六.対決する七月十一日(月曜日)(3)
「……っはぁっ!」
亮の体に戻ってきた俺は、口から息を吐くと、生徒会室の床に尻をついた。全身から汗が吹き出し、名前を食べたとき特有の嫌な疲労感に包まれる。
心臓が内側から体を突くように鳴っていた。二度大きく呼吸して、緊張を解かないまま、黒砂幸から離れる。
少し動悸が軽くなるまで深い呼吸を続け、ゆっくりと立ち上がる。体中を疲労による倦怠感が襲った。
「これで、終わりじゃない……」
倒れたままの黒砂幸を見ながらつぶやいた。
「居るんだろ、出てくるんだ! ……佐倉貴!」
発した声が多目的室に響いた少しあと。
「……くすっ」
笑い声がした。事件が起こるたび、何度も聞いたあの笑い声だ。声は目の前から聞こえた気がした。だが黒砂幸が変わらず倒れているだけで、何もいない。
生徒会室の入口のほうを確認する。さっき俺が締めた扉は閉まったままだ。開いた音もしなかった。ということは、初めから部屋の中に隠れていたのだろうか?
「よくわかったね」
ふたたび声がしたのでもう一度黒砂幸のほうを見ると、さっきまで黒砂幸が座っていた椅子に、いつのまにか佐倉貴が座っていた。足を組んで、落ちついた様子で、佐倉貴は黒砂幸を冷たい目で見下す。それから顔をあげ、俺を見てほほえんだ。
どこにも隠れるところはない。佐倉貴はその場に突然現れた。
「やはり、きみが黒幕か」
「気付いていたんだね。どうりで、黒砂幸を追い詰める言葉が妙に乱暴だと思ったんだ。なんだか、急いでいるような……いつ、僕のことがわかった?」
佐倉貴は不敵な笑みを浮かべる。
「最初はただの違和感だった。きちんと調べてみたら、決定的におかしいことがわかったんだ」
俺は携帯電話を取り出し佐倉貴に画面を見せるようにして、左右に振った。
「校内の人間関係ならお手のものの『Nステ新田』に訊いてみたんだ。でも新田も、新田の情報網の誰も、佐倉貴という生徒の顔も、名前も知らなかった。去年同じクラスだったはずの僕の記憶にも残っていない」
「あはは、やめようよ。君は『大輪田亮』ではないんだろう? 地の君の話しかたでいい」
「そこまでわかっているなら、話は早いな」
俺は携帯電話を右手ごとポケットにしまった。
「お前は『名前のない存在』である俺とは逆の性質を持っている『存在しない名前』。違うか?」
「へえ、そこまで辿りついてるんだ」佐倉貴は少し驚いた顔をした。「でも、みんなが僕のことを知らなかったっていうだけで僕の正体まで確信したの? ちょっと根拠が薄くないかな?」
「おかしいことは他にもあるさ。というよりも、お前と初めて眼を合わせたあのときからの出来事がすべて、おかしかった」
「あのときは嬉しかったなぁ、やっと僕を認識できる存在を見つけたんだもの」
佐倉貴は嬉しそうに目を細める。口の両端がつり上がり、奇妙な笑顔になった。
授業中、扉の外にいた佐倉貴に軽く会釈をしたあの一瞬。あのときから今までずっと、そして今も、佐倉貴を実体として認識出来ているのは、俺だけだったのだ。
佐倉貴が誰かと会話しているところを見たことがなかった。佐倉貴はいつも一人だった。誰かと一緒にいるように見えたときは、ただそこにいただけで、その周りの人間からは認識されていなかったのだ。
気付けたのは偶然によるところが大きかった。数学のノートに亮が描いた平面図を見たときの妙な既視感。発生してから三週間程度しか経過していない俺にとっては、すなわちその三週間のどこかでこの図に近い何かを見たということになる。記憶を辿り、それが昨日の美術展であったことに気づいたその瞬間、俺は佐倉貴の正体を得た。
数学において、十字で分けられた座標平面は、XとYのふたつの数がそれぞれプラスかマイナスかで四つの領域に分かれる。
