四.決意する七月九日(土曜日)
夜、制服を着て駅前の斎場に到着する。斎場には担任の小川のほか、すでに半数以上のクラスメートが集まっていた。普段は日中しか接することがないせいか、夜景に制服のクラスメートが集まっているこの場面は、それだけで普段と雰囲気が違う。斎場の周囲には、他にも喪服を着た多くの人々が沈痛な面持ちで集まっていた。
女子の中にはすすり泣いている者もいる。友人を亡くした実感が、斎場に来たことによって強く感じられたのだろうか。
新田を見つけたので近くへと寄った。新田は「よう」と軽く声を発し、俺は片手をあげて応える。
「今言うことじゃないかもしれんが、黒砂さんが不良グループと通じてるって話」
新田の視線の先には、その黒砂幸がいた。
黒砂幸は、小川のとなりでいつにも増して凛とした姿で佇んでいる。隣のクラスだが、生徒会長として来ているのだろう。黒砂幸の周りには他の生徒会役員の生徒も見られた。
「噂は本当みたいだ。素行が悪くて留年してる二年生と話をしているところを見たやつがいた」
新田の視線は足元に落ち、声はいつもの元気がない。
「そうか」
溜息をついた。
亮とドクロシャツたちの間に接点はないので、亮には襲われる理由がない。おととい亮を襲おうとしたドクロシャツたちは愉快犯ではなかった。ドクロシャツたちが繋がりを持っていたのは黒砂幸だった。黒砂幸がドクロシャツたちになにかを依頼したのではないか。
生徒会室でドクロシャツたちに襲われたことを伝えたときの、黒砂幸の怪しげな態度がますます引っかかる。しかし黒砂幸と亮とのあいだにも同学年という以上の接点はない。亮の記憶を探っても、俺から見て誰かに恨まれるような要素はなかった。
ということは、やはり黒砂幸が俺の存在に気付いたか。
それも確証はない。だがそれ以外の可能性が薄いことで、候補として浮き上がってきた。
「しかし、なんで亮を……」
横の新田がしばし唸って悩んだのち、ぽん、と手を叩く。
「そうか! 黒砂さんが実は国分さんのことが好きで、お前と付き合ってるのが許せなくて、ってっ!」
言い終わらないうちに、俺は新田の後頭部をひっぱたいていた。新田と同じ思考をしていた自分が恥ずかしい。
亮がこれ以上なく面白そうな反応をしていたが、なにも返せないのが悔しかった。くそっ。
悔しい反面、これも友人ならではの、励ましのひとつなのだろうと考えて感謝する。
「よし、じゃあB組、二列に並んで」
小川の声が聞こえた。いつの間にかクラスメートが全員集合していたらしい。小川が人数を数えて頷く。予定していた全員が集まったのだろう。
「全員ですべてには出席できないから、先生と黒砂以外は挨拶だけだ。他の弔問客の邪魔にならないよう、静かに行動するように。では入場するぞ」
列が動き出した。誰も一言も発さない。
斎場に入ると、花で彩られた祭壇の真ん中に、棺と古林典子の遺影があるのが目に入った。遺影の中の古林典子は、会場のみんなが泣いているこの斎場の中で唯一、満面の笑顔だった。
視線を横にずらすと、祭壇の右端のあたりに古林典子の両親らしき姿が見えた。母親であろう女性が、顔をくしゃくしゃにして泣いている。その肩を、父と思われる男性が抱いていた。
ああ、これが実感なんだ、と俺は、何かを納得した。
どうすることもできない喪失感。死んでしまったら決して元には戻せないという残酷な現実。わかっていても、どんなに納得しようとしても、頭のどこかがそれを拒否している。胸が潰れるような気持ちになった。亮も辛そうにしている。
人は、理屈だけにはなれない。
祭壇に向かって少しずつ進む列を歩きながら考える。亮の中から出て行けたとして、そのまま俺が消えてしまったら、俺のことを知っているのは亮しかいない。俺が消えても、葬式もなく。埋葬もなく。なにより、誰が消えたのかを記す名前がない。
気持ちが沈んでいく一方でふと、ひとつの考えが浮かんだ。
古林典子の名前を食べることが出来るだろうか?
