第17話
不変
南の大陸一の大国、豊穣の地の竜王国。俺の国は竜の御名を冠して、大いに栄えていた。
俺の祖先は一代にしてこの地に国を興している。何百年か何千年か、とにかく遥かに遠い昔、ご先祖様は竜と闘い、見事に勝利を収めたのだ。
南の大陸を支配していた悪い竜は改悛し、我が家に代々仕えることを誓って、そうして今に至る。
竜の力を手にした祖先は数多の戦に勝利して、あっという間に南の大陸を統一。王となっている。
今では北の帝国にさえ軍事で敗けない国となり、そんな竜王国の王が、現状、この俺というわけだ。
「前王の葬儀は如何であったか」
「ああ、難なく、抜かりなく。王としての最初の務めだ。無事に別れてよかったよ」
玉座の後ろにその身を伏せる、見上げるほどに巨大な竜。
こいつこそが竜王国を象徴している竜であり、延々我が家に従事している可笑しな変わり者だった。
「それより今後のことのほうが遥かに思いやられるな。親父のように政を熟せる自信は、正直ない」
「お前は気概を持ちさえすればどんなことでも手掛けてきた。背伸びはせずに、地に足をつけ、そのまま励んでいけばよい」
今にも眠ってしまいそうな半目の眼で、竜は告げる。
ここのところは寝たきりだし、自慢の立派な大きな翼で空を飛ぶこともなくなった。食事も摂らず、牙や爪は隠れたままとなっている。
「おいおい、何だよ。辛気臭い。親父が逝ったばっかりなんだ。お前は元気でいてくれ」
「……」
「長い時を生きたお前の老体に鞭は打ちたくない。しかし戦場に出られずとも、お前は大事な相談役で……とても頼りにしてるんだ」
竜の皮膚には、数多の戦で受けた傷跡が残っていた。
もはや生気を感じさせない大きな瞳に、俺は告げる。
「暇を聞く気は毛頭ないぞ。今後も知恵を貸してくれ」
こんなことは初めてだったが、竜は返事をしなかった。
代わりに「わたしは長くない」と、静かに、俺へと打ち明けた。
「お前、そんな、弱音なんて……」
「これは運命だ。仕方がない」
「本当に、本当に手立てはないのか……?」
「うむ。これまでのようだ」
「……」
「そこで主よ。話がある」と、竜は重たい口を開けた。
「お前の祖先のことだ」と次ぐ。竜王国の初代の王は謎に包まれた人物で、末裔である俺でさえも不明な点が多かった。
「お前の祖先は竜のわたしと共生を誓った契約者だ。契約は代々継承され、前王が死した今はお前がわたしの主人だ。分かるな?」
「ああ……」
「わたしの話というのはそれだ。太古に交わした共生の契約。これの破棄を求む」
「何……?」
「主人のお前、そしてわたしは文字通り一心同体だ。わたしの心臓の鼓動が止めば、お前の心臓も停止する」
竜と人との契約なんて他に類を見ないことなので、子細を知ってはいなかったが……俺は面を食らっていた。
共生の契約の不可抗力。それは両者に、つまり竜にも影響を与えていたはずだ。
数百年間、数千年間、こいつは主人が死する度に契約の代償を払っていた。そして先代が死んだことで遂に限界が来たのだ。
「……っ!」
合点がいった。竜は寿命で、老いて弱ってなどはいない。
こいつは俺の先祖が死ぬ度、命を削っていたのである。
「どうして今まで黙っていた!」
「ふはは。本当にお前の一族はいつまで経ってもお人好しだ。お前たちを在りし時から見守ってきたわたしはな、お前たちの慈悲深さなど誰より承知している」
「……」
「知れば共生の契約ごとき解除されてしまっただろう。そういうわけにはいかなかった。初代との約束だからな」
「……」
もはや呆れて文句も言えない。竜は全て覚悟の上で、我が家に尽くしてきたのである。
大きな大きな腕を背にして、俺はその場に座り込んだ。
「どうしてそこまで親身になれる……? お前、俺の祖先に敗けて止むなく従者になったんだろ……?」
「否。わたしはわたし自ら、やつとの共生を望んだ」
「は……?」
「そもそもわたしは敗れていない。闘っていないのだからな」
「ええ……?」
……聞けば、竜は俺の祖先に一目惚れをしてしまったらしい。
共生の契約の条件として竜の力を貸すに至り、それが長い月日の中で主従の関係になったという。
「お前、一応確認だけど……雌じゃないよな?」
「大馬鹿者」
つまり、初代の国王というのは、実は……女性だったのだ。
「竜が人に恋をするとか、お伽噺じゃあるまいし……」
「そこのところは惚れた弱みだ。どうしようもなかったのだ」