どちらもプラスなら右上、どちらもマイナスなら左下。XがプラスでYがマイナスなら右下。
「最初から考えるべきだったんだ。身体があって名前がある普通の人間と、身体も名前もなにもない『無そのもの』という二つのことの例外として、『名前がない存在』、他人が認識するための記号を持たない俺が発生した。ならば、『存在しない名前』、つまり、俺と異なり名前そのものはあるのに、誰からも見えない存在も発生する可能性があると」
亮のノートに描かれたごく一般的な座標平面図が、それを気付かせてくれた。
美術館にあった名前のない作品と、どの作品のものでもない名札。あの配置は間違いなどではなかった。あれは一対の作品だったのだ。作品タイトルがなくても、作品のタイトルだけがあっても、それはどちらも一個の「作品」だった。名前のない俺と、誰からも見えない佐倉貴が、それぞれ独立して意識を持ち、ここにいるように。
あの美術館の展示室はこの対の作品を飾るために、四角く配置された四つの展示室で成り立っていた。
「佐倉貴が『誰からも見えない』存在として暗躍していると考えれば、黒砂幸が指示しているとは考えにくいドクロシャツたちや桐川業太の件が説明できるようになった。特に桐川業太については、黒砂幸と直接つながりがあるとは考えづらい。一歩引いて、黒砂幸と桐川業太の両方、いや、俺の周りで起こったすべての事件について、裏で操ったやつが一人いる、と考えたほうが自然に物事が整理できるんだよ」
佐倉貴は黙って、微笑んでいる。
「……だから、黒砂幸と古林典子の奇妙な行動も、説明できるようになった」
そう口に出してから、奥歯を噛んだ。黒砂幸は古林典子を追い詰めたいと思っていたわけではなかったし、古林典子も黒砂幸から辛いことを言われたとはいえ、死のうとまでは思っていなかったはずなのだ。
「ドクロシャツたちの襲撃も、桐川業太のそれも、古林典子の自殺も、俺を追い詰めるためにお前が画策した。違うか?」
佐倉貴を睨みつけるが、佐倉貴は不敵に笑う。
「失礼だなぁ、僕が悪いことをしたみたいじゃないか。僕はちょっと背中を押しただけだよ」
悪びれた様子もなく、佐倉貴は言った。
「そうだ、このことには気付けたかな? 最初に君を襲った不良くんたち。彼らに君を襲うように指示したのは誰でしょう? あ、ここに転がってる生徒会長ではありません」
佐倉貴は組んだ足の先で黒砂幸を無造作に指し示す。
言葉に詰まった。佐倉貴に操られた黒砂幸が襲わせたのだと思っていた。違うとすれば、一体誰が? 黙っていると、佐倉貴は嬉しそうににんまりした。
「ヒント。というか答え。『校内の人間関係ならお手の物』」
俺の口が驚きで開いたのと同時に、亮からも驚きと戸惑いの感情が放たれた。
「……新田が?」
「そう。彼は、大和田君を妬んでいたんだよ。かわいい彼女といつも楽しそうにしている亮くんをね。だから、彼は不良くんたちに大輪田君を襲うように仕向けた」
ショックを受けている俺を見て佐倉貴はくすくす笑うと、椅子から立ち上がり、倒れている黒砂幸の横にしゃがみこむ。
「推察の通り、僕は人間から見えない。だけど、見えないっていうのは、他人から認識されることができないっていうだけのこと。君と同じく、他の人間に対して何かの影響を与えることはできるんだ」
佐倉貴は、黒砂幸の耳元に唇を寄せた。黒砂幸は呼吸のたびに小さく体を上下させるだけで、反応がない。
「その人の耳元でちょっと囁いて、促してあげるんだよ。『不良たちに大輪田亮を襲わせろ』とか『古林に死ねって言っちゃえ』とかってね。そうすれば、そいつは僕の声に気付かないまま、無意識に僕の言葉を心のどこかで受け止める。催眠術をかけたみたいに、行動をうながせるんだ」