これまで、死んでしまった人間の名前を食べることを試したことはなかった。というより、試す機会がなかった。もし古林典子の名前を食べることができれば、その人生や記憶のイメージを味を通して知ることができる。
そうすれば、古林典子がこの世を去った理由もわかるかもしれない。いまだ明らかにされていない、何かが。
祭壇の棺、あの中に古林典子の遺体があるはずだ。ダメでもともと、そして名前を喰うことで古林典子が失ってしまう自我は、既にない。やってみる価値はある。
順番が訪れ、祭壇の前に辿り立った。古林典子の遺影と棺を見て、胸の前でぱん、と手を合わせる。
亮の身体から黒い塊が飛び出す。俺の視点は黒い塊の顔へ移った。桐川業太のときよりも、対象まで距離があるから、もっと前へ出なくてはならない。
黒い塊の胴がずるりと伸びて、塊の上半身は祭壇を這うようにずずっと前へ。もちろん、この場のすべての人間はそれを見ることが出来ない。
伸びすぎた胴が、重みでびたん、と床面に垂れた。蛇の化け物のように、俺の本体は棺の前へと進む。
棺の中に入ろうとして、思いとどまった。これから名前を喰うのに礼儀もなにもないかもしれないが、それでも勝手に棺の中まで入るのは気が引けた。
棺の前でイメージを膨らませる。中に横たわっているはずの古林典子を想像した。次にその名前をイメージする。合わせた両手に力を込めて、最大限の敬意を払って、挨拶。
「いただきます」
深く頭を垂れると、ゆっくりと口を開けた。
黒い黒い宇宙が、棺の真上にひろがる。闇のベールは祭壇を包むように覆いかぶさり、そのまま祭壇と棺をすり抜け、古林典子の名前だけを捕まえて、亮のところへ戻ってくる。
舌に古林典子の名前を感じ、ひとまずほっとした。よかった、できた。
口の中で転がして、丁寧に味を探る。名前の端から順番に、一文字の一画ずつ丁寧に咀嚼して呑みこんでいく。
さまざまな情報がなだれ込んできた。
古林典子の生い立ちから、現在まで。楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、辛いこと、すべてが味となってしみ込んでくる。
楽しい学校生活。部活動。うまくできなくても充実していた生徒会。優しい両親との絆。生徒会役員のみんなとの絆。クラスメートとの。文芸部のメンバーとの。
沢山の「えっと」。
そして。そして、大輪田亮への、押し殺した、淡い恋心。亮と千華が付き合いだしたことを知り、ひとりで少し泣いた夜。恋に破れても明日からも頑張る、という決意。音で言うなら、芯のある、優しい音色。色で言うなら、これから鮮やかさを増していく桃色。
そこに割り込む悪意が、ざら、と舌の先に触れた。それはまるでトゲのように、古林典子の名前に刺さった言葉。信頼していた生徒会長からのたくさんの凶悪で狂気に満ちた言葉の凶器。
「死んじゃえば、いいのに」
そこから先の古林典子の名前は、記憶も印象も抜け落ちてしまったかのように無味無臭だった。
最後の文字のひとかけら、「子」の一番下のはねを呑みこんだ。後味までしっかり吟味して、もう一度両手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
最大限の感謝と敬意を込めて言った瞬間、黒い塊は一気に亮の身体へと引き戻された。俺の視線も、引っ張られるように祭壇から亮の両目の位置に戻る。
戻った瞬間、涙が溢れた。止めようとしても、肩が震えてしまう。
「う……ぐ……っ」
嗚咽が漏れる。亮が不安そうな反応を返す。亮には、俺が味わった古林典子の記憶と感情は伝わっていない。
「亮……ほら」
新田が小林典子の両親に挨拶するよう促す。俺は涙でぼやけた視界で、深く頭を下げた。嗚咽が止まらず、クラスメートの視線を受けながら斎場の外へ出る。
「大丈夫か?」
新田がポケットティッシュを手渡してきた。それを受け取り鼻をかむ。
「ああ、悪い」
