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叛逆のヴァルキューレ  作者: 雪野螢
79/143

第64話

表裏




 大船団が全滅したのが最大契機だったと思う。

 西の民はお金をたくさん手にする順に列を成し、帝国軍の支配下にない南に向かって遁走した。


 西には人でも魔物でもない妖精族の里があり、その血を受け継ぐ一族当主が大陸全土を守っていた。

 故郷に残った貧民たちは彼方に前途を委ねたが、しかし結局、帝国軍は上陸――。


 西を制圧した。


「お母さん、お父さん……わたし、お腹空いちゃった……」


 わたしのような戦災孤児は数えきれないくらいいて、親を亡くし、身を寄せ合って必死に生き長らえていた。

 無法地帯の貧民街には大人たちも残留し、幸い、現状北の魔の手はここには届いていなかった。


 ……しかし、それも長く続けば問題ばかりが増えていき、取り分け飲食物についてはとっくに限度を迎えていた。

 わたしたちは小さな子供で食料確保も儘ならず、世界規模の戦時中で他国の支援もないのである。


 わたしはご飯が食べられなくて、日に日に痩せ細っていき……。


 貧民街のその片隅で、一人で蹲っていた。


「――両目を閉じて、じっとしてて」

「へ……?」

「声を出さないでね」


 頭の上から聞こえた声に返事をする間もないままに、わたしの身体は何とも言えない浮遊感に包まれた。


 次の瞬間、気付けば、わたしはとある民家の二階にいた。家主を失くした無人の家だ。

 貧民街の一家(いっけ)である。


「驚いたよね。ごめんなさい」

「あっ……」

「一先ず、これどうぞ」


 同室内には、綺麗な綺麗な一人の女性が立っていた。 


 我が身に起きた不思議な現象、正体不明のお姉ちゃん。

 しかし何よりわたしが一番その目を注目させたのは、床に並べられた食べ物!


 身体が勝手に動いていた。


「はぐはぐ! がつがつ、がつがつ! ごくっ!」

「ふふふ。ゆっくり食べてね」

「……」


 お姉ちゃんはとても優しい笑顔でわたしを見つめていた。けれども、彼女は傷だらけで、衣服も異常に汚れていた。

 お姉ちゃんがどこの誰で、何を経たのか不明だが、笑顔の割にはとても窶れた、そんな目顔を浮かべている。


「お姉ちゃん、一体、誰……?」

「……」

「火事場泥棒さん……?」


「あっ、嘘だよ! 冗談だよ!」――わたしは慌てて訂正した。

 しゅんと肩を落としてしまったお姉ちゃんを励まして、わたしは彼女の両手を握り、助けてもらったお礼を言う。


「わたし、ラナン。助かったよ。お姉ちゃんは?」

「……リコリス」

「そう! お姉ちゃん、見ない顔だし、街の人ではないんでしょ? だったら、ここには何にもないよ。ただの貧民街だし……」

「……」


 戦に乗じて無人の家屋を荒らす、そんな人もいる。お姉ちゃんはそういう悪事を働く人ではないようだが、だったら一層、こんなところに彼女がいるのは謎だった。


「この街、とっても治安が悪いの。怖い大人の人がいて。街の外まで案内するよ。安全な道、教えて――」

「!」


 立ち上がろうと、膝を立てたその瞬間に頽れる。

 酷い眩暈。お姉ちゃんがわたしの身体を支えていた。


「あれ……? 何だろ。可笑しいな。身体が言うこと聞かない……」

「……」

「お姉ちゃんにご飯を貰って、いっぱい、元気が出たのに……」

「……」


 お姉ちゃんがわたしの眼球、心音、腹部を確認する。

 彼女は眉間に皴を寄せ、悔しそうに歯噛みをした。


「栄養失調。衰弱してる。わたしの魔法じゃ治せない……」

「……?」

「今すぐお医者に行こう。ラナン、この街、病院は?」


 ある。あるが、診察料も薬代も凄く高い。とてもわたしは受診できない。

 お姉ちゃんにそう伝えた。


 すると、彼女は革の袋を取り出し、(それ)を逆さにした。その中からは煌々輝く金貨が一枚落ちてきて、床に転がり、お姉ちゃんは金貨(それ)を拾って、眺め見た。


「これが最後。お金は全部使った。あとは、わたしが――」

「……?」

「ラナン、聞いて。金貨(これ)を使って、病院、行っておいで」

「えっ!」


 驚いた。金貨といえば、銅貨の万倍の価値がある。

 それを、わたしなんかのために……? 一体、どういうことだろう。


 金貨なんて、今の今までわたしは使ったことがない。触ったことさえありはしない。

 それほど、貴重なものなのに。


「駄目だよ! そんな高価なもの……それに、最後の一枚でしょ?」

「いいの。ラナンが救われるなら、わたしはそれが嬉しい」

「……」


 わたしの手掌に金の貨幣をそっと乗せては、握らせて、お姉ちゃんはこくりと頷き、再びにこりと微笑んだ。

 

