第8話 陽斗と猛
翌日の放課後
「斎藤」
「ん?」
「ほら」
終礼が終わって鞄を閉じようとしたところで、更科がノートを机に置いてきた
開かれているのは今日の数学
「何?」
「昨日のやつ」
「ああ」
「似た問題出たじゃん」
「出たな」
「解けたから」
言いながら、更科が問題の横を指で叩く
「ほら」
「見てるって」
途中式を追う
昨日教えたところも飛ばしてない
答えも合っていた
「……マジじゃん」
「でしょ?」
妙に得意げだ
「ちゃんと解けてる」
「だから言ったじゃん!」
「いや、昨日は全然信用できなかったし」
「失礼すぎ」
「半分しか分かってなかっただろ」
「最終的には分かったの!」
「はいはい」
「で?」
「で?」
「昨日なんて言った?」
「何か言ったっけ」
「絶対覚えてるでしょ」
更科が机へ手をつく
耳元の小さなピアスが揺れた
昨日は横に座っていたから気づいただけかと思ったけど、一度目に入ると意外と分かるもんだな
「謝ってね、って言った」
「ああ、それか」
「それ」
「疑って悪かった」
「軽っ!」
「ちゃんと謝っただろ」
「もうちょっと気持ち込めてよ」
「数学一問でそこまで求める?」
「昨日散々バカにしたじゃん」
「バカにはしてねえよ」
「『一番信用できないやつ』って言った!」
「よく覚えてんな」
「斎藤が忘れすぎなの!」
更科が俺の肩を軽く叩く
「痛くねえけど暴力反対」
「全然痛くしてないし!」
「知ってるって」
「じゃ言わないでよ」
「反射」
「何それ」
更科が笑ったところで、教室の後ろから声が飛んできた
「六花ー、行くよー!」
折笠だ
短い金髪の先を揺らしながら、教室の後ろのドアで鞄を肩に掛けている
その横には白鳥と榊原もいた
「今行く!」
更科が返して、ノートを閉じる
「じゃ、また明日」
「おう」
「ちゃんと謝ったってことでいいからね」
「まだ言うのかよ」
「明日まで言う」
「しつこいな」
「あははっ、じゃーね」
「おう」
更科が三人の方へ小走りで戻る
折笠が何か言ったらしく、すぐに「違うって!」という声が返ってきた
何が違うのかは知らない
「……陽斗」
今度は横から低い声
「何だよ」
猛が立っていた
さっきからいたらしい
腕を組んで、妙に真剣な顔で俺を見ている
「お前」
「うん」
「今の何?」
「数学」
「見りゃ分かるわ!」
急に声がでかくなる
「じゃ聞くなよ」
「そうじゃねえ!」
「なんなんだよ」
「帰るぞ」
「急だな」
「今日は話がある」
「嫌な予感しかしねえ」
「いいから来い!」
「引っ張んなって」
肩を組まれそうになったので避ける
「避けんな!」
「暑苦しいんだよ」
「親友だろ!」
「親友なら暑苦しくてもいい理屈ないだろ」
「細けえ!」
猛は勝手に俺の肩を叩いて、先に教室を出ていった
何なんだ、ほんと
昇降口で靴を履き替え、二人で校門を出る
猛は俺とほぼ同じ目線にいる
身長は二人とも百八十くらい
ただ、見た目は全然違う
俺はどっちかといえば細い方だけど、猛はブレザー越しでも肩幅が分かるくらい厚い
並ぶと俺までデカく見えるらしく、前から歩いてきた一年の男子二人が一度こっちを見て、少し端へ寄った
「……猛」
「ん?」
「お前のせいで避けられたぞ」
「なんで俺!?」
「圧あるから」
「陽斗だって身長同じだろ!」
「横幅が違う」
「筋肉と言え!」
「はいはい、筋肉筋肉」
「雑だな!」
いつもの調子で駅へ向かう
しばらく歩いたところで、猛が急に横からこっちを見る
「で」
「何」
「更科」
「いきなりだな」
「いきなりじゃねえよ。ずっと聞きたかったんだ」
「朝でも昼でも聞いてるだろ」
「そうじゃなくて」
「じゃ何だよ」
猛が一歩前に出て、こっちを向いたまま歩き始める
「お前さ」
「前見ろって。危ねえぞ」
「更科みたいな美少女と付き合って、なんでそんな平常運転なんだ!」
「声デカい!」
前を歩いていた女子高生二人が振り返った
「ほら見られたじゃねえか」
「今それどうでもいい!」
「よくねえよ」
「普通もっとあるだろ!」
「何が」
「喜べよ!」
「喜べって言われても」
「彼女だぞ!?」
「知ってる」
「更科六花だぞ!?」
「それも知ってる」
「学校でもめちゃくちゃ目立つし、可愛いし、男子から告られてるって有名な更科だぞ!?」
「本人の前で言ってやれよ」
「無理に決まってんだろ!」
「なんでだよ」
「恥ずいわ!」
「俺に言うのはいいのかよ」
「お前は陽斗だからいい!」
「意味分かんねえ」
猛が頭を抱える
そこまで悩むことか?
