二.奔走する七月七日(木曜日)(3)
昼休みになり、鞄から弁当をとりだし教室を出る。千華のクラスを覗くと、まだ授業が終わった直後らしく、教室の中は喧騒に溢れていた。千華の席の周りに何人かの女子が集まっており、その輪の中に千華もいる。千華が出てくるまでまだ時間がかかりそうだ。
俺は扉から一歩下がって千華を待つ。
「大輪田じゃん、チッキー待ってんの?」
女性の声が聞こえて振り向くと、ショートヘアの女子生徒が立っていた。
千華の友人、「ミカリン」こと轟美香子だ。亮の頭の中を検索せずとも、よく出会う人物なので覚えている。いつも短めのスカートと、きりっとした目が特徴の、活発そうな女子で、部活はソフトボールだったか。
「ああ、轟さんか」
「チッキーとお昼食べるんでしょ? 呼んできてあげるよ」
「うん、ありがとう」
轟美香子は教室に入ろうとして、思いとどまったのかもう一度俺のところへ来た。
「あんたさ、チッキーを悲しませたりしたら、あたしは許さないからね」
轟美香子は俺との距離を詰め、睨んできた。
「……どういうこと?」
態度に押されたフリをしつつ、そう答える。轟美香子は俺から視線を外して腕組みをする。
「……チッキーがね、あんたが元気がなくて心配だって言ってんのよ」
「千華が……?」
「そう。普段はこんなメールをしたとか、こんなこと言ってもらえたとか、そういうノロケばっかりだった。でも最近はあんたの心配ばっかりしてる」
轟美香子はちらりと教室の中をうかがう。
「チッキーは素直な子なのよ。わかってると思うけど……だから、大事にしてあげて」
「うん。わかった」
轟美香子の目を見て返事をすると、轟美香子は安心したように表情を緩めた。
「しっかりやんなさいよ」
そう言って、轟美香子は教室の中へ入っていった。
「心配してる、か」
完璧には亮を演じきれない。それは自覚しているつもりだ。だが千華がそれを亮の心境の変化として感じ取り、心配しているという事実に心が重くなった。
やがて、いつものように朗らかな笑顔で、千華が教室から出てきた。
「あ、亮くんおまたせー! 行こう行こう!」
右手にお弁当の包みがある……が、いつもと違う。
「あの、千華さ」
「ん?」
「弁当……大きくなってないか?」
千華は自分の弁当の包みを見る。それは千華が昨日まで持ってきていた弁当と比べて一・五倍ほどの大きさがあった。ちょうど、普段二段重ねの弁当箱が三段になったような。
「あ、これ? 実は昨日ねー、お母さんにお弁当ちょっと減らしてほしいって言ったら、お母さん泣きだしちゃったの。『私のお弁当が美味しくなくなっちゃったのね!』って」
「は、はぁ……」
その光景が頭に浮かぶ。
「だから私『そうじゃない、お母さんのお弁当はすっごく美味しいよ、だからやっぱり減らさなくてもいいよ』って言ったら、今度はお母さん、大喜びでねー。そしたら、今日は大盛りで、お弁当が二段から三段にパワーアップしましたー!」
千華は弁当の包みを顔の高さまで持ち上げて、満面の笑顔。
「あ、そう……」脱力感に襲われる。「食べきれるの? それ」
「うん! なせばなる! なせばなるよ亮くん!」
「それをなしちゃうのはどうなの?」
俺達は屋上へ向かい、一緒に弁当を食べた。
千華は弁当を難なく平らげた。やはり千華の胃袋には、俺よりも深い謎が隠れているに違いない。
放課後、生徒会室へと向かった。いつもなら千華との待ち合わせの時間まで図書室で時間を過ごすところだ。しかし今日は黒砂幸にドクロシャツ達のことを聞くという目的がある。
図書室と同じ並びの司書準備室、多目的室のさらに隣、一番奥に生徒会室はある。生徒会室の扉にはパソコンのワープロソフトで作られたらしい「ご自由にお入りください」の貼り紙があった。
壁面には校内の催しものの告知ポスターが掲載されていた。やはり隣のポスターと縦横一ミリのずれもなく並んでいる。
扉をノックしようとして思いとどまり、自分の姿を見直す。あれだけ完璧に校則を守る黒砂幸に話をするんだ、一応こちらも制服くらいはきちんとしておかないと、悪い印象を与えるかもしれない。
「俺の場合は服装よりもまず存在そのものがきちんとしてないけどな」
ワイシャツの襟を正しながらつぶやくと、亮が曖昧な反応を返した。
見える範囲で全身をチェックし、ひとまず問題なさそうだということを確認。そして今度こそ扉を開けようとして――
「どうしてそのくらいのこともできないの!?」
中から聞こえてきた声に、扉を開けることをふたたび思いとどまった。
「もうずっと前にお願いした仕事でしょう?」
とがめるような黒砂幸の声。生徒会室の中で誰かを叱っているのだろうか。しかし、相手と思われる人物の声は聞こえてこない。
それからも何やら話し声が聞こえたが、黒砂幸の声もさっきより小さくなっていて、うまく聞き取ることが出来なかった。
壁に耳をつけて聞いてみようかとも思ったが、その姿を誰かに見られたら亮の評判を落とすため、断念した。
数秒迷った末、結局、扉をノックする。すこしの間のあと「どうぞお入りください」という男子生徒の声が聞こえて、俺は扉を開いた。
「……失礼します」