佐倉貴は舌を出し、黒砂幸の耳をいやらしく舐めた。
「やはりお前が手を引いていたんじゃないか!」
佐倉貴はやれやれ、と両手をあげた。
「言ったでしょ、僕が出来るのは背中を押すだけ。いい? 僕は人を意のままに操ることなんかできないんだよ? 君がその身体で空を飛べないように、その人の心が真にやりたくない、できないと思ってることはさせられない。つまり、ひっくり返せば、僕がやらせたことはあいつらがやってもいい、やりたい、って思ってたってこと。新田は大輪田亮を妬んでいた。桐川は誰でもいいから襲いたいと思っていた。黒砂は使えない古林をうとましく思っていた。そして古林典子は」
「死にたいと思っていたっていうのか!? ふざけるな!」
佐倉貴の言葉をさえぎり、思わず叫んでいた。亮も驚いている。だが、佐倉貴は動じない。
「そうだよ。古林は死にたいって思っていた」
さらりとそう口にした佐倉貴に対して、感情の鍋が一気に煮えたぎった。
「ちょっとくらい死にたいって思うくらい、人間なら当然の事だろうが!」両目からは、涙がこぼれだした。「人を傷つけてみたいとか、あいつが嫌だからどっか行って欲しいとか、ちょっと辛いから死んでしまいたいとか、だれでも思うんだよ! でもな、ちゃんと自分で思いとどまるんだ!」
それを、亮の記憶からも、人間としてこの数週間を生きた俺の記憶からも知っている。誰でも、一時的にネガティブになることはある。体の調子が悪いとき、何かがうまくいかなかったとき、やめたい、文句を言いたい、死にたい、と思うのは当然なのだ。俺ですらそう思うことがある。
でも、誰もそれを実行しなかった。人は、やめない、頑張る、生きたい、と思う気持ちもきちんと持っていて、マイナスの感情を覆えすことができる。
「そのネガティブな行動を『思いとどまらないように』うながしたのがお前のやったことだ! いいか、殺したのは佐倉貴、お前だ! お前が古林典子を殺したんだ!」
指を突きつける。しかし佐倉貴は俺のほうすら見ていない。意に介さない様子で、ふっと息を吐いた。
「正直、どっちでもいいんだけどね」
そして立ち上がる。佐倉貴の雰囲気が変わった。空気がぴりぴりと張り詰める。クーラーのない夏の教室のはずが、首筋に寒気を感じ、俺の体がこわばった。
「新田も、桐川も、黒砂も、古林も、僕にとっては君を追い詰めるためのコマにすぎなったからさ。いいんだよ、生きてようと、死んでようと、どーでも。僕が欲しい物を手に入れる、っていう目標の前では、すべてどうでもいい」
佐倉貴の両目がぼんやりと、妖しく紫に光りだした。
「僕の対になる性質を持つ君ならわかるよね? 僕が欲しいものがなんなのか」
佐倉貴の体から、白い煙のようなものがしゅうしゅうと音を立てて吹きだし始めた。
「認識……他人から存在を認識されるということ」
佐倉貴は嬉しそうにうなづいた。
名前が無い俺は、他人から認識されるための記号である名前が欲しい。ひっくり返す。他人から見えない佐倉貴は、認識されるための実態である身体が欲しい。
「名前も身体もある人間を喰っても、だめだったんだよ。でも、今度は予感がするんだ。君の存在を食べたら、僕はきっと身体を手に入れられると思う。僕は、誰かに、触れたい。人から触れられたい。身体がなければ、となりで声をかけても、どんなに肩を叩いても、誰も僕を見ない! 名前があるのに僕のことを呼ばない! 僕を見つけてくれない! どんなに辛いかわかる? ……わかるよね、僕と同じく、誰も自分に気付いてくれない、君なら」
すがるような目で、佐倉貴は俺を見る。
