二.奔走する七月七日(木曜日)(7)
自宅に帰ると、もうヘトヘトだった。朝からの筋肉痛に加え、夕方は古林典子を探して校内を駆けまわった。そのうえ、通り魔との対決。一日の内容が濃すぎる。玄関の扉を閉めた瞬間、安心で一気に眠たくなった。
いますぐにでもベッドに飛び込みたかったのだが、連絡も入れずに帰りが遅くなったことについて亮の母から叱られた。そのうしろで恵がニヤついていたのが悔しい。
ひとりで遅めの夕飯を食べていると、夜のニュースにさっきの通り魔が映っていた。帰り道、公衆電話から警察に匿名の電話を入れておいたのだが、桐川業太はそのすぐ後に逮捕されたらしい。
「なお、容疑者は桐川業太という地元の青年だと判明しましたが、逮捕当時から茫然自失としており、声をかけても反応がないということです。警察では精神鑑定と、取り調べを並行して行う予定です」
アナウンサーが原稿を読み上げ、それ以上の情報はないままつぎのニュースへが始まった。本人からなんの情報も得られない以上、逮捕直後では報道もこの程度だろう。続くニュースをぼーっと見ながら、俺は眠たい頭で夕飯を胃に流し込んだ。
風呂に入ったことで眠気は少しすっきりした。自室に戻ると、携帯のライトの点滅がメールの着信を知らせていた。濡れた髪を乱暴にバスタオルで拭きながら、携帯電話を開く。四件のメールが届いていた。
着信順に、轟美香子、新田、千華、そして古林典子。順番にメールを開く。
轟美香子からは『チッキーがまたお前のことを心配してたぞ! お前を心配するチッキーが心配だからチッキーを心配させないようにお前がしっかりしろ! なにかあれば相談に乗る』と早口言葉みたいな文章が送られてきていた。
つぎに新田からのメールを開く。目に飛び込んだ文字に心臓が高鳴った。
『黒砂さんが不良と接触してるって噂を聞いた。裏は取れてないが、とりあえず連絡しておくぞ。なにかわかったら教える』と書かれている。
二度読みかえす。仮に、黒砂幸がドクロシャツたちと通じていて、亮を襲えと指示していたとする。ならば、黒砂幸がなぜ亮にドクロシャツを差し向けたのか、という謎が生じてくる。
そもそも亮は黒砂幸とほとんど関わりがないし、もちろん恨まれる要素も無い。
「まさか、黒砂幸が亮のことを好きで、千華とつき合っているのを恨んで、とか」
そう口に出すと、亮が強い否定の意思を示した。
「冗談だ。そもそも、それなら嫌がらせの相手は亮じゃなくて千華だろ」
自分で言って、はたと考える。
「……ってことは、黒砂幸が好きなのは千華か!? 禁断の恋路を成就させるために、ジャマな亮に刺客を送った!?」
衝撃的なひらめき。亮のリアクションも衝撃。健全な男子高校生ならではの不健全な映像が、瞬間的に構築される。モデル並みの容姿を誇る黒砂幸と、健康美少女の千華のふたりが。一糸まとわぬふたりが赤裸々に。
亮の頭脳を悪いほうにフル回転させ、最高に美麗な映像が構築されていく。
「おお……」
情熱的な妄想をひとしきり楽しんで、冷静な推理に戻る。そもそも男子高校生である亮の身体を借りてるだけで、俺は男子高校生ではなかった。
「実際、亮と千華の関係を崩すため、では説得力がないよな……時期はおかしくないが」
時期、とつぶやいて、ふたたびはっとした。
「……黒砂幸は、亮ではなく、俺の存在に気がついて、刺客を差し向けた?」
そうだとすると、話は大きく変わってくる。
桐川業太は「見つけた」と言っていた。もし、ドクロシャツと桐川業太、両方の襲撃に関連性があったとしたら。
亮が狙われるいわれはない。俺自身が狙われていると考えたほうがよさそうだ。
しかしその場合、黒砂幸はどうやって、亮から俺への入れ換わりに気付いたのか。桐川業太も、亮ではなく俺を狙ってきたということだろうか?
