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今回、スピナッチ伯爵を王都に呼び寄せたのは、新雪糖に混入していた異物について問いただすという名目ではない。王太子が懇意にしている貴族令嬢がアルネシア商会で販売されている真っ白で薔薇が香る新雪糖を気に入り、特別に会いたいという触れ込みにしていた。
(こうすることでスピナッチ伯爵は油断するし、家を空ける時、警戒心が高くなることはない。今頃、港町にある彼の屋敷にはジョシュの手配した騎士が踏み込み、新雪糖に関するありとあらゆる情報を収集しているはず)
何も知らないスピナッチ伯爵は、王太子に会えたとほくほくしている。
でもその笑顔はここまでだ。王都にいては新雪糖に関する情報を隠すことはできない。
それでもしばらくは当たり障りのない話で盛り上がる。王都で流行しているオペラの話であるとか、スピナッチ伯爵と奥方が暮らす港町の話なのだ。
アイスブレイクが終わったところで、ジョシュがカードを切る。
「……ところで新雪糖はとても良い香りがします。彼女もその香りが好きというので、同じ香りの香水を用意したいと思ったのです」
「そうなのですね。あれは薔薇の香りでして」
「ええ、そうですよね。香水を作るために、詳しい成分を知りたいと思ったのです。そこで彼らに新雪糖を分析させました」
ジョシュの声を合図に、宮廷医ラスクや教授や学者たちが部屋に入って来た。
突然現れた白衣の人々に、スピナッチ伯爵とその奥方はギョッとしている。だが二人の反応は分かりやすく別々になっていく。
奥方の方はまだ若い宮廷医ラスクを見てニコニコと笑顔を浮かべる。対してスピナッチ伯爵は驚きから落ち着きのない表情へと変わる。
もうその様子は素人目でも“怪しい”と思えてしまう。
そこへメイドが紅茶を運んでくる。
ゴールドの装飾があしらわれたティーカップを見て、奥方の方は「まあ、なんて素敵!」と目を見開く。対してスピナッチ伯爵は、ティーカップと一緒にローテーブルに置かれた陶器の砂糖壺に目が釘付けになっている。
「沢山の新雪糖を送っていただき、ありがとうございます。早速ですが、この紅茶にも合うかと思い、ご用意させていただきました。茶葉は春摘みのダージリンです」
「まあ、春摘みのダージリン! 町は潮臭く、春摘みダージリンなんてなかなか手に入らないので、嬉しいですわ!」
奥方がジョシュの言葉に瞳を輝かせる。
「スピナッチ伯爵夫人は、もしやボーンの町の生まれではないのですか?」
「違います! 私は生まれも育ちも王都です!」
「そうでしたか。何歳まで王都に?」
「え」
「あなたのような美人、舞踏会で見かけていたら、忘れないと思うのですが」
「……! いえ、その……社交界デビュー前に、ボーンへ……」
すると奥方の言葉を遮るように、渋い顔をしていたスピナッチ伯爵が「違うだろう? ロージーは」と何か言い掛けると、ロージーこと奥方は「うるさいわね、黙って!」と叫ぶ。
スピナッチ伯爵夫妻、夫婦仲はいいのかと思いきや……。
なんだか険悪な雰囲気になっている。
「お二人とも落ち着いてください」
ジョシュの言葉に二人はハッとする。
目の前に王太子がいたのに何をしているのかと、ようやく自覚したようだ。
「ぜひ紅茶をお飲みください。せっかくなので新雪糖も使うといいかと」
「まあ、よろしいんですか!」
ロージーが砂糖壺に手を伸ばす。その様子を、私やジョシュだけでなく、宮廷医ラスクらも見守るが、スピナッチ伯爵は……。
夫婦喧嘩になりかけた時は素の様子だったが、今はまた何とも言えない表情を浮かべているだけ。
(自身の妻が新雪糖を使うことを止めないんだ……!)