「俺を喰う為に、黒砂幸を操り、古林典子を殺したのか」
「君に出会えたとき、きっと僕と同じ力を持っていると思った。だから、君を確実に食うために、君を調べることにした。……僕は慎重なんだ。まず新田を使って不良くんたちを扇動した。けれど、それだけじゃ君は力を全部見せてくれなかった。だから誰でもいいから殺したいと思っている桐川を使った。君はちゃんと追い詰められて桐川を食べてくれたから、目的達成。他人の名前を食べた直後の君はずいぶん疲れてるみたいだったから、そこで勝負をしかけたなら勝てると思ったんだ」
佐倉貴は視線を落として黒砂幸を見る。佐倉貴の目が放つ紫の光も一瞬遅れて移動した。
「黒砂と古林を使って、疲れきった君を不意打ちできる状況を作ることにした。大輪田と黒砂両方に関わりがあった古林を黒砂が追い詰めて、古林を自殺に追い込ませる。黒砂の悪意をわざと君に見せて黒砂と対決させ、君に黒砂を食わせる。その直後の隙を狙って君を襲おうと思った。……あ、よかったねえ、国分が生徒会のメンバーじゃなくて。もしそうだったら、古林の代わりに国分が死んでたよ、きっと」
佐倉貴はけたけたと下品に笑った。
「でも、ちょっと時間を与えすぎちゃったね。もう僕の存在もばれちゃったから、小細工はせずに、君を食べさせてもらうよ」
佐倉貴の体から噴き出る白い煙が、佐倉貴の体を覆っていく。
「見たてでは、僕と君の本体の力は五分。でも黒砂を食べて疲弊している君なら、たぶん僕が勝てると思うからね」
濁った白い煙のような本体が、ぶにゅぶにゅとグロテスクな音を立てて膨らんでいく。
「君を食べたら、僕はきっと怪物から人間になれる」
そう言った佐倉貴の声は、もうどこから聴こえたのかわからなかった。
「悪いけど、この身体は大事な友人からの借り物だ。そう簡単に食わせてやるわけにはいかないな」
俺は両手を合わせて、佐倉貴の名前を思い浮かべる。亮の体から俺の本体が飛び出した。俺は黒い巨人の視点から、白い巨人の佐倉貴を睨みつける。
白い巨人は紫の輝く目をぎらつかせ、威嚇するように口を開いた。にちゃあ、と粘膜が開くような音がして、白い口腔があらわになる。喉の奥は、異世界に通じる扉のように禍々しく渦巻いていた。
「ははっ! 寄生してるだけの身体の持ち主を友人だって? おめでたいね、それは君の一方的な思い込みじゃないのかな?」
白い巨人が笑う。その声は巨人の喉の奥で幾重にも反響し、ぐわんぐわんと不快な音になった。
「他人をモノのようにしか見てないお前にはわからないさ」
「じゃあ、君にはわかるとでも?」
白い巨人の口に、鋭い歯が生えた。同時に殺気が満ちる。
「……わかるさ」俺も大きく口を開けた。「俺は善良だからな。佐倉貴、『いただきます』」
宣言した瞬間、白い巨人が襲いかかってきた。佐倉貴の大口と、俺の大口がちょうどお互いを噛みあう形でぶつかりあう。
激しすぎるキスのように、お互いを食い千切ろうとがっちりと口を、顎を交錯させる。白い巨人の牙が俺の頬に深々と刺さり、骨を引っ掻かれたかのような振動と激痛が走った。
俺は全力で抵抗した。それでも、少しずつ、白い巨人の牙は食い込んでくる。
「あははははははは、やっぱり、疲れきった君より、僕のほうがちょっと上みたいだね」
「おっ……ごっ……!」
どうやって声を発しているのかわからないが、佐倉貴は俺に噛みついたまま不敵に笑った。牙を通して直接声の振動が伝わり、電気ショックのように、指先まで痺れるような激痛が走る。思ったより佐倉貴の力は強大だった。
こりゃ、だめかもしれないな。
そう思ったとき、身体の内側から、力強い、波打つようなエネルギーを感じて、俺ははっとする。