だが、黒砂幸と桐川業太の接点という意味ではなにも情報がない。今はまだ、ここから先へは辿りつくことができない。
「なんにせよ、判断材料が少なすぎるな」
言いながら、顔をくしゃくしゃにして泣く黒砂幸の姿が思いだしていた。古林典子を怒鳴りつけ、そのあと廊下にへたりこんで泣いていた黒砂幸。できれば、黒砂幸が亮や俺を狙ったとは考えたくなかった。
「もし、黒砂幸がなにかを企んでいるなら、つぎのアクションを起こすはずだ。それを待っていても遅くはない」
亮もそれに賛成する。
それに、新田が新しい情報を得てくる可能性もある。ちゃんと調べたらガセネタだったということもありえるだろう。頭を切り替えて、つぎのメールを開く。
千華からのメールには『ごめんね亮くん、ミカリンに亮くんのことをメールしたの。そしたらミカリンが亮くんにメールするって……でも、亮くんのことが心配だったんだよ(+_+)』と書かれていた。
すぐに『お風呂に入ってたよ。轟さんからのメールは来てたけど大丈夫。きょうはしっかり寝て、あした元気だすよ!』と返信。
俺が亮のふりをするのは会話だけではなく、メールでも同様だ。亮のメール履歴から文章の癖を分析し、亮らしい文面をまねて返信する。
亮は千華のメールには忙しくてもできるだけすぐに返信し、それ以外の人間のメールには手が空いた適当なときに返信する傾向がある。露骨な奴だ。
最後に古林典子のメールを開いた。
『今日はごめんね。えっと、なんだか、生徒会室を出たくらいから頭がぼーっとしてたみたい。黒砂さんに叱られたことも悪い夢なんじゃないかって思うくらいなの。えっと、でも黒砂さんが怒ったのも、大輪田君が見つけてくれたのも、夢じゃないんだよね。きょうは探しにきてくれて嬉しかったです。頼りない生徒会書記だけど、これからも頑張ります。えっと、また文芸部でもよろしくね』
「メールでも『えっと』だらけだな」
思わず吹きだすと、亮も楽しそうな反応を返した。
古林典子の文面から、黒砂幸の暴言に負けないタフさを感じる。俺なら、黒砂幸にあれだけ言われれば耐えられないかもしれない。
千華以外の三人にも返信をした。メールのやりとりが継続しないような、当たり障りのない内容。返信が終わり、もういちど、四人から送られてきたメールの文面を読み返して、溜息をついた。
亮には沢山の人間関係がある。その亮になり代わってメールの返信をするのにも慣れた。ときにはそれを楽しんでいる自分に気づく。
だがそれは亮の人間関係であって、俺のものではない。俺は亮の友人たちを知っていて、亮の友人達は俺を知らない。奇妙な一方通行。虚しさと、寂しさが襲いかかって来て、携帯電話を閉じた。
「いいな、亮、友達が沢山いるってのは」
俺のつぶやきに、心配そうな亮の反応が返ってきた。俺を認識している亮だって、俺と言葉を交わしたことがない。亮が俺を認識したとき、俺は既に亮の身体を奪っていたから。
だから、亮は本当は、俺を憎んでもいいはずなんだ。それでも、亮は俺のことを心配してくれる。ありがたいことだ。
「亮、俺がお前の外に出ていけたら」
亮には迷惑ばっかりかけてるけれど。
「俺の、友達になってくれないかな」
亮はすぐに、強い肯定の返事をしてくれた。その感情の波は、心地よく亮の身体の中に、俺の心の中にひろがって行った。そっと胸に手を当てて、掌で亮の身体の鼓動を感じる。
「……ありがとう」
すこしだけ、救われたような気持ちになった。
亮にとっては迷惑に違いないが、俺が他の誰でもなく、亮の中に発生できたことは、俺にとって最大の幸福だったのかもしれない。
それから、千華と何通かのメールをやりとりして、眠りについた。
……あとから思い返せば、俺はこの日をもっと注意深く過ごすべきだったのだと思う。
そうしていれば、あんなにも辛い別れを味わうこともなかったのに。




