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「ジョシュお兄様、早く、早く!」
「ネル、そんなふうに走ると危険です!」
「じゃあお兄様、わたくしと手をつないでくださいませ!」
舞踏会の翌日。ジョシュと私はネル皇女に王都を案内していた。
昨晩の舞踏会でネル皇女に強いマウントをとられ、少し気持ちは凹んだ。でもその後すぐ、ジョシュとダンスをして、舞踏会の後は部屋で甘い時間を過ごすことが出来た。
(まだ完全に本当に私でいいのかという思いは拭いきれない。国の行く末を思うと、私よりネル皇女や他国の王女と婚姻関係を結ぶ方が、国のため、ジョシュのためになると思うものの、すでに私はジョシュが大好きで、彼と離れるなんて……考えられなくなっていた)
ということでもやもやは残るが、ネル皇女の案内に気持ちを向けることにしたのだけど……。
通常なら、護衛騎士を引き連れ、物々しい雰囲気での案内になる。だが今、ネル皇女は町娘が着ていそうなマスタード色のワンピースに生成りのエプロンという装い。しかも髪は三つ編みにしている。
私もマゼンタ色のワンピースにアイボリーのエプロンとこれまた町娘風。しかもそばかすを描いてもらっている。付き従う二名の侍女――私の侍女のエミリーとネル皇女の侍女も似たような衣装だ。
ジョシュもまた、町にいそうな好青年風の衣装である。水色のシャツに濃紺の上衣、ベージュのズボンにブーツ。髪はオールバックで眼鏡をかけており、何というか学者風で私にはツボ! 三名の護衛騎士もジョシュと同じような服装である。
しかもお互いに身分を示す敬称はなしで呼び合うことになっており、ネル皇女は「ジョシュお兄様、ポメリーお姉様」と私たちを呼び、ジョシュと私は「ネル」と呼ぶことになっていた。
なぜこんなことになっているのかというと……。
そもそも大聖堂、美術館や博物館、昔の城塞などを回るつもりでいた。だがネル皇女は……。
「昔の城塞なんて、石が転がっているだけ。大聖堂ではかしこまっていないといけない。美術館も博物館も母国で十分観ているから、結構です」
こんなことを言いだしたのだけど、それも仕方ない。
確かに城塞は……昔の面影はほぼなく、草だらけの広場に石が転がっている状態。大聖堂では私語厳禁、会話厳禁で見学が必須だった。
(極めつけは美術館と博物館。ネル皇女の母国にはミラージュ美術館が帝都にあり、そこは約300万点の美術品が所蔵されていた。しかも美術館の建物自体が旧宮殿であり、歴史的価値が高い。博物館も併設されており、すべて見て回るには三日かかると言われているスケール。それに比べるとローレンツィア王国の王都にある美術館と博物館では……物足りないだろう。私からすると十分過ぎるものなのだけど)
そこでジョシュがネル皇女に何を見たいのかと尋ねると……。
「フェンブルク帝国はあまりお花が咲かないの。寒い国なので。だから王立植物園に行きたいわ。そこで二つの温室を見たいの! 一つは宮殿風の温室ですよね? もう一つは巨大なガラスと鉄骨の温室。あとは王立香水研究所に行きたいわ! ローレンツィア王国の薔薇の香水は、帝国でも有名だから、お母様や妹たちのお土産に香水を買うの。あとは王室御用達のティールームやサロンがあるのでしょう? そこで美味しいスイーツをいただきたいわ」
ネル皇女は事前にしっかり調べていたようで、そんなところに女帝の一面が感じられる。その一方でジョシュを困らせるこんなリクエストもするのだ。
「わたくし、お忍び、ってやってみたかったのです!」
「お忍び……?」
首を傾げるジョシュにネル皇女は無邪気に伝える。
「いつも大勢に囲まれて移動するのも飽きちゃいました! たまには市井の人々のように自由に動きたいんです! 町人に変装して、王都を散策しましょう! ローレンツィア王国の王都は、治安がいいって聞いていますわ。だからお忍びで町へ出ても大丈夫ですわよ」
これにはジョシュも驚き、国王陛下に相談することになる。国王陛下は使節団のネル皇女の次の責任者に話を聞き、その結果――
「侍女を二人、護衛騎士を三人つけるならお忍び風……での外出が許可されました。町人のような服装をして、お互いを呼ぶときも身分を示す呼称なしになりますが……本当にこれでいいのですか?」
