二.奔走する七月七日(木曜日)(5)
午後から多少やわらいだとはいえ、いまだ筋肉痛は身体中を襲う。しかし俺は構わずに校舎内を走った。
古林典子を追いかけ、階段を登り二階へ。廊下を見渡してみるが、人の気配はなかった。
「生徒会室か、部室のどっちか、か?」
位置関係を考えると、近いのは部室だ。まず文芸部の部室方向に向かって走る。走りながら、亮の携帯電話のアドレス帳を検索。古林典子の項目は見つかったが、メールアドレスだけで電話番号が登録されていない。舌打ちして、簡単に『今どこ?』とだけメールし、携帯電話を閉じた。
文芸部の部室前に辿り着き、俺は扉を開ける。中には女子生徒が何人かで談笑していて、突然開いた扉に驚いていた。
「古林さん、こなかった!?」
扉にいちばん近い女子生徒に聞いてみる。
「えっ? えっ?」鬼気迫る俺の質問に戸惑い気味の女子生徒。「あ、いや、今日は来てないみたいだけど……来てないよね?」
女子生徒は他の二人に視線を送るが、二人とも首を横に振る。俺は「わかった、ありがとう」とだけ言って、扉を閉め、つぎは更に階段を上がり、三階へ。
図書室を覗いたが、やはり古林典子はいない。そのとき、右手で掴んでいた携帯電話が振動したので、携帯電話を開く。
メールの着信だったが、送信者は千華だった。『自転車置き場にいるんだけど、まだ時間かかるかな?』と書かれている。携帯電話の時計表示を見ると、十七時四十五分。千華の部活が終わり、いつも待ち合わせしている時間をすでに過ぎている。
『ちょっと用事があって時間がかかりそう、先に帰ってて。ごめんね』と返信し、俺は生徒会室の扉を開く。
生徒会室には二名が残っていたが、その中にも古林典子の姿はなかった。
「っと、さっきも来てた人? どうしました?」
眼鏡の男子生徒が尋ねる。たしか、古林典子と同じく書記をしているやつだったか。
「古林さんを探しているんだ。ここには戻っていませんか?」
「いや、さっき君が来たときに出ていったっきりだよ」
「そうか、ならいいんだ、おじゃましました」
扉を閉めようとしたとき、眼鏡の男子が俺に声をかけた。
「あっ、ねえきみ! 会長見なかった?」
一階のゲタ箱にいる、と言おうとして、さっきの黒砂幸の姿を思い出し、言うのをためらった。
完璧を目標としている黒砂幸は、くしゃくしゃになった表情を他人に見せるころをよしとするだろうか。
「……いや、見てないよ」
結局、黒砂幸の居場所を伝えるのをやめた。
「うーん、そっか。どうしたんだろ、突然飛び出していったんだよな……ごめんね、呼びとめたりして」
「ううん、それじゃあ」
扉を閉め、廊下をもと来たほうへ引きかえす。
「古林典子はどこに行ったんだ……」
つぶやいてみるも行き先は浮かばない。いちおう携帯電話を開いてみるが、メールの返信もない。
「屋上……は、ないよな……」
階段のところまできて、屋上のほうを伺う。昼休みは開放されている屋上のテラスだが、授業中と放課後は鍵がかけられているはずだ。
それでもなんとなく、俺は階段を登った。予感がしたわけではない。あてを無くし、とりあえず思いついた場所を探してみるしかなかったのだ。
そして、意外にも古林典子はそこで見つかった。薄暗い階段の上、施錠された屋上テラスへの扉の前で、足を折りたたんで小さくなってうずくまっていた。
「古林さん」
俺の声に古林典子の肩がぴくりと動いた。ゆっくりと顔をあげる。疲れきった顔と、泣きはらした真っ赤な目が痛々しい。亮も辛そうな感情の波を立てた。
「大輪田君……」
消え入りそうな声だった。古林典子はちょっと恥ずかしそうに笑う。
「えっと……かっこ悪いところ、みられちゃったね」
古林典子はそう言って立ち上がる。俺はかける言葉が見つからなかった。
「えっと、心配かけてごめんね。来てくれてありがとう。でも、もう、大丈夫だよ」
「ほんとに?」
「うん。えっと、黒砂さんは悪くないの。私が仕事を上手にできなくて、それで黒砂さんに迷惑をかけちゃってね、えっと、だから黒砂さんが怒るのも無理ないんだ」
笑顔を見せる古林典子。それは悲痛な笑顔のようで、でも優しく、穏やかだった。
「えっと、さっきのあのときだけ見ると誤解するかもだけど、私、黒砂さんとは仲良しなんだよ? 突然あんなに怒るのはびっくりしちゃったけど……えっと、だから、大丈夫」
古林典子は両手でガッツポーズしてみせた。それから思い出したように自分の腕時計を見て、驚いたような表情をする。
「あっ! あれっ!? こんな時間! おかしいな、私どうしてこんな時間まで……えっと、大輪田君、ごめんね、私もう帰らなきゃ!」
古林典子はばたばたと階段を駆け降りる。踊り場でこちらを振り向いて、なにかを言った。声が小さくてよく聞きとれなかったが、唇の動きから多分「ありがとう」と言っているようだ。俺は手を振り返した。
「とりあえず、元気みたいで良かったな」
亮が同意の感情を返す。
「さて、解決したみたいだし、帰るか。さすがに千華ももう帰ったかな」
時間を確認すると、十八時を回っていた。俺は自転車置き場へと向かった。
