年前に先に結婚した兄上と義姉上との間には赤ん坊が……義姉上は実は……懐妊されているのです。ただわたしの婚姻の時期と重なったのと、安定期と言われる期間にはまだ入っていない、さらに見た目の変化が大きくないので、もう少し落ち着いたら公式発表となります」
「そうだったのですね……。ネルは……まったく気が付きませんでした」
「気付かれないよう、兄上も義姉上も、父上も母上も、近しい立場の者は気を配っていますからね。ネルが気付かなくても当然ですよ。婚儀がひと段落したらネルにも伝えるつもりでした」
そこでフリードリヒ殿下は私の頭を優しく撫でる。
「兄上にまず世継ぎが誕生すれば安泰。わたしは急ぐ必要もありません」
「殿下……」
「ネル。あなたが緊張で震えていること、わたしが気付かないわけがないです。さっきの本でリラックスできたようですが……抱きしめたらまた小さく震えている。そんなネルと初夜の儀を遂行するのは……わたしの本意ではありません」
「!」
「ネルは初夜の儀が何をするのか、まだよく分かっていないから不安なのだと思います。人間は未知の物に対し、警戒し不安になり、恐怖を覚える。正体不明のモンスターに恐れを抱くのと変わりありません。だからわたしと少しずつ、初夜の儀について知っていきましょう。わたしの知っていることをネルに教えます」
「ほ、本当ですか……?」
「ええ。それにネルとはデートもなしでいきなり結婚式でした。王族の婚姻とはそういうものと分かっています。兄上もわたしと同じような状況で結婚でしたしね。でも……わたし達は兄上ほどのプレッシャーはないので、これからデートをしたり、お互いのことも沢山話し、初夜の儀について知っていって……ネルの不安がなくなったら、もう一度、この夜を迎えましょう」
フリードリヒ殿下の親切過ぎる提案に私は泣きそうになっている。
「ネル、泣かないで。この提案は不満ですか?」
「違います! ネルは感動しているのです!」
そこで大きく首を振り、私は想いを伝える。
「すごく不安で……思い切って打ち明けたら……殿下が優しく受け止めてくれたこと。その上で、こんな愛の溢れる提案をされたら……ネルは嬉し泣きです!」
「なるほど。そうだったのですね。前向きな涙なら歓迎ですよ」
そこでフリードリヒ殿下は私を軽く抱き寄せ、頬へと口づけをする。
「好きな人を見ていると……こうやってキスをしたくなります。ネルはわたしにキスをしたくなりませんか?」
「ネルが殿下に口づけを……」
「そう。今のわたしみたいに、頬に、チュッって」
「チークキスなのに、子どもの頃は本当に口づけしていたみたいに?」
「そこはちょっと違うけれど……」
「でも殿下の肌はすべすべなので、触れてみたいです」
そこで私は自然に上半身を伸ばし、フリードリヒ殿下の頬に「チュッ」とキスをしていた。すると彼は顔を真っ赤にしている。
「ネル……! 君は……なんて不意打ちを……」
「ごめんなさい! でも殿下を見ていたら自然と……」
「それでいいんですよ。そうやって触れあっていくうちに、もっともっとと気持ちが高まるはずですから」
そこでフリードリヒ殿下が私の手を握った。ドキッとするが嫌ではなく、安心できる。
「今日のところはもう休みましょうか。今晩の件はわたしから父上やネルの御父上にも報告しておきますので、心配無用です」
「分かりました」
そこでふわっと欠伸が出ると、フリードリヒ殿下は「では一緒に歯磨きをしましょう」と提案してくれた。
洗面所に並んで歯磨きを始めると、なんというか彼との距離がぐんと縮まったように思える。
「ネル、一緒のベッドで休んでもいいですか?」
「もちろんですわ!」
元気よく私が応じると「ありがとう、ネル」とフリードリヒ殿下は微笑み……。
「ではわたしのお姫様、ベッドまでお連れします」と、彼は私を軽々と抱き上げてしまう。
「すごいわ! 絵本の王子様みたい!」
思わず興奮して私が叫ぶと、フリードリヒ殿下は「一応、わたしはまだしばらくは王子ですよ」とクスクスと笑う。私はこれには「そうでしたわ……!」と赤くなる。
その後はベッドに下ろされ、そのまま二人で横になった。
「腕枕をして、こうして抱き寄せてもいいですか?」
「はい!」
私から彼の方に近づくとゆっくり抱きしめられた。私はそのまま彼の胸に鼻を摺り寄せるようにする。
(温かい胸の中。私を抱き上げられるぐらいだから、とっても鍛えているのね。胸板は騎士のように引き締まっているわ)
そんな胸の中にいると、とても安心でき、いつの間にか私は眠りに落ちていた。
◇
紆余曲折を経て、私は帝国を出て、フリードリヒ殿下の元へ嫁ぐことになった。最初は罰として、政略結婚させられる……と思ったけれど、そんなことはなかったのだ。彼はとても優しく、私を心から愛してくれて……。
(もしポメリー嬢にもう一度出会うことがあったら……その時は「あの時は邪魔をして本当にごめんなさい」と心からの素直な気持ちで言えそうだわ)
温暖なプリシア王国で冬を越え、季節は春へ向かう。帝国では低木だったアーモンドの木は、ここではとても大きな木であり、美しく可愛らしい花を咲かせ、その実は食べることもできるという。
「ネル。どうしましたか。ピクニックの準備は整いましたよ」
「はい、殿下。アーモンドの花が咲き誇る様子がとても美しくて……。つい見惚れていました」
「なるほど。これからもっと沢山の花が咲きますよ……。そうだ、花の離宮へ今度行きましょう。そこに王家が所有する最大の庭園がありますから」
フリードリヒ殿下はそう言うと、私のことを優しく抱き寄せた。
(おしまい)
お読みいただき、ありがとうございます!
ツンしかなかったネルちゃんがかなり丸くなりました~
フリードリヒ殿下とお幸せに(⁎˃ᴗ˂⁎)
本作、また何か書きたいと思いつつ
しばらくは新連載の方を追いかけていただけると幸いです!
\ 新 作 /
『悪役令嬢に転生!
婚約破棄で推しと家族が闇落ち!
回避したいだけなのに』
https://ncode.syosetu.com/n1915mo/
そう、回避したいのです。が……
という物語でありんす。
スタートダッシュで本日は2話更新♪
ぜひお楽しみくださいませ~


















