第75話
禁忌
「助手よ! これは大発見だ!」
「はい! 先生、おめでとです!」
研究室に缶詰めとなり考究し続け、早数年。
わたしは遂に研究成果を収めることと相成った。
この度、わたしは人と神との関係性を研究し、今まで謎に包まれていた「才華」の事実を解明した。
「まさか、わたしたちの才華にそんな秘密があったとは……これ、学会に発表したらど豪いことになりますよ!」
「何度も挫折を味わいながら諦めなかった賜物だ。何より助手に感謝したい……」
「えへへ! 先生、ありがとです!」
固い固い握手を交わす。助手はにんまり笑っていた。
「先生! 今はそんなことより――」
わたしは「そうだ」と手を打った。
「助手よ、馬車を手配してくれ! 今すぐ街へと向かおう!」
「はい!」
「論文、こっちで纏めておくから!」
「それじゃあ、そっちはお願いします!」
定説では、才華というのは尋常ならざる力であり、神が人間一人一人に与えるものとされている。
ならば、神はどんな理由で人に才華を齎すのか、どんな手段で才華を授けているのか、わたしは疑問視した。
切っ掛けは、とある筋からこの手に掴んだ古書だった。古びた書物のその内容は戦女神の記述であり、才華についての関連性も詳しく書き綴られていた。
戦女神は英霊たちのその魂を選定し、神の世界に誘うことで徴兵役を担っている。英霊たちは有事の際の貴重な戦力源として、人の世界を離れた上で第二の人生を送るという。
わたしはこの、神々による募兵に関して着目した。
これこそ、人に力を与える動機であると思ったのだ。
神の力は強大であり、鮮烈極まるものである。人間界の英雄たちでも太刀打ちできないほどだろう。
そこで、神は人間たちから強い手駒を作るため、自ら力を割り振り、それが人の才華となったのだ。
神は人の信仰心で力の多寡が上下する。豊穣神が主神に通じる力を持つとされるのも、フレイヤ教の多数の信者が彼女を崇めているからだ。
そういう意味でも、この推論には非常に信憑性がある。一般人は才華に対して決して造詣は深くない。しかし、なぜだかいつの日からかわたしたちは妄信し、才華は神から受け賜ったものだと思ってしまっている。
多くの人は自分の才華を開花させずに没するが、元が神の力とあらば、そういう面にも合点がいく。勇者指定を受けるような才人ならば例外だが、そんな能力に目覚める者など、そうそう出現しないだろう。
そして、核心。
一体、誰が……こんなことをしているのか。
人間全てに自分の力を切り分け、与えられる神。
そんなことができ得るのは――。
「主神オーディン、でしょうね」
「!」
振り向けば、音も立てずに助手が後ろに立っていた。
しかし、様子が変である。いつもの彼女と違っていた。助手は怪しく微笑みながら、けたけた声を上げていた。
「お前、誰だ……?」
「うふふ。あはは」
「一体、助手に何をした!」
大きく髪を掻き上げた後、助手がわたしに目を向けた。
胸の臓器を冷たい氷で擦られ、宛てがわれたような、そんな奇妙な錯覚がして……。
わたしは、その場に頽れた。
「初めまして。わたしの名前はヘル。突然、ごめんなさい。ニヴルヘイムの女神といえば、この名は通るのかしら」
「……っ!」
「神々は人間界に降りてくるのも大変でね。今はこの子の身体を借りて、貴方に会いに来たの」
「……っ!」
死者の世界を牛耳る女神が、わたしの前に現れた。
ニヴルヘイムの支配者、ヘル……。
わたしは一人で戦慄した。
「駄目よ? わたしたちのことを嗅ぎ回ったりなんかして。わたしたちにも秘密の一つや二つ、普通にあるんだから」
「……」
「わたしは主神の命で貴方のもとへとやってきた。貴方は禁忌に触れてしまった。わたしの世界にいらっしゃい」
一歩、二歩、助手の二足が、ゆっくり……こちらに歩み寄る。
身体が……凍えるように寒い……。
五体が、凍りついていく。
「大丈夫よ。安心して。貴方は神秘に近付いた。とても利口で、とても優秀。わたしが愛でてあげるから――」
その時、こちらに迫るその手を、誰かが掴んで、抑制した。
銀髪碧眼。小さな少女が、わたしの目先に出現した。
「冥府の主よ、ご自重をば。お戯れが過ぎます」
「あら……」
「ここは下界のミッドガルド。ニヴルヘイムに、お帰りをば」
「彼はわたしが戦女神のこの名を以って選定します」――突然すぎるそんな宣言に、わたしは胸中、動揺した。
少女は自分自身のことを戦女神と呼称した。
わたしの前に、二人の女神が姿を現したのである。
「ふふ、選定問もなしに死者のその手を掴むのね」
「ニヴルヘイムとヴァルハラの道、誰が前者を選びましょう」
「うーん。それは困ったわね」と、頬に手を当て、小首を折る。
二人の女神は一点集中、互いに互いを見つめていた。
「けれど、これは義伯父様がお申しつけになったこと。貴女だって主神の命に逆らうことはできないでしょう?」
「それは、その……何とかします。豊穣神にお強請りします」
「フレイヤさんでも駄目だったら?」
「お父君にもお強請りします」
「あはは!」――瞬間、女神ヘルが腹を抱えて一笑した。
膝を折って、戦女神に微笑む。
心底、愉快げに。
「お父様の名前を出されちゃ、ふふふ……わたしの降参」
「……」
「貴女、知ってる。ラーズグリーズ。噂通りの可愛い子ね」
研究机の論文全てを手に取り、燃やして灰にして、女神ヘルは「楽しかった」と一言。
わたしに忠告した。
「先生? ほんとは助手の命も奪っておかなきゃいけないけど、そこの可憐なお嬢さんがそれを許してくれないの。だから、最期に貴方の口から彼女に伝えておきなさい。研究成果は他言無用。このまま忘れるようにと」
「……」
優しいような、冷たいような、そんな瞳の色のまま、女神ヘルが視線を移す。
戦女神は黙っていた。
「ラーズ? 今日はありがとう。貴女に会えてよかった」
「……」
「わたしたちは近いうちに、必ずどこかで再会する。その時まで、お元気で」
「ヘル……」
「うふふ。さようなら」
意識を失くし、助手の身体がばたりとその場に倒れ込む。
「あれ……? わたし、どうしたんだろ」――助手は間もなく気がついた。
「え、先生……? 先生、しっかり! 一体、何があったんです!」
「助手よ。話を聞いてくれ……」
「話……?」
「そうだ。実は――」
「……」
神の名前は伏せた上で遺言代わりに言い残し、口外禁止を約束した後、わたしはそのまま息絶えた。
子供のように喚く助手を、わたしは宙から見つめていた。
彼女だけでも命が助かり、わたしは……愁眉を開いていた。
インパチェンス




