第110話
足留
聖都の街から少し歩くと、そこには山林地帯があり、峯から流れる山水により小さな湖畔ができている。
周囲に生息している獣の補給地点となっており、俺はここに集まる獲物を狩って、城下で売っていた。
そんなある日、そんな湖畔で、立派な白馬を発見した。
ここらで馬など見るのは初めて。どうしたことかと思ったが、次の瞬間、俺はそんな疑問の答えに、直面した。
「……うわっ!」
そこには、水浴び中の一人の少女がいたのである。
俺に気付くや否や、少女は「しまった」という顔をして、手拭い一枚で前を隠して、硬直。
こちらを見つめていた。
「悪い! 俺の不注意だった! すぐにここから退散する!」
「待ってくれ! そこを動くな!」
「……?」
「今、服を着る!」
何が何やら、少女は俺を呼び止め、岸から上がってきた。
動くに動けず、俺は彼女に背中を向けつつ、困っていた。
「もういいぞ。こっちを向いても」
「……」
「……君、見たか?」
「……」
少女は俺と同じくらいの年齢、背丈の子女だった。
貴族のような服を着ていて、強い気品を感じさせた。
「……だから、先に謝っただろ。俺の不注意だって」
「……」
「大体、女がこんなところで水浴びなんてさ、するなよな……」
「そうか。やはり見ていたのか」――少女が、がくりと肩を落とす。
長い髪が風に揺れた。
こいつ、どこかで見たような……。
「その顔、その声……お前、もしや……」
「……」
「帝都の国王……っ!」
「……」
少女の正体、それはまさかの、北を制する王だった。
腰まで届く長い髪を短く一つに纏めると、背筋を伸ばし、胸に手を当て、彼女はきりっとこちらを見た。
「察しの通り、わたしは王族、帝国領の現王だ」
「いや、でも、お前、女……」
「……」
「男じゃなかったのか……」
「少し話に付き合わないか」――陛下が俺へと提案する。
断るような状況ではなく、俺は素直に了承した。
何でも、彼女は自分のことを「男性」と称しているらしい。帝国領では歴史的に男尊女卑の慣習があり、それは王家も同様であり女性は軽んじられている。
そのため、唯一王家の血を引く彼女は我が身を「男性」とし、表向きには隠匿した上、王位を継承したのである。
「わたしは父と妾の間に産まれた所謂異端児で、赤子の頃から母とともに二人で監禁されていた。物心がついた頃には、彼女は命を落としていて……わたしは一人で父に噛みつき、政治を批判していた」
「……」
「結果、戦のごたごただとか、まあ……いろいろあってだな。王族が丸ごと失踪したから、わたしが王になったんだ」
湖畔の景色を眺めながら、陛下の生い立ち、素性を聞く。
三角座りで、二人きりで。
相手は国王。
……夢だろ。これ。
「わたしのことを女と知るのは一部の重臣だけなんだ。だから、今日、その人物が追加されたことになる」
「……」
「さて、そこで一つ、君に頼みがあるんだが……」
「あー、言いたいことは分かった。秘密は墓まで持っていこう」
ぱあっ、と笑顔を浮かべる陛下。両手で片手を掴まれた。
こ、こいつ、意外と大胆……。
その目は煌々光っていた。
「本当か! ありがとう!」
「おい、そういうことするな!」
「そういうことって、どういうことだ?」
「お前、分かって言ってるだろ!」
「既に裸を見られているが」――俺は黙する他にはない。
「あはは。嘘だよ。冗談だよ」と、陛下はけらけら笑っていた。
「全く、狩猟に出かけたつもりが、どうして俺がこんな目に……」
「狩猟……?」
「まあ、こんな様子じゃ、獲物も寄ってはこないかな……」
「今日は湖畔で魚釣りだ」――俺はすっくと立ち上がる。
「魚釣り! やったことない! ぜひともわたしに教えてくれ!」――何やら浮き浮きしている陛下を、俺はジト目で見つめていた。
「……お前、こんな辺鄙なところで油を売ってていいのかよ」
「あっ」
「ご多忙なんじゃないか。帝都の国王陛下様」
「そうだった!」――慌てた様子で王族外套を身に纏い、陛下は急いで白馬に跨り、ぱかぱか!