それが意味することは、妻への愛がない。もしくは――。
「あ~、いい香り! この新雪糖、王都の貴婦人の間で人気なんですよね? 私も使ってみたいと何度も頼んだのですが……。『砂糖は高級品だ。売り物なんだ!』と言うばかりで……。実は今回、初めてですよ、頂くのは!」
奥方の言葉に、私とジョシュは「なるほど」とさりげなくアイコンタクトを交わす。
一方のロージーは砂糖壺の蓋を開けると、スプーン三杯分も紅茶に新雪糖を入れたが……。スピナッチ伯爵は顔色こそ悪いものの、それ以上の反応はない。何度も瞬きをして目が泳いでいるだけで、ロージーを止める様子はやはりない。
「あ~、本当にいい香りだわ。……ではいただきます!」
遂にロージーが紅茶を口につけようとしたその時。
「お待ちください」
ジョシュが待ったをかけ、ロージーは口をつける寸前で動きを止める。
「香りの成分を調査するため、新雪糖についていろいろ分析したところ、思いがけない発見があったのです。実は――」
「申し訳ありませんでした!」
そこでがばっと体を折るようにして、スピナッチ伯爵が謝罪の言葉を口にしたのだ。これにはロージーを含めたこの場にいた全員が「何事?」の表情になってしまう。だがそんなことにお構いなく、スピナッチ伯爵は話し続けた。
「最初は……ちゃんと作っていたのです。ですが砂糖を積んだ船が立て続けに二隻も難破して……救援した際、半分ほどは回収できたのですが、残りは海に沈んで……。困っている時に話を持ち掛けられたのです。見た目は精製した砂糖にそっくり。1割程度混ぜるなら気づかれない――そう言われて……。しかもタダ同然でその粉を譲られ、薔薇の香りづけをすると貴婦人の間で間違いなく売れると言われたのです。その薔薇の香料はサービスでもらえました」
スピナッチ伯爵の告白を受け、ジョシュは尋ねる。
「つまり初期の新雪糖は、砂糖100%だったのですね。でも輸入していた砂糖の入荷がままならなくなった時、偽装を持ち掛けられた。しかも無償提供で薔薇の香りづけを提案されたと」
「……そうです。1割ぐらいなら甘さに差は出ない。値段はこれまでと変わらないが、薔薇の香りという付加価値もつく。だから許してもらえるだろう。勝手に成分を変えても……そう言われたのです」
「砂糖に混ぜている白い物質。それが何であるか、あなたは知っていたのですか?」
ジョシュの核心を突く指摘に、スピナッチ伯爵は首を振る。
「知りません。ただ砂糖に似た粉末のもの……としか認識していません」
知らない……これは事実に思える。不仲に思えても、さすがに自身の身内が目の前で毒と分かっている物を口に運ぶのを止めないのは――人としてあり得ないと思う。
(知らなかったから、ロージーが新雪糖を使うのを止めなかった。そこはそうだとして、この夫婦はどうして結婚したのかしら? 最初は愛し合っていたけれど、もう冷めてしまったの……?)
私と同じ疑問を持ったジョシュが、こう言ってくれる。
「なるほど。何も知らなかった……というわけですか。……ところでスピナッチ伯爵は奥方のことを心から愛していますか?」
「そ、それは……」
「政略結婚とは違うようですが、お二人は訳ありに思えます」
ジョシュの言葉にスピナッチ伯爵は肩で大きく息を吐き出す。
「実は偽装の取引を持ち掛けてきた男はタダ同然で粉を譲るが、このことを口外するなと言いました。そしてその男とわたしとの連絡係を兼ねたロージーを……妻を亡くしていたわたしにロージーを後妻として迎えるよう要求したのです。それが粉を用立て続ける条件でした」
スピナッチ伯爵の言葉にジョシュも私も、この場にいた宮廷医ラスクらもロージーを見た。いきなり皆の注目を集めることになったロージーは困惑し、「私は何も知らない!」と大声を上げる。
「落ち着いてください。あなたを責めるつもりはありません。ただ、知っていることを話していただきたいだけです」
ジョシュが優しく微笑むと、ロージーは頬をポッと赤くし、慌てて目線を伏せ、ぶっきらぼうに答える。
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