第38話
心中
僕と彼女が出会った場所は時計塔の前だった。
僕の街には大きな大きな立派な時計塔があり、彼女はそんな塔の根本に倒れて、気を失っていた。
行き倒れている身元不明の女性を助けて、介抱し、一人暮らしだった僕は彼女と二人で生活した。
聞けば彼女は遠い街から遥々やってきたらしく、それ以上の過去のことは一切語りはしなかった。
彼女はいつも物憂そうに空の向こうを見ていたが、時折り浮かべる彼女の笑顔が、僕の心を虜にした。
僕たち二人は時間をかけずに男女の仲へと進展し、開戦、徴兵通知が届き――。
そうして、今に至っている。
「本当に、本当にいいのかい……?」
「ええ。貴方が望むのなら」
僕は彼女に心酔していて、心の底から愛していた。
彼女のいない生活なんて考えられないほどだった。
僕に届いた徴兵通知は母国からのお達しで、南に逃れた東西軍に加入せよとのことだった。
しかし、此度の戦の結果は火を見るよりも明らかで、南側の適齢兵は失意の底に立っていた。お国のために戦わなければ非国民だと迫害され、仮に戦で生き残っても帝国の法に処されるのだ。
竜王国が勝たない限り、僕らの未来に明日はない。
だが、残念ながら現状、南の大陸に勝機は――。
「……」
そこで、僕は彼女に対して、一つの提案を持ちかけた。
戦時中の男女心中。ある意味、駆け落ち……逃避行。
僕の言葉を聞いた彼女に驚くような素振りはなく、悲しそうに笑った後に、彼女は「いいよ」と返事をした。
「君と出会えて幸せだった……」
「……」
「本当にありがとう」
二人が出会った時計塔の、最上階の、その天辺。
僕は彼女と片手を繫ぎ、街の景色を眺めていた。
静かな街並み、冷たい夜風、みんな……寝静まっている。
次の鐘の音色が契機。
僕らは約束し合っていた。
時計塔の機械室で、ぎこりと、歯車が回転する。
午前零時を告げる鐘が夜の帳に響いた時、僕と彼女は一歩を踏み出し、時計塔から――飛び降りた。
……。
…………。
………………。
……………………。
「……」
「……」
……。
…………。
時計塔の大鐘の音は夜空に霧散し、消えていた。
どうやら気絶していたようだ。僕は激痛で目を覚ました。
僕の身体は上半身と下半身が分断し、千切れた胴が目先に転がり、鮮血、臓器を翻していた。
途端に彼女が心配になり必死に周囲を見渡すと、彼女の五体は繋がったまま、地面に倒れ伏していた。
「……」
安堵の息をついて、閉眼しかけた、その瞬間。
僕は、我が目を疑うような……信じられないものを見た。
「……っ!」
彼女が動き出して、ゆっくり……起き上がったのだ。
だけではない。身体中の傷や打撲が治っていき、出血している箇所でさえも自然に止血が進んでいた。
彼女はとても口惜しそうに自分の身体を見ていたが、そんな折に、僕の視線に気付き――。
こちらを振り向いた。
「ごめんなさい。即死したと思って……油断してた」
「……?」
「バレてはいけないことだったのに……本当に、本当にごめんなさい」
何のことだ……? 何が起きた……? 僕は一人で困惑する。
一体、彼女は何を言っているのだ……? 全く分からない。
血塗れ。しかし完治を果たした彼女が、僕の頬を撫でる。
彼女の注意が他に移った。
戦女神が登場する。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
二人は沈黙し合っていた。
やがて彼女は何も言わず、僕のほうへと向き直り、いつものように物憂そうに――。
遠い目をして、冷笑した。
「できることなら貴方と一緒にわたしも心中したかった。だけど、わたしは死ねなかった。あの日と同じく、わたしは――」
「……?」
「わたしなんかと楽しい暮らしを送ってくれて、ありがとう。わたしも、きっと幸せだった」
「モルス、ごめんね。さようなら」――別れを告白されてしまい、僕は彼女に縋りつく。
声にならない叫びだった。
必死に、彼女に抱きついた。
「あっ、あっ……! あっ、あっ……!」
「モルス、本当にごめんなさい……」
「結婚しよう」と約束した。
「一緒に死ぬ」と約束した。
「来世も二人で」……約束した。
約束したのに、君は――。
「……」
力尽き、左右の腕から彼女の身体が擦り抜けた。
深い深い闇の向こうへ、彼女は一人で歩いていく。
僕はそんな彼女の背中を、両目を閉じずに……見つめていた。
モルス




