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ネル皇女の悲鳴に続き、令嬢やマダムの「きゃーっ」という声が響く。私自身は驚き「えっ!」と叫んでいた。
職員が言っていた通り、螺旋階段は修繕が必要だった。つまり踏板が外れ、ネル皇女は地上へ落下しそうになったのだ! それを間一髪で阻止したのは……ジョシュ!
ネル皇女を追いかけていたジョシュは、目の前で踏板が外れ、彼女が落下しそうになっているのを目撃。素早く皇女の手を掴んでいたのだ!
「ネル様!」
ネル皇女の護衛騎士と侍女が落下しそうになっている彼女の真下へと向かい、ジョシュの護衛騎士は彼を追い、螺旋階段を上ろうとするが――。
「螺旋階段は見た目よりもろくなっている可能性があります。下でネルを受け止めるようにしてください!」
ジョシュの声に護衛騎士は階段を上るのを止め、ネル皇女の真下へと向かう。
私は侍女のエミリーと護衛騎士のランスロット卿と共に、螺旋階段の方へ向かおうと、チラリと後ろを見たその時。
いきなり口元に布を押し当てられてしまう。
「!?」
ネル皇女のことをジョシュは自身の腕一本で支えていた。いくら早朝、剣術や乗馬の訓練を重ね、体力があるジョシュでも、そう長くはもたない。
「この身に代えても絶対に受け止めますので、手を離してくださっていいです!」
護衛騎士が叫び、ジョシュが「わかった」と応じていた。周囲の人たちは今まさに落下するであろうネル皇女に目が釘付けになっている。
そんな中、私が何者かに拉致されそうになっていることは誰も気づかない!
(エミリーとランスロット卿は!?)
エミリーは私と同じで、口元に布を押し当てられ、既に気絶している。ランスロット卿は二人がかりで押さえられ、首に針のようなものを刺されていた。そしてそんな暴挙に出たのは――。
(さっき気になった不審な二人組の男性二組だわ……!)
「きゃー」
令嬢とマダムの悲鳴が聞こえ、ネル皇女がジョシュの手を離れ、地上へと落下したようなのだけど――。
視界が暗くなり、私は意識を失ってしまう。
◇
「……にこれでいいのか?」
「だってそういう依頼だっただろうが」
男の声に意識が戻る。
(あれ、私……)
そこでハッとして完全に目が覚めた。
目が覚めたがいきなり視界が薄暗く、細い隙間からわずかな明かりを感じられる状態。しかも口には布を噛まされ、両手と足首はロープで縛られているようで、声も出なければ身動きもとれない。でも目隠しはされておらず、目をキョロキョロさせると……。
バケツにモップに箒などが薄明かりの中に浮かび上がった。自分がどうやら物置部屋のような場所に閉じ込められていると理解する。
(私以外は……いない。エミリーとランスロット卿は一緒ではないのね……)
攫われたのは私だけで、二人は気絶させられただけ……と思うと、安堵しつつも、不安にもなる。
(この状況で私は一人ぼっち……!)
「よし。もう行くぞ」
「ああ、待ってくれ」
そこで「臭い」と明確に感じられる匂いが細い隙間から流れ込んでくる。
(これは……貴族が吸う嗜好品の葉巻ではなく、平民が吸うパイプ煙草の匂い……)
強烈な匂いが物置部屋の中にも充満し、顔をしかめていたが、「もたもたするな! こんな時にパイプ煙草なんて吸いやがって。噛み煙草を用意しておけ、バカが!」「すまん、すまん。行こうか」という声が聞こえ、ドタバタと音がしたが、シンとなる。
(どうやら私を閉じ込め、去って行ったようね)
この状況について私は考える。
何者かが私を拉致し、物置部屋の中に監禁した。理由は……現時点では不明。私が侯爵令嬢であり、王太子の婚約者と知りながらこんなことをしたのか。そこも分からない。分からないと言えばもう一つ。物置部屋に私を閉じ込めた犯人らしき男達はいなくなっていた。
(いなくなったのよね? 一仕事終えて、パイプ煙草で一服して、去って行った――そう思ったけれど、実は扉の向こうに見張りがいたりする……?)
そこで物音を立てないように扉の方に地面を這うようにして移動する。僅かな隙間から外の様子を探るが――。
見える範囲に人はいない。物音もしていなかった。
(物置部屋の外は明るく陽射しを感じる。多分、廊下らしき場所の一面はガラス張り……。もしかすると私、まだ温室の建物内にいるのでは?)
