第39話
失恋
「陛下、ご機嫌麗しゅう。お久し振りでございます」
「……止せ。そんな過ぎた肩書き、疾うの昔に掃き捨てたよ」
彼女の要の第一声は戯れ、皮肉の語句だった。
諧謔めいた言葉を使い、くすりくすりと北叟笑む。彼女の笑顔はそのままだった。
わたしはとても安心した。
「五十年振り。嘗ての帝王。お顔が随分老けましたね」
「お互い様だ。人のことなど言えない年齢だろうが」
「……ふふ」
人の世界で、月が最も大きく綺麗に見える場所。
西の辺境、高原地帯で、わたしは彼女と再会した。
彼女は高貴な血統を持つ南の生まれの女性であり、嘗てわたしと逢瀬を重ねた竜王族の姫だった。
「思い出すな。当時のことを。あの日の二人のことを……」
「……」
「なあ、少し話をしよう。あの日のように、二人で」
「……」
月の光を浴びる草原。わたしがゆっくり腰掛けると、彼女は特に何も言わずに腰を下ろして、仰向いた。
わたしと彼女が出会ったのは社交界でのことだった。当時、我々帝国領は東と交戦中であり、南を覇する竜王国に和議を申し立てたのだ。
あの頃、わたしは十代半ば。精神的にも幼稚であり、王族同士の権威主張に呆れて外へと抜け出した。追っ手を撒いて見知らぬ土地を一人で散策していると、わたしはわたしと同じ目をした一人の子女を発見した。
言い寄り、話を聞いてみれば何と彼女は王族で、北と南の社交界に辟易したとのことである。
お互い身分を明かした途端にわたしたちは投合し、その日は竜王国を巡り、遊び明かしたものだった。
「……若かったな。あんなに楽しい時間、他にはなかったよ」
「大人たちは随分騒いで、めっきり怒られましたよね」
その後、件の同盟和議は不成立と相成って、両国間は政治的に敵対、関係が悪化する。
しかし、それでもわたしと彼女は人目を忍んで交遊し、北と南の中間点の西の大陸で密会した。
……そんな二人の逢い引き、縁故が途絶えて、五十年になる。
五十年前。それはわたしが、王位に即いた年だった。
「北の王子と南の姫。元々、わたしと貴方の仲は受け入れられないものでした。敵国同士の恋愛譚など、誰が承認するのでしょう。各地に戦火が広がる中で、況してや二人は王族で……わたしは貴方に恋をしながら、全てを諦めました」
「……」
「貴方が王に即位した日、わたしは心に決めました。二度と貴方に会ってはいけない。忘れなければならない、と……」
時代に、国に、親族たちに、わたしと彼女は引き裂かれた。
そうして、彼女に会えなくなって五十年の月日が経ち、老衰により死期を迎えて、わたしは床に臥せていた。
心残りといえば、それは当然彼女のことであり、そんな中で戦女神が現れ――。
筆を執ったのだ。
「お前に手紙を書くだなんて、久方振りのことだったよ」
「わたしだって、配達人が女神様でなかったら……貴方からの手紙なんて破り捨てていましたよ」
「わはは」「ふふふ」――若い頃のように、二人で笑い合う。
今まで失い続けたものを、わたしは拾い返していた。
「お前と再会できるだなんて、夢にも思わなかった……」
「……」
「わたしとお前が一つとなって北と南を制したなら、或いは、こんな戦争なんて起きてはいないのかもな……」
「……」
俄かに眠くなってしまい、視界が徐々に霞んでいく。
気付けば、わたしは彼女の膝の上で、月を仰いでいた。
「……竜の命が潰えたことは息子たちも知っている。戦上手の竜王殿もご逝去されたと聞いた」
「……」
「今は前王の弟君が民を束ねているのだろう。帝国軍は火の日を以って進軍すると伝えてくれ」
飛竜使いの側近たちに「伏せるように」と合図を出す。
彼らは剣を胸の前に掲げ、わたしに敬礼した。
「わたしの手紙に応えてくれて、本当に、本当に……ありがとう。思い残すことはない。お前のことを愛していた」
最期に瞳に映ったのは、当時の……彼女の姿だった。
五十年前、二人はここで――夢を語り明かしていた。
「コリウス、わたしも、わたしもずっと……貴方のことが好きだったわ」
当時のように名前を呼ばれ、わたしは小さく笑っていた。
彼女の涙が、わたしの涙となって……頬を伝っていく。
コリウス