ようやく落ち着いてきて、ひとつ溜息をつく。新田が少し気まずそうに頬を掻いた。
「黒砂さんの話を続けようかと思ったんだが、また今度にしたほうがいいな」
「いや……教えてくれ」
新田は驚いた顔をする。
「お前を『Nステ』と見込んで、だ。教えてくれ」
「お前……」新田はちょっと笑って、しかし諦めたように言った。「そのあだ名は、俺に対する悪口なんだぞ?」
斎場でクラスの全員が別れを終えた。小川は流れ解散を指示し、俺は新田とふたりで斎場を出た。歩きながら新田は話しはじめる。
「黒砂さんは、最近、生徒会の作業中に私用で退席することが多かったみたいだ」
「それは、おかしなことなのか?」
「黒砂さんは、生徒会の仕事中はその役割を貫いてる。そりゃ、退席自体は珍しくない。職員室なり、いろいろ用があるからな。でも、ここ数日の黒砂さんは違ったらしい。廊下で突っ立ってぼーっとしていたり、さっきお前に言ったみたいに不良グループとなにか話してたりしてるところを見られてる。携帯電話を持ってそわそわしていたりする姿もあったみたいだな」
「携帯……」
桐川業太の携帯電話が思い出された。着信履歴の消された携帯電話。とはいえ、そこを結び付けてしまうのはさすがに突飛すぎる。
「気の早いおしゃべりは男の影か、とか噂してるな」
新田は両手を広げてやれやれ、とジェスチャーした。噂好きなのは新田も同じだが、ややこしいので指摘しないでおく。
「『女帝会長』にねぇ……男の影か。不良も男には違いない、よな」
「なぁ、黒砂さんは『女帝会長』って言われんの、あんまり好きじゃないんだぞ」
新田はそう言うと、あ、と声を漏らして、頭を掻いた。
「え、と、そう聞いたんだ。生徒会の他のメンバーから」
新田が変なところで言葉に詰まっているので、首を傾げると、新田はますます慌てたように両手を振る。
「あー、と、だからあんまり、表だって『女帝会長』って発言しないほうがいいぞ。どこで誰が聞いてるかわからんからな」
新田が辺りをうかがう。その動きが妙ではあったが、ひとまず追及しないことにした。
それからしばらく歩き、二人の帰り道が分岐する地点まで到着した。街路灯の下でどちらともなく立ち止る。
「まぁ、黒砂さんが不良と関わりあるとか、色々そういう話は聞いたけど、結局、黒砂さんと亮とは繋がんねーんだよな」
「……そう、だよな」
亮と繋がりがないということは、すなわち狙いが俺である可能性が浮き彫りになるということだ。
「だから、不良の件は単に不良が亮に絡んだだけだと思うぜ、黒砂さんとは関係なく」
「そうだな」
ひとまずの返事をした。これ以上は、新田も情報を持っていないだろうし、推測するにしても限界がある。
「ん。そうだ。よっし解決解決! じゃ、また来週学校でな」
「おう、またな」
新田は片手をあげると、自宅へ歩き出した。
その背中を少し見送って、俺も亮の家へと歩き出す。新田がこちらを振り返っても見えないあたりまで歩いて、立ち止まると、街灯の寂しげな光を見上げて、しばし考える。
違う。根本的に順番が間違っている。古林典子の名前を食べた時点で、俺がしなきゃならないのは、俺や亮と黒砂幸との接点を探すことではなくなった。
黒砂幸のところに行き、古林典子のことを問いたださなくてはならないのだ。そのために合理的な理由を探していたが、見つからなかったからといって、黒砂幸のところに行かなくてよいわけではない。
「亮、月曜日に黒砂幸に会って、真相を問いただそうと思う」
亮からは返事はない。
「古林典子の名前を食べることができた」
今度ははっきりとした驚きの反応が返ってきた。
「古林典子を追い詰めたのは、黒砂幸だ。亮や俺のことがどうというより、古林典子のために黒砂幸に話を聞こうと思う」
亮は迷った反応をするが、俺が退く気がないのを悟ったか、了承の反応を返す。
「なぜなら」古林典子の恋心を思い出しながら、まったく別の理由を口にした。「俺は、善良だからな」




