第66話
懺悔
『王族に対する忠義を誓い、奴隷の契りを結ぶのだ。お前が服従している限り、修道院は生かしておいてやろう』
修道院で育ったわたしは貴族にその目をつけられて、王族たちに売り流されて王室仕えの身となった。
脅しといっても過言ではない帝王からの強迫で、わたしの首には朱殷色の契約印が刻まれた。
「待て! 勇者、そんな姿で王に謁するつもりか!」
「……」
「おい、貴様! 聞いているのか! わたしに返事はどうした!」
「……」
わたしの五体が汚れているのは百も承知のことだった。
顔も身体も傷だらけで、衣服も砂泥に塗れている。
しかしこれらは多くの人から受け賜った報いであり、今はわたしの誇りである。
わたしは構わず前進した。
「おお、勇者だ! 勇者の帰還だ!」
「北の勇者が帰ってきた!」
帝国領には王族、貴族の悪習――前祝会があり、彼らはわたしの帰国に伴い、酒食の席に集っていた。
戦の勝利が色濃くなると彼らはこうして列席し、現地で戦う者のことなど構わず、宴を催すのだ。
わたしが再び戦に戻ると高を括っているのだろう。
王族、貴族に取り囲まれて踏ん反り返った大男が、わたしの到着、姿を見やり、にやりと目尻を下げていた。
「来たか。リコリス、暫らくだ。お前が姿を消した時はどうしたものかと思った」
「……」
「お前が帰国を遂げたとあって急遽酒会を開いたのだ。リコリス、今宵はお前が主役! 思う存分、飲むがいい」
「竜王国への餞だ」――北の王者が嘲笑する。
帝王一人のそんな一言に、周囲は「わはは!」と笑っていた。
「帝王様、とんだ無礼を。こやつめ、こんな格好で……」
「よいよい。大臣、北の勇者は無事に我が手に戻ったのだ。逃げることも隠れることもできた。それでも戻ったのだ」
ぴくりとわたしが反応したのは、見過ごされてはいなかった。
こちらに向かって歩み寄り、わたしの顎を鷲掴む。
「世界中の人間たちがお前のことを恨んでいる。結局、お前は我が手の中で生きることしかできないのだ」
「……っ!」
「ふはは。愛いやつだ。我が側近に相応しい。お前の鋭い両の瞳は、これがなかなか唆るのだ」
「どれ、酒会で酔った後は久方振りに抱いてやろう」――わたしはその手を振り解き、嘗ての主人を睥睨した。
余裕面で、こちらを見る。近衛隊が取り囲む。
帝王自ら頸部を曝し、わたしに側面を見せつけた。
「その前に、外れてしまった首輪を繫いでおかねばな。消えてしまった奴隷の契約、再び契りを交わそう」
「……」
「破棄の才華の小娘ならばお前の部屋で死んでいた。死体は細かく刻んでやった。家畜の飼料にしてやったぞ」
「わはは!」「おほほ!」――王族、貴族の笑い声が沸き起こる。
わたしの中で、とても大きな……。
何かが、切れる音がした。
「殺してやる……」
「何だ? どうした? 声が小さい。聞こえんぞ」
「殺してやる。お前たちは……みんなの世界に必要ない!」
予ねて描陣、完成していた魔法陣が発動する。
王城内が地震のように激しく振動し始めて、硝子窓が割れ、悲鳴が飛び交い――。
わたしは目を閉じた。
……。
…………。
………………。
「……」
……。
…………。
………………。
「……」
闇の中にいるかのような漆黒の場に立っていた。
王城一間の全てを巻き込む超大規模の転送魔法。
ここまで高位の魔法陣はわたしも初めて描いたが、どうやら上手くいったようだ。
わたしの手先は震えていた。
「おい、何だ! 何が起きた!」
「ここは一体、どこなんだ!」
王族、貴族の恐怖の声が暗闇内部に響いている。
すると、徐々に闇が晴れて、頭上で何かが発光した。
とても大きな、大きな大きな宝石みたいな放光体。深紅色の四角いそれがわたしたちを照らし出し、更に、光は火輪のような――。
強い熱度を帯びていた。
「うわあああ! 熱い! 何だこれは!」
「北の勇者はどこにいる!」
貴族の一人がわたしを見つけ、死に物狂いで迫ってくる。
両手でわたしの肩を掴み、その後、頭上を指差した。
「おい! あれは、あれは何だ!」
「ニーズヘッグの肺核です」
「えっ……」
「ここは邪竜の体内。ニーズヘッグの肺臓です」
ニーズヘッグはニヴルヘイムに棲息している邪竜であり、火を吐くための発火器官を肺の内部に有している。とても巨大なその肺核はさながら真っ赤な鉱物で、放つ光は尋常ではない強い熱度を帯びていた。
どうやら邪竜は身体の中の異物に気付いたらしい。
光はどんどん強くなり、比例し、熱度も増していた。
「あっ、あっ……あっ、あっ……」
