17
「女神からの差し入れが届いたぞ!」
この季節、屋根裏部屋はうだるような暑さになる。日中は三十度近くになり、夜になっても室内の温度はたいして変わらない。窓はあるが、そのサイズは小さかった。それにそもそも張り込みをしているのだから、窓を開けることもできなかった。
そんな状況下で届けられる女神……ポメリー・アン・ラウンズベリー伯爵令嬢……王太子殿下の特別な女性からの差し入れ。氷室で冷やしたフルーツはヒンヤリして喉を潤してくれる。しかも間もなく昼時というこの時間、程よく小腹も空いているので、私を含めた同僚の騎士達はこの差し入れを大いに喜ぶ。
騎士達は早朝からこの屋根裏部屋に集結、二つの小窓から、通りを挟んで立つとある貴族の邸宅を見張っていた。
「しかしディック、馬車だと一日かかるのに、三時間程度で戻るなんて、本当にすごいよな」
「ああ。寄り道してもその時間だっていうのだから……。ちゃんと訓練を受けたエリート中のエリートなんだろう。今度、街で見掛けたら敬意を払いたくなりそうだ」
そんなことを仲間の騎士と話しながらフルーツを食べ、それが終わると持ち場にいる騎士と交代し、膝立ちで窓の方を見る。
「おい。あれ」
「お!」
私の持ち場とは別の窓から見張っていた仲間の騎士が、急いだ様子で双眼鏡を覗き込む。私も目視で確認してから首から下げていた双眼鏡で見張りの対象を見る。
(外れだ)
見張りの対象は明らかに異質と思える見た目だと聞いていたが、今、双眼鏡で見たそいつの姿は街中でよく見かけるそれと変わらない。
そこで双眼鏡から目を離そうとした時、視界の端で異質な物を捉えた。
ハッとして双眼鏡に目を戻して確認する。
いつもよく目にする青灰色ではなく、赤茶色という見慣れない姿に、これが間違いなく見張りの対象だとピンと来た。
「間違いない! 戻って来たぞ! 合図を送れ!」
私は押し殺した声で仲間の騎士に告げた。
◇
この日、王都の三か所で騎士達は張り込みを行っていた。この三か所のいずれに姿を現すか。どこに現れてもおかしくなく、見逃さないことが重要だった。そしてスピナッチ伯爵夫人ことロージーが放った伝書鳩は、王都の一等地、宮殿から目と鼻の先の公爵邸にその姿を現した。
同時に、待機していた一階の騎士達は建物を出てすぐさま公爵邸に突入し、当主である公爵の身柄を拘束、証拠となる伝書鳩も捕獲した。
その際、公爵とはひと悶着があった。
「何だ、貴様たちは! 突然、人の屋敷に許可なく足を踏み入れるとは! わたしは公爵だぞ! 無礼者!」
プルートス公爵は屋敷に踏み込んできた騎士に唾を飛ばしながら叫ぶ。
一方の騎士たちは、手にしていた巻物を広げて公爵に見せる。
「国王陛下及び王太子殿下が貴殿の屋敷の捜索を命じている。異論がありそうだが、反逆罪に問われたくないなら、素直に従うべきかと」
隊長がその場を代表してピシャリと告げると、プルートス公爵はハッとする。慌てて執事長に目配せするが、間髪を入れず、その場にいた騎士が動く。公爵はぎりっと歯を噛み締め、従者を見るが、そちらは既に拘束済み。そしてそこに鳩舎から証拠となる伝書鳩を捕らえた騎士が戻る。つまりスピナッチ伯爵夫人がスミス宛に書いた手紙をつけ、戻って来た伝書鳩だ。
「ではプルートス公爵、我々と一緒に黒の塔へ来ていただけますか?」
◇
「陛下、殿下、お食事中、失礼します。急ぎ耳に入れておきたい報告がございます」
侍従長の言葉に深緑の宮廷服姿の国王陛下と、濃紺のセットアップ姿のジョシュが目配せする。
昼食中でも構わず、報告するようにと二人が命じていることは、今時点では一つしかない。
それはスミスの正体につながる伝書鳩の件だ。
「よい。そのまま報告せよ」
国王陛下がそう告げると、侍従長は「かしこまりました」と応じ、手元の報告書に書かれていることを読み上げる。
「スピナッチ伯爵夫人が放った伝書鳩が戻った場所が判明いたしました」
「どこであった?」
スズキの白ワイン蒸しを口に運びながら国王陛下が尋ねる。