「一人で立てる?」――わたしの身体は何とか動いた。大丈夫だ。

 病院までのその道程を、歩くくらいは……できると思う。


「だけど……」

「ラナン、わたしはね。とっても悪い魔法使い。たくさん人を傷付けたから、その贖罪をしているの」

「……」

「ほんとはラナンと一緒についていってあげたいけど、わたしは悪い魔法使いで、人と会ったりできないから……」


「ラナン、病院、一人で行ける?」――わたしの両肩(かた)に手を添える。

 お姉ちゃんは心配そうにわたしのことを見ていたが、こくりと首肯し返事をすると、彼女は「よし」と頷いた。


『それじゃあ、ラナンの外来の後、再度ここに集合ね』

『美味しいもの、もっともっとたくさん持ってくるからね』――お姉ちゃんは初対面のわたしにとても優しくて、心の底から親切であり、天使のような人だった。


 金貨を握り、病院までの街路を一人で歩いていく。

 こんな大金、持つのは初めて。わたしはとても緊張した。


 病院までの道筋にある、最後の小さな曲がり角。

 ついつい、浮かれて歩調が弾む。


 通院した後、わたしは――。


「きゃっ!」


 大きな大人の男の人が、わたしを見下ろし、睨んでいた。

 曲がり角で人とぶつかり、わたしは倒れてしまったのだ。


 強く強く握り締めた金貨が零れ落ちてしまう。

 煌々輝く綺麗な金貨が、ゆっくり、地面を転がった――。


 ……。

 …………。

 ………………。


「――」


 ……。

 …………。

 ………………。


「……?」


 目覚めた時、わたしの前にはお姉ちゃんが立っていた。

 ただでさえも大きなその目を更に大きく丸くして、わたしを見て、膝を落とし、自分で自分を抱き締める。


 わたしは肉体(からだ)と分離していて、霊体化してしまっていた。

 身体が地面に転がっている。


 わたしは死んでいたのである。


「……戦女神、見てたんでしょ。何があったか、教えて」

「……?」

「ねえ、お願い。教えてよ。どうしてこんなことに……」

「……」


 気付けば、わたしのその隣りには一人の少女が添っていた。

 わたしと同齢(おなじ)くらいの女児だ。


 彼女が、ゆっくり口を開く。


 聞けば、わたしは金貨を奪われ、暴行されてしまったらしい。

「お姉ちゃんの金貨を返して!」――わたしは必死に抵抗し、男の人を激昂させて、乱暴されて。


 そのまま……。


「……」


 お姉ちゃんの足下には、潰れてしまった飲食物。色鮮やかな果物などが、紙袋ごと落ちていた。


 お姉ちゃんは何も言わず、魔法陣を()き始める。 

 戦慄した。わたしなんかに魔法の知識はないのだが、虚ろな瞳をしている彼女が、今は……。


 とても怖かった。


「お姉ちゃん、駄目……っ! 嫌……っ!」

「……」

「リコリスお姉ちゃん!」


 青い色の魔法陣が一つ、宙に完成し、鋭く尖った氷の矢針が発生――。


 術者に正対した。


「……っ!」


 わたしが次の悲鳴を上げる間もなく、先んじて、氷の矢針はお姉ちゃんに向かって射出。

 撃ち出された。


 お姉ちゃんの自分の魔法だ。彼女に保身の意識はない。

 両手で顔を覆い隠し、わたしは左右の膝を折る。冷たい風が頬を撫でた。


 わたしは、その目を閉じていた。


「……」


 しんと静まり返り、物音一つしない中。

 誰かがわたしの頭を撫でた。隣りの少女だ。刮眼する。


 更に一人、どこからともなくお兄ちゃんが現れて、お姉ちゃんの氷の魔法を、素手で……?

 受け止め、制していた。


「どうしてわたしの邪魔をする……? いつもいつも、お前は……」

「……」

「何とか言ったらどうなんだ……」

「つまらん真似をするんじゃない」


 お兄ちゃんが氷の矢針を砕いた。その手は凍傷(けが)していた。

 お姉ちゃんは目面を伏せたままで、表情(かお)は見て取れない。


 霊体であるわたしは直ちに彼女のもとへと駆け寄って、抱きつき、はっきり宣言する。

 貴女のせいではないのだと。

 

「お姉ちゃんは悪くないよ?」

「……」

「分かった?」

「……ありがとう」


 お姉ちゃんはわたしの霊体(からだ)を強く強く抱き締めて、その後、腕組みお尻を向ける、お兄ちゃんへと詰め寄った。


「クローバー」

「ああ? 何だよ」

「……」

「……」

「礼を言う」


 お兄ちゃんの背中を叩き、お姉ちゃんは姿を消す。


 お姉ちゃんは、決意に満ちた、そんな(ふたつ)()をしていた。




ラナンキュラス・ゴールドコイン

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― 新着の感想 ―
[良い点] 貧しく、ひもじく、身体も万全ではない状態なのに、金貨に目もくれないラナンの人格は、その花言葉の如くですね。 [気になる点] まーったく聞いたことが無いの(超失礼)で、また調べてみました! …
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