ヴァルハラ閑話
「心の準備はできましたか」
「ああ。覚悟はできてるよ」
我らが主神のヴァルハラ宮殿。その門口の宮殿門。
わたしとフリージアの二人は門の下にて落ち合って、間もなく姿を現すはずのアセビの合流を待っていた。
「仮に彼女が僕を赦さず、更に心を痛めたなら……僕はこの身を滅することになっても、彼女に贖罪する」
「アセビは決してそんな結尾を望む女性ではありません。貴方にとっては二度目の自決。彼女は受け入れないでしょう」
「しかし」と苦悶の顔を浮かべるフリージアの背中を撫で、わたしは高く空を見上げ、そのまま、ゆっくり開口した。
「以前、わたしはとある街で、一人の青年と出会いました。彼は愛する女性を手にかけ、殺してしまった後でした。二人はそれぞれ死した後に戦女神に選定され、エインヘリャルとなって、この地――ヴァルハラで再会しました」
「……」
「最初こそは見てもいられず、わたしも肩入れしましたが、今では二人の間柄は徐々に修復されています。その青年が犯した罪科はとても大きなものでしたが、彼の誠意と、謝罪の気持ちが彼女に伝わったのです」
「……」
「さあ、次は貴方の番です」――フリージアの背中を押す。
こちらに向かって手を振りながら、アセビが門下に登場した。
「申し訳ない! 遅れました」
「いいや、それは、全然……」
「……」
今後のことは彼ら次第で、わたしの出番はここまでだ。
一歩引いて、二人の和解を心の中で切願した。
「フリージアさん、どうしたの? ご用事ってなあに?」
「……」
「女神様もご一緒とは……わたし、何か粗相を?」
「……」
アセビは今際の際の記憶を丸ごと失くしてしまっている。
フリージアを一瞥すると、彼はこくりと頷いた。
「アセビ、少し歩かないか。大事な話があるんだ」
「え……?」
「できれば、僕と二人きりで。嫌かな……?」
「んーん! 全然、はい!」
何やら緊張している様子で、アセビは彼に応じていた。
宮殿門の外に出ていく二人の背中を見送って、わたしは一息ついた後に、大食卓へと歩を進めた。
「ソニア……?」
「あら、女神様。ご機嫌よろしいようで」
「……」
エインヘリャルの数が増えて、いよいよ大所帯となり、ここのところは女性陣がわたしを扶けてくれている。
お手伝いの当番組は、今日は三人のはずなのだが、しかしこの場に居合わせるのはわたしとソニアだけだった。
「カレンさんとカスタナさんは大事な用があるとかで、本の少し遅れるそうです。何だか息巻いていましたよ」
「大事な用……?」
「分かりませんが、マルスさんも一緒でした。とっても憂鬱そうな顔で……ジャスミンさんもいましたね」
特定した。例の「難題」のお説教の執行日だ。
二対一の構図を恐れて槍の穂先を増やすとは……ジャスミンを同行させたというのは、賢者の窮余の一策だろう。
「なるほど。事情は察しました……」
「そうです? それならよかったです」
「それでは、わたしとソニアの二人で一足先に始めましょう。大食卓の清掃、それと、食事の下拵えを」
「はい!」
その時、宮殿外部のほうから爆発音が響いてきた。
一応、外を確認すると、ヘリアンサスが立っている。
黄金色の草原地帯でユカリが黒焦げになっていた。
「げほ、げほ! マホカンタ失敗! 次の試行に移る!」
「おーっ!」
「――卍解! ――卍解! ――卍解! ――卍解!」
「ばんかい! ばんかい! ばんかい!」
……。
わたしは何も言わず、黙って大食卓へと戻ってきた。
ソニアはこちらを見るや否や、困ったように笑っていた。
「ええっと、また……? ユカリさん……?」
「はい。ユカリでした」
「あは……」
ここ最近は爆発音といえばユカリの仕業である。
宮殿内外問わず、事件が起きれば二人が絡んでいた。
「あの二人、何だかんだで毎日一緒にいますよね」
「ユカリは邪険にしていましたが、どうやら根負けしたようです」
「ヘリアンサスさん、ユカリさんに随分お熱のようですし……うふふ。全く、ユカリさんも隅には置けませんね」
「……」
「お熱といえば、トケイ姫とブライさんはどうなんでしょう。お兄さんのメネス王に謁見したと聞きましたが」
約束通り、トケイはメネスにブライを紹介し終えたらしい。ステモン同伴だったというのは皆々察しの通りである。
トケイもトケイで、そういうところでこれから苦労がありそうだ。傾国姫の性とはいっても、いやはや、因果なものだった。
「あはは。恋に心身の鍛錬、皆さん大忙しですね」
「斯く言うソニアはどうなのです? クローバーとの仲は」
「え……」
「貴女は西の勇者が愛した、生涯唯一の女性ですよ」
顔を真っ赤に染めたソニアは、矢庭にあわあわし始めて、
「そんなことより、お仕事、お仕事!」
炊事場奥へと退却した。
「ふふ……」
わたしは前掛けをして、左右の腕を捲くってから、
「さて、今日は何にしましょう」
微笑み、献立を一考した。