日没が近づく校内、生徒は誰もいなくなり、しんと静まりかえっている。自転車置き場に着くと、予想に反して、千華は退屈そうにそこに立っていた。
「千華!?」
ツインテールをいじっていた千華が俺の声に気付いてこちらを向き、ぱっと笑顔を見せた。
「亮くん! もう、遅かったよー!」
両手を広げて喜ぶ千華。
「ごめん、待っててくれてるなんて思わなかった」
「亮くんの自転車がまだあったから、待ってればいっしょに帰れるかなって思って」
「そっか、待たせてごめん。じゃあ帰ろっか」
「うん、帰ろ帰ろ」
自転車の鍵をはずして、持っていた鞄を自転車のカゴへ。千華の荷物もカゴに載せると、千華と一緒に歩き出す。
「どうして遅くなったのー?」
「うーん……」
言いよどんだ。あまり大っぴらに話してよいことではないと思う。だが千華は亮の彼女という立場だ。亮から隠しごとをされているという印象を残すのも思わしくなかった。
「言いにくいことなの?」
千華が心配そうにたずねる。
「うーん、ちょっとね。でも話すよ。できれば他の人には内緒にしてほしいな」
「うん、わかった。言わないよー」
俺は廊下で黒砂幸と会ってからの一部始終を話した。その前に生徒会室に行っていたことは伏せておく。なぜ行ったのかという疑問から、昨日俺がドクロシャツ達に襲われた事実に繋がりかねない。
話し終えると、千華は「むー」と唸る。
「黒砂さんがそんなキツいこと言うんだねー、ちょっと意外かも。しっかりしたやさしい人っていうイメージだったのになー」
「僕もそう思う。人は見かけによらないのかなぁ」
千華に返事をしながら、俺自身が見た黒砂幸と、亮の記憶の中の黒砂幸を思い出す。
黒砂幸にドクロシャツたちのことを話し、謎を明らかにする手がかりを見つけるはずだった。しかし、逆に謎が増えた結果になってしまった。
黒砂幸は俺に古林典子のフォローを頼んでいたはずだった。しかしなぜその直後にまた古林典子を怒鳴りつけていたのか。
生徒会室で見た、本当に申し訳なさそうな表情。あれは『女帝会長』による演技だったということだろうか。それにしては、怒鳴られていた古林典子が去ってからの黒砂幸の態度は、思惑が外れたような、妙な態度だったように思える。
古林典子は立ち直ったようで、それはせめてもの救いだったかもしれない。明日からの生徒会室で他の生徒会役員達との人間関係がギクシャクしなければいいのだが。
それにしても、他人の心配をしてばっかりだ。おかげで俺が亮の身体から出て行くという目標の糸口すらつかめていない。溜息が出る。
「……ちょっと亮くん、聞いてますかー?」
「はぇっ?」
思わず間抜けな声をあげた。横で千華が頬を膨らませている。
「聞いてなかったでしょー、せっかく彼女がいろいろ話しかけてるっていうのに、もう」
「う……ごめん」
「いいですよーだ」
千華はべーっと舌を出す。
「ほんとに、なんだか最近の亮くん、ちょっと変だよー。それとも、こっちがほんとの亮くんなの?」
「ち、違うよ」
思わず否定して、そう必死に否定することも少し不自然であると遅れて気付く。
「もー、ほんとにどうしちゃったのー?」
千華は覗きこむように俺の目を見た。詰め寄られるような格好になって、俺の口からう、と声が漏れる。俺の存在に気付いているというわけではないだろう。しかし亮ではないことを黙っているせいか、俺のほうは見咎められているようでプレッシャーがあった。
「もし週末のデートの日もそんな元気のない亮くんだったら、私は許しません!」
千華は俺の鼻先をびしっと指で指した。
「……うん、ごめん、大丈夫、日曜日はもっとちゃんとしてるよ」
「約束だからね?」
千華は穏やかな表情で、しかしどこか不安そうに、確かめるように言う。
「うん、約束する」
そう答えはしたが、まったく自信はなかった。日曜日までに、いま抱えている問題が全部晴れるなんてことは考えにくい。
そして仮に俺の気分が最高によかったとしても、俺が演じれる亮の姿には限界がある。またボロを出して千華に違和感を持たせてしまうかもしれない。
自分の存在を呪った。俺が発生したことで、亮には迷惑しかかけていない。どうして、なんのために俺は発生したのか。
もし俺が発生したのが誰かの意思だというのなら、そいつに俺が今、いかに辛いかを訴えたい。他人の身体の中にいるという状況のせいで、行方をくらます、または命を絶つという選択すら許されない。どんなに心が悲鳴を挙げていても、亮を演じてなに食わぬ顔で過ごすしか、道がなかった。そしてその道ですら、亮に迷惑をかけている。
いつか、すべてを千華に話し、亮に謝ることができる日がやってくるんだろうか。俺は善良だから、亮に謝りたい。
そんなことを考えていると、千華がすっと前へ出て立ち止りこちらを向いた。
ほとんど地平線に沈んでいる夕陽を背にして、両手を後ろで組み、顔をちょっと傾けてにっこり笑う。
「元気が出ないときはねー、ごはんをいっぱい食べて、ゆっくりお風呂に浸かって、たっぷり寝るといいんだよー」
穏やかな声で、千華が言った。それは、まるで母親が子供に向けるような、柔らかく、安心する声だった。
本当は、これも俺ではなく、亮に向けられた言葉。それでも、俺はすこし救われたような気がした。