「誰か、誰か助けて……」
「……」
人によっては言葉を失くし、人によっては絶叫し、王族、貴族の身体は発火。
次々、命を落としていた。
近衛隊の冷却魔法で守られていた帝王も、やがて孤立し、一人となる。
わたしは、静かに開口した。
「ずっと、ずっと考えてた。わたしに適った死に方を。わたしたちに似つかわしい、残酷無比な最期を」
「……」
「わたしは罪を償うために世界中を巡ったけど、わたしは存在自体が悪で、何にも起こせはしなかった。多くの人に多くの不幸を振り撒くことしかできなくて、中には、愚かなわたしのせいで命を落とした人もいて……やっと分かった。わたしにできる唯一無二の贖罪は、わたしが死んでこの世界からいなくなることだったんだ」
前祝会には帝国領の権力者たちが挙っていた。
わたしたちが死ねば、きっと……世界に平和が訪れる。
内政的にも外交的にも、四大陸に贖って……。
戦争なんか終結させて、帝国領は、これから……。
「――」
わたしたちの阿鼻叫喚が体外に届いていたのだろう。ニーズヘッグは愉快そうに「ふふふははは」と笑っており、そんな大きな笑い声も肺の中まで響いていた。
北を征した覇者たる王が、ばたりと倒れて、焼失する。
わたしはそれを見届けた後、そのまま――。
意識を失った。
……。
…………。
………………。
「……」
……。
…………。
………………。
「……?」
白い部屋。わたしはそこで、一人で蹲っていた。
三角座りで塞ぎ込み、まるで……小さな子供みたい。
どうやらわたしは使命を果たし、そうして……焼け死に、没したらしい。
一体、ここはどこなのだろう。それは確かに疑問だが、そんなことなど……どうでもよかった。
心は、晴れてはいなかった。
かつん、かつん――。
かつん、かつん――。
お淑やかな、静かな足音。
耳に馴染む、優しい足音がどうしようもなく懐かしく、わたしは思わず顔を上げてその方向を見つめていた。
二人で過ごした修道院の、幼少時代を思い出す。
そこには、両手を背中で組んだ、親友……ミモザが立っていた。
「ご機嫌よう。泣き虫さん」
「……」
「ふふふ、お久し振り」
ミモザが現れ出でたことで、この状況に合点がいく。
ここは、件の戦女神が作り出した精神世界。
わたしは死後、彼女によってここへと誘い込まれたのだ。
「……理解したわ。貴女の主が陰で糸を引いてるのね」
「別にこれは女神様が仕組んだことではないけどね。ここは、死後の行き場に迷った魂たちの停留所。これから貴女はどこに向かうか、それを自分で決めるの」
「……」
わたしは俯き、顔を伏せる。行き先なんて決まっていた。
わたしは地獄に向かうのだ。それこそ、わたしの罰だから。
「……ごめんなさい。わたしは貴女と同じ場所には行けないわ」
「なぜ?」
「だって、だってわたしは、みんなに酷いことを……」
「……」
ミモザがわたしの後ろに回り、屈んで、背中に手を添える。
彼女の手掌は温かかった。耳元近くで、語りかける。
「赦されるとか赦されないとか、それを決めるの、貴女なの? 罪を犯した貴女を赦すか、それを決めるの、彼らでしょう?」
はっとした。心が騒いだ。わたしは咄嗟に前を向く。
聖王国の王族たち、大船団の船員たち、わたしが手にかけ、命を奪った――。
みんなが、この場に会していた。
「そんな、どうして、どういうこと……?」
「リコリス」
「ミモザ、わたしは――」
「どーん!」
動揺していた。不意を突かれて子供たちに抱きつかれる。
カズラにラナンに、チドリである。
子供たちは笑顔を浮かべ、わたしのことを見つめていた。
「行こう! リコリスお姉ちゃん!」
「えっ……」
「みんなのところへ!」
「あっ……」
カズラとラナンに両手を引かれ、気付けば、立ち上がっていた。
背中を押すのはチドリである。わたしは三人に抗えない。
横一列に並んだ、みんなは……胸に献花を握っていた。
わたしが供えた一本花だ。
涙が――。
涙が溢れ出した。
「彼らは今後、神の世界の大戦争に加わります。勇者の力があれば、わたしも心強いのですが」
「……」
戦女神が隣りに立つ。なるほど。わたしの完敗だ。
止まりはしない涙を、必死に、必死に必死に拭いながら、わたしはこの場で約束した。
嗚咽で、声が裏返る。
「貴方たちは! わたしが、必ず! 必ず、守ってみせるから……っ!」
子供のように大きな声で、わたしは、ずうっと泣いていた。
みんなが、わたしを笑っている。
わたしは……赦しを受けていた。
リコリス