「で、なんで?」
「何が」
「なんで付き合ったんだよ」
「……」
来たか
今まで猛は騒いではいたけど、そこを真面目に聞いてきたことはなかった
更科から告白された
それだけなら言える
その前の日、罰ゲームだと知っていたこと
文化祭までだということ
そこは言えない
別に猛を信用してないわけじゃない
むしろ逆だ
たぶん話したら、こいつは俺より先に腹を立てる
「まあ……」
「うん」
「付き合うことになったから」
「説明になってねえ!」
「うるさいな」
「そこ一番大事だろ!」
「更科に告られて、俺がいいよって言った。それだけ」
「なんでいいよって言ったんだよ!」
「なんでって……」
ちょっと詰まる
罰ゲームだと知ってたから
言えるわけがない
「別に、嫌じゃなかったし」
「それだけ?」
「それだけじゃダメなの?」
「ダメじゃないけど薄い!」
「知らねえよ」
「もっとこう、あるだろ!」
「だから何がだよ」
「嬉しかったとか!」
「……」
一瞬、返事が遅れた
猛が見逃さない
「ほら!」
「何が『ほら』だよ」
「今あっただろ!」
「うるさいな」
「嬉しかったんだな!?」
「声デカいって!」
「答えろ!」
「近い近い!」
肩を押し返す
こいつ、こういう時だけ妙に食いつく
「嬉しくなかったわけじゃねえよ」
「ほらぁ!」
「その反応うざいな!」
「じゃもっと喜べよ!」
「どうやって」
「知らん!」
「知らねえのかよ!」
「でもお前、全然変わんねえじゃん」
「変わってるだろ」
「どこが」
「メッセージするようになったし」
「うん」
「一緒に帰ったし」
「うん!」
「昨日は昼飯も一緒に食った」
「報告が地味!」
「高校生の交際に何求めてんだよ」
「もっとこう……キラキラした何か!」
「ふわふわしすぎだろ」
「デートとか!」
「まだしてねえよ」
「手は!?」
「繋いでねえ」
「なんで!?」
「なんでって言われても」
「彼女だぞ!」
「付き合って一週間も経ってねえんだぞ」
「そうだけど!」
「急に手とか無理だろ」
「お前そういうとこ変に真面目だな!」
「ほっとけ」
猛が腕を組んで唸る
「じゃあ更科といて楽しい?」
「急に普通の質問すんな」
「いいから」
「……」
昨日の昼を思い出す
一緒に弁当を食った
数学を教えた
どうでもいいことで笑った
今日も数学一問解けただけで、わざわざ見せに来た
「まあ」
「まあ?」
「話しやすいよ」
「……」
「何だよ」
「彼女の感想として薄くね?」
「うるさいな!」
「『話しやすい』って!」
「今はそれでいいだろ!」
「もっとなんかないのかよ! 可愛いとか!」
「それは……」
更科の顔が浮かぶ
ピンクゴールドの髪
近くで見たピアス
昨日肩に触れた髪と、甘い匂い
「……まあ、可愛いんじゃねえの」
「なんで他人事!?」
「俺にどう言えってんだよ!」
「『彼女めっちゃ可愛い』でいいだろ!」
「お前それ友達に言えんの?」
「彼女いたら言う!」
「絶対嘘だろ」
「言う!」
「じゃ彼女作ってから言え」
「ぐっ……」
猛が止まった
「効いた」
「うるせえ!」
今度は俺が笑う
「お前彼女できたからって調子乗んなよ!」
「乗ってねえよ」
「その余裕がムカつく!」
「知らねえって」
二人でくだらないことを言いながら駅へ向かう
こうしてると、付き合う前と何も変わらない
猛はうるさいし、俺は適当に返す
それでずっとやってきた
「でもさ」
信号待ちで猛が急に声を落とした
「何」
「まあ、よかったわ」
「何が?」
「更科と付き合ったこと」
「急にどうした」
「いや、お前学校だと女子と全然喋んねえし」
「またそれかよ」
「だってマジじゃん」
「用事ないからだって」
「分かってるけどさ」
青になった
猛が歩き出す
「最近、普通に楽しそうだし」
「……」
「昼とか」
「見てたの?」
「見えるだろ。教室なんだから」
「まあ、そうだけど」
「だからよかった」
言った本人はもう前を向いている
さっきまであれだけ騒いでたくせに、こういうことだけさらっと言う
「猛」
「ん?」
「お前、たまにまともだな」
「たまにって何だよ!」
「褒めたのに」
「褒めてねえだろ!」
「はいはい」
「陽斗!」
「うるさいな」
結局またいつもの調子に戻った
駅前で猛と別れる
「じゃあな」
「おう」
「あ、陽斗」
「まだ何かあんの?」
猛が数歩進んでから振り返る
「もっと喜べ!」
「まだ言うのかよ!」
「彼女できたんだからな!」
「分かった分かった」
「分かってねえ!」
「じゃあ明日な」
「聞けって!」
片手を上げて、そのまま改札へ向かう
後ろからまだ何か言っていたけど無視した
「もっと喜べ、ねえ……」
別に、嬉しくないわけじゃない
朝、向こうから来るようになった
メッセージが来る
一緒に帰る
昼を食う
ほんの一週間前にはなかったことばかりだ
ただ、猛みたいに単純に喜べない理由もある
文化祭まで
更科は知らないけど、俺は知っている
だから今は――
ポケットのスマホが震えた
取り出す
『斎藤、今日ちゃんと謝ったから許してあげる笑』
「なんで上からなんだよ」
さっきまで考えていたことが一回飛んだ
『解けたの一問だけだろ』
送る
すぐ既読
『は?』
怒っているウサギのスタンプ
「……」
画面を見て、少しだけ笑う
猛に見られてたら、またうるさかっただろうな
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