「わー! ありがとうございますジョシュお兄様! 本当は三人だけがよかったですけど、十分ですわ!」
ネル皇女は大喜びとなり、そしてまずやって来たのが王立香水研究所。ここは国の機関であり、建物内の見学がメインとなる。しかも平民の研究者が多いが、その研究者以外の立ち入りは禁止。調香のレシピは国家機密扱いであり、警備員もいて宮殿ほどではないが安全面は確保されていた。
よってこちらの見学は実にスムーズで、調香師から話も聞け、ネル皇女は大喜び。ここで気を付けるべきは研究所の隣の敷地の香水の販売店であるが、そもそも香水は高級品。貴族しかお店に来ないので、むしろ町人の装いの私たちが怪しまれるかと思ったが……。
「で、殿下よ……!」
「そしてあちらは婚約者である救済の聖女様だわ!」
ジョシュは変装してもオーラを隠しきれず、ジョシュといる私は自然と身バレしていた。ネル皇女は完全に溶け込み、お忍びデートをする私たちについている侍女の一人のように思われているが、本人は変装が完璧であるとご満悦。
その次に向かったのは王室御用達のチョコレートを作っているショコラトリーで、ここはチョコレートを作る工房のほかに店頭販売を行うショップ、そしてサロンが併設されていた。
チョコレートは高級品だからそもそも庶民は足を運ばない。ショコラティエは平民だが、彼らは王室御用達のチョコレートを作るぐらいだから身元調査をきっちりされている。しかも出入り口にはドアマンがいるが、彼らは警備員の役目も担っているのだ。お忍びと言えど、ここも安全ではあったのだけど……。
やはりジョシュの隠しきれない王太子の美貌オーラでサロンにいるマダムや令嬢は彼であると気づき、いつもと違うその装いに目がハートになっている。そんな中、本来挨拶などいらないが、やはりジョシュに気づいたショコラティエがわざわざ挨拶しに来てくれた。
「本日はわざわざサロンにご来店いただき、ありがとうございます。ご予約いただいていたスプリング・アフタヌーンティーについて、少しご紹介させてください。まずこちらのセイボリーはホワイトアスパラガスのキッシュです。生地とホワイトアスパラガスをソテーする際にカカオバターを使っております。そしてこれは鴨肉のコンフィを使った一口タルトで、カカオを使ったソースをかけました。そしてこの小さなポーチドエッグはウズラの卵を使用しており、レモン風味のソースにカカオバターを使っております。二段目のスコーンは、ひとつはプレーンなもの、もう一つはチョコレートを生地に練り込んであります。クロテッドクリームとチョコレートクリームをご用意しているので、チョコレートの風味をお楽しみください。さらに……」
もうショコラティエは王太子であるジョシュとその婚約者である私がお忍びで来店したのが嬉しいようで、話し始めると止まらない! 一通り、三段プレートのセイボリー、スコーン、スイーツについて説明してくれた。
全てを聞き終えるとネル皇女がこんなことを言い出す。
「スイーツ以外にもチョコレートを使っているなんて、すごいですわ! ローレンツィア王国のショコラティエは優秀ね! ところで熱心なショコラティエさん。カカオの入手や値段に不満はありませんこと?」
「それは……! 王都は港から離れています。そもそもローレンツィア王国で海に面しているのは西側の一部のみ。カカオの輸入は……。だからカカオはとても高額です。店が王室御用達となり、王家が日常的にご購入してくださるので、なんとか回していますが……。そもそも入荷が輸入頼みで安定していません。悪知恵の回る店では、混ぜ物でかさ増しをして誤魔化していることもあるようで……。カカオが高額で希少であることの弊害が起きていると思います」
ショコラティエが苦しい実情をつい打ち明けるとネル皇女は「まあ、それは悲劇的ですわ」と同情し、こんなことを言う。
「そうですわよね……。もしもフェンブルク帝国との友好が深まれば、カカオなんて今の半分の価格になりますのに」
お読みいただき、ありがとうございます!
ネル皇女、女帝の貫禄~!
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