亮が、俺を励ましていた。胸の内に響き渡るリズム。優しく重い、大太鼓のような励まし。
そうして俺は思い出す。佐倉貴と絶対的に違う強み。仲間がいるという心の強さ。佐倉貴が絶対に辿りつけない場所。
俺は、この絶体絶命の状況下で、亮に感謝していた。その感謝が、数秒だけ俺を突き動かした。白い巨人に顎ごと顔を噛み切られるところだったが、すんでの所で踏みとどまる。
だが、抵抗できたのはそこまでだった。心がどんなに奮っていても、絶対的に余力が足りない。少しずつ、白い巨人は俺を圧倒していく。
びり、びび、と顎のあたりが、食い破られる音が聞こえてくる。
「食べちゃった後は聞こえないだろうから、先に言っておくよ。『ごちそうさま』」
白い巨人のあごに力が入りかけたとき、ガラと音がして、多目的室の扉が開いた。
「……亮くん?」
入ってきたのは千華だった。突然の出来事に佐倉貴は一瞬だけ千華のほうに気を取られ、集中が途切れた。
その瞬間を逃さず、両脚に力をこめて佐倉貴を押し返す。
「あ、いた。亮くん何やってるの?」
千華は俺を見て不思議そうにしている。千華の目には佐倉貴の姿も、今まさに争いの最中である俺と佐倉貴の本体も見えてはいない。千華からは亮が妙なポーズをして固まっているようにしか見えないはず。だが、俺も千華の相手をする余裕など一瞬もない状況だ。
千華の位置からは、応接スペースを区切るついたてに隠れているため、倒れている黒砂幸の姿も見えていないようだ。
千華の入室に一瞬惑わされた佐倉貴だったが、ふたたび俺を噛む顎に力を加えた。
「彼氏を探しに来たのかな? ふふ、健気な子だね……君を食べたら、大輪田君の意識はどうなるんだろうね? きっと、君と大輪田君の意識ごと、大輪田君の身体が僕のモノになるのかな? そうなったら、国分ももちろん僕のものだね?」
余裕の声だった。たしかにどう見積もっても、佐倉貴のほうが余力を残している。
だが、俺はそれでも諦めなかった。
確信していた。やはり、もつべきものは仲間だと。大事な存在、頼れる存在が居るからこそ、強くなれる。弱さを補うことが出来るのだと。
俺はポケットの中に突っ込んだままの右手で、携帯電話を探した。黒い巨人に視点が移っていたが、亮の体はきちんとポケットの中の開いたままの携帯電話を掴み取った。すでに用意してあったメールを、佐倉貴に悟られないように指先の操作で送信する。
下あごに食い込んだ佐倉貴の牙が、ゴキュリと嫌な音を立てて骨を削る。静かな生徒会室の中で、千華の携帯が放つ、低い振動音が聞こえた。
「ちょっと時間がかかったけど、終わりにしよう。君の身体を食べて、僕は完全になる」
食い込んだ牙から、直接俺の頭に佐倉貴の声が響く。
俺は亮と千華の関係に感謝し、祈った。
千華は不思議そうに鞄を探り、振動している携帯電話を開く。そして、つぶやいた。
「サクラタカシクン?」
「……えっ」
白い巨人の目が大きく開かれた。そして目玉だけが千華のほうを向く。
その瞬間。一瞬だけ、完全に白い巨人から力が抜けた。佐倉貴は、驚いているような、余韻に浸っているような、しかし致命的な意識の空白を、俺の前に晒した。
一気に体を引き、佐倉貴の牙から脱する。そのまま、漆黒の大口を開いて白い巨人に覆いかぶさるように食らいつき、胸から上を噛み砕いた。味わう間もなく三度乱暴に咀嚼し呑みこむ。喉が拒絶してもおかしくない量だが、両手を口の中に突っこんでむりやり押しこんだ。
腰から下だけ残った佐倉貴の体は、ずん、と俺にしか聞こえない音をたてて、あおむけに倒れた。
俺は黒い巨人の姿のまま、その場に膝をついた。
千華は相変わらず、きょとんとした目で亮を見て、一言つぶやいた。
「サクラタカシクン……って、なに?」




