第37話
履行
「ねえ、父さん……この地下通路、一体、どこまで続くの?」
「……」
「こんな通路があるだなんて、僕、知らなかったよ……」
「……」
わたしの家には当主だけしか知らない秘密の部屋がある。
秘密の部屋とは、深い深い地下の大きな一室で、わたしは隠し通路を歩き、親子で地下室へと向かっていた。
左右の手には松明、そして倅の片手を握り締め、長い長い地下階段をゆっくりゆっくり下りていく。
我が家の当主は生涯のうち、この階段を二回使う。
倅は一度目、そしてわたしは此度が二度目に当たっていた。
「息子よ。もうすぐ地下室だ。父の話を聞いてくれ」
「え……?」
「これから話すことを、しっかり憶えておいてほしい」
わたしの家は歴史を辿れば、とても貧しい家だった。
しかし現在、屋敷を構えて我が家が大成しているのは、大きな大きな力を持った神のご加護が寄与していた。
とある先祖がとある神と共生契約を取り結び、わたしの家は永久に続く栄華を約束されたのだ。
代償として我が家の当主は三十にして地下室に来て、その身を神に捧げることが一家の掟となっている。
倅の顔は真っ青になり、身体は恐怖で震えていた。
今日は齢三十になる、わたしの最後の誕生日だ。
「息子よ。我が家の当主たちの没年月日は分かるかい?」
「……不明。みんな、三十歳で失踪、蒸発したから」
「……」
足を止める倅。けれども腕を引っ張り、前進する。
隠し通路の階段奥には、やがて扉が現れて、とても大きなそんな扉に……わたしは恐怖を覚えていた。
「子供の頃を思い出すよ。父と別れたあの日を……」
「……」
「さあ、息子よ。一緒に行こう。我が家の神の御前だ」
「……」
扉を開けて、中へと入り、倅の肩を抱き寄せる。
地下室内は真っ暗闇で、強い異臭が籠もっていた。
「……」
手持ちの松明により壁の篝に火を点ける。
油脂を伝って地下室内の明かりが次々灯っていき、大きく蠢く、異形の者の――。
姿を、照らし出した。
「あ……っ」
人の顔と蛇の身体を持った、巨大な化け物が、足を踏み入れ、地下を侵したわたしと倅を睨んでいた。
「うわあーっ!」
「息子よ。安心なさい。お前は安全だから」
「え……っ」
「あれが我が家の神様なんだ。わたしたちの神様だよ」
倅の肩に両手を置いて、一緒に神様の姿を見る。
嘗ての父がそうしたように、わたしも倅に語りかけた。
「掟のことは当主以外は全員、誰も知りはしない。お前の母さん、弟、妹、誰にも言ってはいけないよ。父は突然いなくなったと家の者には話しなさい。そうして我が家は今の今まで時めき、栄えてきたんだ」
「……っ!」
「お前は元気な子供を作り、三十になったら、またおいで。その時、我が子に説明するんだ。今のわたしのように」
「……っ!」
両手を離すと、一目散に倅は地下室から逃げていく。
嘗てのわたしと同じだった。
倅を見送り、沈黙する。
「……」
思えば、あの日の父も……こんな心境だったのだろう。
薄く笑い、震えながら、わたしはゆっくり反転した。
怯えきってしまったわたしは、顔さえ上げられなかったが、
「あれは神とは言えないでしょう」
美声に、意識を取り戻した。
「君は……」
「わたしは戦女神。戦女神ヴァルキューレ。貴方の嘆きの声を聞いて、ここまでやってきました」
「……」
「あれは神には及びもつかない、邪悪な魔物の類です。現に今もわたしの姿に、狼狽え、戦慄しているでしょう」
わたしの隣りに現れたのは、正真正銘の神だった。
幼い容貌、小柄な容姿……戦女神には見えないが、無言で魔物を圧しているのは、神の証といえるだろう。
「人を惑わす下賤な魔物は滅しなければなりません。しかし、今、貴方と魔物は共生している状態で、魔物の命が潰えてしまえば、貴方も没してしまいます」
「……」
「故に、貴方と魔物の共生契約を解除します。それには貴方の同意が必要。今すぐ契約破棄を――」
「……いい」
戦女神の言葉を遮り、わたしは前へと歩き出す。
魔物は小隅で怯えていたが、こちらに、にやりと笑みを向けた。
「戦女神よ。下がってくれ。わたしに救いは必要ない」
「なぜ……」
「わたしが不本意ならば、そもそもここには来ていないよ」
魔物が神ではないことくらい、わたしだって分かっていた。
わたしだけではない。先代たちも……分かっていたのだろう。
しかし、現に魔物と契って以降、我が家は繁栄した。
それが魔物の力というなら、当主は対価を払うべきだ。
何より、代々掟として……魔物にその身を捧げて死んだ先代たちがいるのである。
わたし一人が救われるなど、決してあってはならないのだ。
「魔物がいなくなってしまえば、我が家は忽ち没落する。愛する妻も子供たちも路頭に迷うことになる。わたしの家の当主は全員、そうして決断してきたのさ。それがわたしの番になった。ただただ、それだけのことなんだよ」
戦女神と距離を取ったことで、魔物が動き出す。
戦女神は、悲しそうに……わたしのことを見つめていた。
「……貴方が死ねば、貴方の子供に契約印が移ってしまう。貴方の家族は未来永劫、魔物に侵されるのですよ」
「一家の安寧、幸福、存続、子孫のことを憂えるなら……当主一人の命なんて、安いものだと思わんかね?」
自嘲の笑みを浮かべたままで、わたしは魔物に飲み込まれた。
最後の、最後の瞬間まで、彼女はわたしを見つめていた。
パトリニア