生徒会室の中は、まるで小型の職員室のようだった。七名の生徒会メンバー一人ひとりに一台ずつのデスク。それぞれのデスクには資料らしきプリント、作りかけのポスターなどが積み上がっている。一番奥の机に黒砂幸が座っており、その隣に古林典子がうつむいて立っていた。
どうやら叱られていたのは古林典子らしい。髪の毛に隠れてよく顔が見えないが、頬のあたりが濡れているようだ。泣いていたのだろうか。
生徒会役員は全員出席しているわけではないらしく、黒砂幸と古林典子のほかには三名の生徒会役員がそれぞれの机についてノートパソコンのキーを叩いたり、ガリガリと書きものをしていた。
「あら、大輪田君、なんのご用かしら」
黒砂幸がその場で立ち上がる。
「ちょっと、生徒会長に相談したいことがあって」
言いながらちらりと古林典子のほうを見る。目が合うと、古林典子は気まずそうに視線をそらした。
「じゃあ、こちらへどうぞ」
黒砂幸は生徒会室の奥、ついたての向こうがわを示した。俺は言われるままに奥へ。
生徒会室の奥は、会議スペースと思われる場所になっていた。長机が設置され、囲むようにパイプ椅子が置かれている。
「えっと、あの……会長」
絞り出すような小さな声で古林典子が言った。ついたてにさえぎられて見えないので、俺は聞き耳を立てる。
「古林さん、今日はもう上がっていいわ。あしたからまた頑張ってね」
黒砂幸は優しくそう言ったが、どこか厳しさが感じられる。
俺は手前のパイプ椅子に座り、生徒会室の入口をうかがう。古林典子が荷物を持って生徒会室を出ていくのが見えた。小さな身体で、肩を落として出て行った古林典子は、彼女の身長よりもますます小さく見えたような気がした。
同学年の生徒に上からの態度で叱られるというのは、気分のいいものではないだろう。古林典子も生徒会の選挙で投票によって当選したのだから、決して力不足というわけではないはずだ。黒砂幸の求める水準が高すぎるのだろうか。
そんなことを考えていると、黒砂幸がノートを持って俺の向かいに座った。
「相談したいことっていうのは何かしら?」
黒砂幸はノートを開き、シャープペンを数回ノックする。それから長い黒髪をノートの邪魔にならないように後ろにかきあげた。非常に絵になる仕草だ。
「えっと、その前に……古林さんが、何かしたの?」
黒砂幸は目をぱちくりさせる。
「え? ……ああ、ちょっとお願いしていた仕事がしめ切りに間に合わなかっただけなのよ。聞こえちゃってたかしら。私も最近仕事が多くてイライラしてたみたいで……だめね。生徒会長のプレッシャーかしら。古林さんには後で謝っておかなくちゃ」
黒砂幸は困ったような表情で、シャープペンの先を顎に当てて笑った。
「そっか、ちょうどドアをノックしようと思ったところで、中から声が聞こえてきたから」
「うん、ごめんなさい……それで、相談したいのはそのことではないのよね?」
「ああ、えっと……昨日の放課後、ここの学生服を着た金髪の生徒に襲われて」
言い終わらないところで、黒砂幸の眉が小さく、ピクリと動いたのを俺は見逃さなかった。しかし黒砂幸はすぐそれまでの表情に戻り、話の続きを待つ。
俺は話を続けた。ドクロシャツたちを撃退したことは伏せておく。朝に新田に伝えたようになんとか逃げ出し、教師に告げ口したことで逆恨みされるのを恐れ、生徒会で把握してほしいということにして、一部始終を伝えた。
黒砂幸は話を聞きながらノートに数行のメモをして、ふう、と息を吐いた。
「わかったわ、話してくれてありがとう」
「心当たりとか、あるの?」
「ううん、特徴だけでは誰だかわからないわね……本当にうちの生徒かもわからないし。もちろん、違う学校の生徒だったとしても、うちの学校の制服を着て暴力行為を働いているなら十分問題だけれど」
憂鬱そうに答える。表情に注意していたが、何かを隠しているというわけではなさそうだ。
黒砂幸はノートを閉じ、椅子から立ち上がった。
「話してくれてありがとう。いま、見てのとおり秋の文化祭に向けていろいろと大変なの。ちょっと時間をもらうかもしれないけれど、なんとか調べてみるわね。ごめんなさい、ばたばたしていて」
「いや、こちらこそ忙しいときにごめん」
「大丈夫よ、なんたって私『女帝会長』だもの」
黒砂幸は自嘲気味に笑う。意外にも黒砂幸は、自分に対する悪評でもあるあだ名を知っていた。
「そのあだ名、知ってたの?」
「知らないと思ってた? ふふ、確かにみんなは隠そうとしているけれど、たくさんの人が言っていればいずれ私の耳には届くわよ。人の口に戸は立てられないわ」
「そうか……ごめん、僕も何度か口にしたことがある。もう言わないよ」
「ありがとう。でもそんなに気にはしてないのよ。ちょっとプレッシャーではあるけど、そう呼ばれても仕方ないくらい、一人でなんでも背負い込んでストレス溜めちゃうって、自覚しているから。今もそれで古林さんに当たっちゃったし。でも、生徒会長としての仕事を第一に頑張るわ。……あ、そうだ大輪田君」
黒砂幸は思い出したように言う。
「なに?」
「あの、明日も古林さんが落ち込んでいたら、その……」
言葉に詰まる黒砂幸を見て、俺は少し笑いそうになる。こんな人間味のある表情もできるんじゃないか。
「わかった、フォローしておくよ。あまり得意じゃないけど」
「うん、ありがとう」
黒砂幸は優しく微笑んで、ぺこりと軽く頭を下げた。