「プルートス公爵邸でございます、陛下」
その答えを聞いた国王陛下は一瞬、口をへの字にしてからグラスの白ワインをごくりと飲む。ジョシュは目を閉じ、大きく息を吐き、落ち着きのあるワイン色のドレス姿の王妃殿下は眉をひそめる。
(公爵家というのはどこの国でも王家と近い存在。その公爵家に裏切られるのは……王家にとっては痛手)
「黒の塔へは連行したのか?」
「はい、陛下。証拠となる伝書鳩は騎士が持ち帰っています」
「分かった。伝書鳩は重要な証拠になるから、王宮の伝書鳩の管理官に預け、ケアするように」
そこで国王陛下がジョシュを見る。すると心得た様子のジョシュが口を開く。
「陛下は午後、ヌメール国の大使とのレセプションがあります。黒の塔には僕が行き、プルートス公爵に真意を問いただしましょう」
「ジョシュア、よく言ってくれた。そなたに任せよう。……公爵と言えど、臆することはない。今回の件、不特定多数の貴族を狙う悪質な犯行じゃ。極刑を免れることはできん。爵位剥奪も……免れないだろう。それ以上の刑罰も」
「賜りました。私の最愛が被害に遭っているのです。容赦はしません」
「うむ。それでよい」
こうして午後、ジョシュは黒の塔へ向かうことになった。
◇
「ポメリー嬢、大丈夫ですか? 宮殿でお待ちいただくのでもいいのですよ」
「殿下、心配いただき、ありがとうございます。でも……私は実際に新雪糖を口にして、症状が出た一人として、公爵に真意を聞きたいと思ったのです」
黒の塔へ向かうジョシュに私も同行することにした。その理由は、ジョシュに言った通りの想いがあるからだ。同時に、聖女が召喚される正規の小説の世界とは異なる、まさかの薔薇熱流行の裏に黒幕がいた――この展開の帰結を前世記憶持ちの私は、ちゃんと見届けないといけないと思ったのだ。
(この世界の骨格は私の知る小説の世界。でも起きる出来事は……全く違うものになっている。モブの私がヒーローと結ばれ、ヒロインが召喚されないこの世界はどうなるのか。ちゃんと見届けないといけない!)
何と言うか使命感を覚えていたのだ。
「ポメリー嬢、そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ」
「え」
黒の塔へ向かう馬車、本来的には私の隣には侍女、そして対面にジョシュと護衛騎士が座る……これが正しい席順。だがジョシュは私がまだ解毒剤を飲んでいる=病人ということで、看病のための名目で隣に座っていた。ちなみに侍女と護衛騎士は対面に並んで座っていたのだけど……。
スミスことプルートス公爵のいる黒の塔へ向かうということで、私は背筋をピンと伸ばし、馬車の座席に座っていた。そのあまりにもガチガチな様子を見かねたジョシュは私をリラックスさせようとして、優しく抱き寄せると額にキスをしたのだ。
額へのキスは司祭が祝福する際にも行うことだったのですが!
(ち、近い! ジョシュから爽やかな香水が薫り、何だか変なテンションになりそう!)
考えてみるとワンナイトラブ以降、ジョシュとはご無沙汰だった。
(それはそうでしょう。ちゃんと交際すると誓ったのは最近のことで、きちんと両想いになる前にそういうことはしない。いや、違います。そもそもこの世界、未婚の男女の婚前交渉に厳しいのだから、何もないのが正解!)
さっきまでこの世界の行く末を見守る~とか壮大なことを考えていたが、ジョシュの額のキスだけで、煩悩まみれになってしまう。
(私は頭の中で、たった一晩のジョシュとのラブを思い出して、胸がドキドキしてたまらない。でもジョシュは額にキスをした後、抱き寄せたままだけど、それ以上はない……)
なくて当然だった。対面の席には侍女と護衛騎士がいるのだから。
(もしかして私、性欲が思いのほか強いのかな……)
凛としたいのに、ついずぶずぶな妄想をしてしまい、そんなことをしていると黒の塔へ到着した。
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