そこで慣れたはずの鼻が煙草の匂いと同時に焦げた匂いを知覚する。
(え、待って!)
もう一度目を細めて隙間から外の様子を窺うと、白い煙がゆらゆらと見える。その煙を認識した瞬間、心臓がドキッと飛び跳ねてしまう。
(もしかして煙草の不始末!?)
この世界に前世のような紙巻き煙草はまだ存在していない。だからこそ火事の原因はランタンやロウソク、暖炉、調理中の竈などから発生することが圧倒的に多かった。
(でもパイプ煙草での火種による火災もゼロではないわ……!)
そう思っている間にも焦げ臭さを感じる。煙がじわじわと流れ込み、扉の僅かな隙間から見える景色を覆っていく。
「!」
扉の下の隙間からもうっすらと煙が見えた。
(た、大変! 逃げ出さないと!)
何とか立ち上がったが、足首をロープで縛られているため、歩くことはできない。ジャンプするしかできない状態だった。
(体当たりでまずは扉を開けよう!)
もはや外に私をここに閉じ込めた犯人はいなさそうと分かったので、ドン、ドンと音が出るのも構わず扉に体当たりをする。
木製の扉で厚みはそんなになさそうなのに、外側から施錠されているようで、大きな音はするが、開く気配はない。そうしている間にも、物置部屋の中へ煙がうっすらと流れ込んでくる。
この事態に心臓がバクバクし、頭に血が上ってしまう。しかも口に布を噛まされているので、呼吸もままならなく感じる。
(ダメ! 落ち着くの! パニックになってはいけない)
そう言い聞かせ鼻呼吸をすると、焦げ臭さがしてきた。いよいよ火の手が迫っているのかもしれないと、焦りが募る。
(これはもしかして小説の世界の抑止の力が働いている……? 本来、薔薇熱で死亡しているはずのモブが生き延び、聖女は召喚されていない。この事態にこの世界の見えざる力が怒った……? 私はここでパイプ煙草の不始末で死亡するしかないの……?)
諦めかけたその時、ジョシュの言葉を思い出す。
──「諦めない気持ちが重要です。諦めた瞬間からこの世界と一線を引いてしまい、何か大切なことを見落とす」
そうだ。諦めてはいけない。薔薇熱を乗り越え、ジョシュとも両想いになれた。婚約だってしたのだ!
そこでまずは冷静になろうと努める。
物置部屋に閉じ込められたことで、外にいるより今のところ煙の量は少ない。物が焼ける匂いはするが、まずは呼吸を整えよう。
とはいえ口に布を噛まされているから、鼻呼吸しかできない。
(深呼吸で気持ちを落ち着かせるなんて安易と思っていた。でもそれができない今だから思う。深呼吸ってすごく大事!)
それでもなんとか少しずつ、呼吸が通常になり、心臓の鼓動が落ち着いたと思ったその時。
バチッと一際大きな音がして熱を感じる。
落ち着いた鼓動が再び激しくなり、呼吸も浅くなる。
(もしかして扉に火が燃え移った……?)
いよいよ煙が扉の隙間からどんどん流れ込んできた。パニックになりそうな状態だが、脳だけは冴えていた。
(煙は上に昇る性質があるから、この場合、身を低くするべきだわ。空気が残る場所を見つけて身を低くする)
苦労して立ち上がっていたが、再びしゃがみ込む。部屋の端、棚の横に身を寄せる。
(まだちゃんと空気がある!)
そこで呼吸を繰り返していると……!
何かが目の前を走り抜けて行き、声にならない声で絶叫してしまう。
(ね、ネズミ!?)
見るとネズミは、床と壁の間に空いた隙間へと吸い込まれるように姿を消す。
(あそこの隙間からなら、煙のない空気が吸えるかも!)
小さな希望を見つけた。だがそこで顔を上げ、大きな絶望を目の当たりにする。
物置部屋の中は既にかなりの煙が充満していた。顔を上げることで目と鼻が煙にさらされ、涙がこぼれ、呼吸がままならなくなる。
心が折れそうになるが歯を食いしばり、ネズミが消えていった隙間へと重い体を引きずる。
(嫌だ。死にたくない! 生きたい! ジョシュにもう一度会いたい!)
執念で隙間まで辿り着き、埃っぽい空気を鼻いっぱいに吸い込んだその時──。
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