「初代が女王であったことさえ俺は初耳だったんだぞ……」
「子孫に迷惑をかけるやもと、あやつは危惧していたからな」
しかし、現在の契約者である俺が死ぬのは本意でなく、道連れになどしたくはないので決別したいと――。
言いたいらしい。
「故に、わたしの大往生は自ら望んだことなのだ。気に病むことなどありはしない。甘受し、契約を破棄してくれ」
「なるほどなるほど。腑に落ちたぞ。つまり祖先は、最期の時まで一歩上手だったんだな」
「……?」
「お前、俺の祖先が遺した遺言、知らないだろ」
竜王国の我が王族には厳守されている掟がある。それは、必ず二人の子供を世に残すということだった。
「竜にだけは知られぬようにと代々、隠していたことだ。竜にだけは秘密というのが、誰にも意味が分からなくて……俺も気にはなっていたが、ようやく理解に及んだ」
「……」
「永遠に竜と共にあれと祖先は言葉を遺している。つまりお前の魂胆なんて、とっくの昔にバレてたんだ」
暫しの沈黙を以って竜は「してやられた」と平伏した。
必ず二人の子供を残す。それは、いつか竜が死ぬ時、共生の契約を破棄せぬようにと慮ってのものだった。
王位継承の資格の所持者が国に二人残っていれば、一人は次王に、一人は竜と――運命を共にできるからだ。
「愚弟よ! 話は聞いていたな!」
俺の声に即反応し、控えの実弟が登場する。
もはや耳も鼻も弱った竜はやっとこ気付いたらしい。親父は掟をきちんと守り、二人の子供を残していた。
「聞いての通り、俺はここで契約者として責を果たす。後のことは全て任せた。文句はないな?」
「あ、兄上……」
顔を涙でびしょびしょにして我が弟が縋ってくる。
だからお前は愚弟なのだ。これで……これが最期なのに。
「泣くな。お前は竜王国の未来をその身に背負っている。祖先の思いを無下にはできない。兄の勝手を許してくれ」
「……っ!」
「それと、お前の代から件の掟は無効とする。城下町の幼馴染みとはいい仲なんだろ。よろしくやれ」
茶化したつもりだったが、けれども愚弟は未だに泣いていた。
回れ右をさせて、後ろから頭を撫でて、背中を押す。
「次にお前がここに来た時、俺は生きてはいないだろう。臣下たちを呼んできてくれ。次王の最初の務めだ」
「うええ……っ!」
「三度は言わない。後のことは全て任せた。いいな?」
「……はい!」
玉座の間から飛び出ていく。間もなく、その先……遠くのほうから愚弟の泣き声が聞こえてきた。
あいつは政治に関してだけは親父の才を継いでいる。それは俺には不足の能力だ。よりよい君主となれるだろう。
親父の死によりここのところは重責ばかりを気にかけたが、すっかり肩の力が抜けた。
竜がこちらを見つめている。
「どうした?」
「本の少し前まで寝小便をしていたのに、大きく、立派になったものだ。お前も、そしてあの子もな」
「きっとあいつは大丈夫さ。臣下も、民も、国のみんなは優しい者たちばかりだから……竜王国は竜亡き後も、栄華を誇っていけると思う」
眩暈がして、竜の巨体に寄りかかって、横になる。
嘗ては煩いほどであった胸の鼓動が静かである。
「長くない」と告げたこいつは、俺に嘘をついていた。限界なんて、ずうっと前から……とっくに迎えていたのだろう。
「主よ。考え直さないか。契約の破棄を……まだ間に合う」
「嫌だね。全くしつこいやつだ。一蓮托生だろうが」
「……」
「……」
「お前が生まれたあの日のことは今でも鮮明に憶えている。わたしは我が子が生まれたような、そんな気持ちを抱いていた」
ぽたりと、やけに大きな雫が俺の頬に落ちてきた。
「竜も泣くのか」「ああ、泣くさ。悲しいだけでは泣かないがな」
「友よ。わたしはお前のことを同朋と、確かに思っていた」
「馬鹿言え。俺もご先祖様も、みーんなお前の同朋さ」
「……」
気付けば、竜の息は絶えて、俺の心臓も止まっていた。
俺も竜も、心做しか……笑っているような顔だった。
「貴方を頼むと託されました」
「誰に……?」
「竜に」
「そうか……」
「……」
「あいつは祖先に会えただろうか。本当に、これでよかったのか……」
「竜が人に心を開いた。竜が心を許していた。貴方にとって大事なことは、きっとそれだけなのでは?」
「……はは!」
「それもそうだ」と一つ頷き、差し伸べられた手に応える。
いつか巡り合えたならば、竜よ。再び出会うとしよう。
したらばその背に我が身を乗せて、今一度、大空を飛んでくれ。
ローダンセ