こちらにやってきた。
「名前を聞いていなかったな! 名乗ってくれるか?」
「……カンパニュラ」
「カンパニュラ、わたしは明日も同じ時間にここにいる! 湖畔で一人で水浴びしている! 君も再び、覗きに来い!」
「だから! そういうことを言うな!」「あはは!」――陛下は立ち去った。
明くる日、陛下は驚くことに宣言通りにここに来て、以降、俺と彼女の逢瀬は約束事になっていた。
別に俺は覗きなんかに興味は欠片もなかったが、毎度毎度、彼女の口から「明日も来い!」と命じられた。
どうやら、陛下はお付きに黙って湖畔に通っているらしい。
後で知ったことだが、彼女は土木作業を買って出て、戦後の荒れた聖都の街にて土工に与しているそうだ。毎日、土方仕事が終わると姿を隠してここに来て、一人で水浴びしている中で、俺に発見されたらしい。
「こんなところに来なくたって、沐浴くらいできるだろ……」
「駄目だ駄目だ。生活水はとても貴重で、大切だ。わたしではなく、聖都の民こそそれを使うべきだ」
「……」
「帝国領は内務外務と天手古舞いの状態で、あまり長居はできないからな……その分、力になりたい」
「……」
民の前で演説していた王の勇姿はどこへやら、陛下は飛んだお転婆娘で、俺は唖然とさせられた。
「みんなと一緒さ。わたしの中には平民の血が混じっている」――俺はそんな彼女の笑顔に、いつしか心を開いていた。
「俺の両親、城に仕える兵長とその部下だったんだ。件の戦で戦ったけど、そのまま死んでしまった」
「……」
「だから俺は一人暮らしで、まあ、何とか暮らしてて、こうして毎日獲物を狩っては生計立ててるわけさ」
「……」
弓を持ち上げ構えてみせると、陛下はしゅんと肩を落とす。
彼女を責めるつもりはなかった。
俺は湖畔を一望した。
「なあ、明日、魚釣りでもどうだ? 釣り方、教えるぞ」
「え……?」
「釣り竿、用意しておく。いつもの時間に、湖畔で」
「……うん!」
嬉しそうに頷く陛下に、俺は釣られて笑っていた。
いつの日からか、彼女と過ごす時間を、大事に思っていた。
――。
翌日、竿の準備が想像以上に手間取って、俺は少し遅れた時間に湖畔に辿り着いていた。
しかし、何やら様子が変だ。
陛下の白馬の悲鳴がした。
二本の竿をその場に投げ捨て、押っ取り刀で駆けつけると、巨大な体躯の魔物が一頭、彼女の前へと迫っていた。
(魔物……っ! 馬鹿な! こんなところに、魔物はいないはずなのに!)
陛下は白馬を守るように魔物と対峙し、抗していた。
無茶な真似を!
俺は弓を構え、魔物に矢を射った。
「ギャア!」
鏃は魔物の背中に直撃! 何とか命中した。
のた打ち回る魔物を余所にし、陛下のもとへと駆け寄って、
「カンパニュラ!」
「怪我はないか!」
彼女の無事を確認した。
「カンパニュラ、ありがとう! 間一髪だ! 助かった!」
「安心するには早すぎるだろ! 逃げるぞ! 話は後だ!」
「ああ!」
陛下の白馬に二人で跨り、聖都に向かって駆けていく。
俺は乗馬は初めてであり、彼女に獅噛みついていた。
「カンパニュラ、どうして魔物が! そんな気配はなかったのに!」
「分からない! 前代未聞だ! こんなことは初めてだ!」
すると、ずしん! ずしん、ずしん! と、大きな地鳴りが聞こえてきた。
振り向けば、先の魔物がこちらに向かって突進し、脇目も振らずに俺と陛下を追いかけ、血眼になっていた。
「魔物だ! 速い! 追いつかれるぞ!」
「……っ!」
「速度は!」
「限界だ!」
白馬は俺と陛下の二人をその背に乗せて走っている。
減速するのは当然だった。俺は必死に考える。
このままでは、俺も陛下も魔物に襲われ、殺される。
彼女は死んではならない人だ。
だったら、俺にできることは……。
「おい! 絶対生き残れよ! 死んだら許さないぞ!」
「えっ!」
「お前は世界に必要なんだ! だから、絶対死ぬなよ!」
「――」
ずざざ!
俺は馬から飛び下り、ごろごろ転がり、横転した。
「カンパニュラ!」
振り向く陛下に、
「行けっ!」
俺は一喝した。
「グルル……ッ!」
白馬は去ってしまった。
俺は弓の弦を引く。
必ず! 必ず、逃げ延びてくれ……。
俺は魔物と相対した。
カンパニュラ




