二.奔走する七月七日(木曜日)(2)
遊歩道を学校へと歩く俺と千華。
朝は遊歩道の入り口で待ち合わせし、学校まで一緒に登校する約束だ。
昨日送ったデートの誘いのメールがよほど嬉しかったのか、千華はごきげんのようで、いつもより足取りが軽やかだ。ツインテールも普段より二割増しで楽しげに揺れている。
一方の俺は、体中が筋肉痛で泣きたいくらい辛いのだが。
千華のごきげん度数を上げすぎないように、また定期テストの話でもしておこうか。そんなパラメーター調整を考えたときだった。
「日曜日、楽しみだねー亮くん!」
満面の笑顔の千華に、テストの話など言い出せなくなった。
「美術館かぁー、美術館なんて行くのすっごく久しぶりかも。あ、誰のだっけ?」
「えっと……鬼越なんとか展……ごめん、名前は忘れちゃった。でも現代美術で、なんだかわけわからなさそう」
「へぇー、なんだか面白そうだねー!」
「母さんがたまにはデートでも行きなさいって、チケット押しつけてきたんだよ」
そう言うと、千華はちょっと不思議そうな顔でこちらを見つめてきた。
「ん……どうかした?」
「亮くん、いつもは『おかん』って言ってるのに、今日は『母さん』なんだなと思って」
ぎくりとし、亮の記憶を探る。……確かに亮は千華やクラスメートの前では「おかん」と発言していた。
くそっ、家族の前では「母さん」って呼んでるのに、妙な使いわけをしやがって。
「あ、家ではそう呼んでるんだよ。つい」
こういうときは嘘を重ねないほうがいい。
「ふーん、そっか。でも、確かにそっちのほうが亮くんらしいかなー」
「そういえば、まだ捕まってないみたいだね、通り魔」
話題を変えようと、昨日読んだ新聞を思いだして言った。
「そうだねー、怖いなぁ……通り魔って、どんな人なんだろう」
千華は不安そうな表情をする。
「新聞で見た犯人像だと、二十代くらいの痩せた男だって書いてあったね」
犯人の似顔絵を思いだす。これは俺が発生した後に起こった事件なので俺の記憶だ。被害にあったが軽傷ですんだ女子大生が描いたという、帽子を被った長身の男の下手っくそな似顔絵。あれで犯人がわかったら、俺は逆にそいつの視力を疑う。
当然、通り魔の名前はまだ明らかになっていない。明らかになっていればほぼ確実に身元も割れるわけだから、通り魔なんてしている場合ではなくなるのだが。
しかし、俺が言うのもどうかと思うが、相手の名前がわからないというのはどうも気分が悪い。
「部活で帰りが遅くなるときがあるから、気をつけないとだねー」
「ああ。でも、千華が部活のときは必ず一緒に帰るし、何か起きても俺が千華を守る。大丈夫だ」
昨日のように突然、わけもわからず不良から襲われることだってある。亮の身体に間借りしている間は、亮が大切にしている人や物は俺が守るしかない。それが、迷惑をかけている亮に対する、俺なりのつぐないにもなる。
「亮くん……」
となりを歩いていたはず千華の声が後ろから聞こえ、俺は立ち止まり千華をみた。
千華は嬉しそうに、頬を赤くして俺を見ていた。目尻はちょっと潤んでいる。
そこでようやく自分のミスに気づく。つい亮ではなくて俺として答えてしまっていたのだ。
亮は草食系なので「俺が千華を守る!」なんて熱いことを言うはずがない。
「えへへ、ありがと! うん、亮くんがいるから、安心だねー!」
千華は嬉しそうにぴょんと跳ねて、満面の笑みで、人目もはばからず抱きついてきた。
「ぬおっ!?」
なかば突撃されるような形になって、俺は押していた自転車ごと転びそうになる。
鼻にかかった千華の髪の毛から、ふわっとシャンプーの淡い香り。制服の生地越しでもわかる、千華の身体の柔らかい感触が俺の腕にぶつかった。
一瞬遅れて、罰のように地獄の筋肉痛が体中を襲う。抱きついてきたのが千華じゃなきゃ、痛みに耐えかねて張り倒していたかもしれない。
「ちょっと、千華! 見られてるから!」
実際は、周りの目線は気にならない。だが亮の恨めしそうな訴えはとても痛かった。それから筋肉痛も死ぬほど痛かった。
「ふふ、ごめんねー? でも嬉しくて」
千華は俺から離れると、本当に嬉しそうに笑って舌を出した。
俺は抱きついてきた千華の身体の感触の余韻を感じつつ、心の中で亮に謝った。
校門を入り、直接教室に向かう千華と別れて駐輪場へ。
さすがに、教室の前まで一緒に登校すると、他の男子に妬まれたり、女子から騒がれたりと色々あるのだろう。毎朝、校門で別れてそれぞれに教室へ向かうようにしている。
駐輪場に自転車を停めて下駄箱へ向かうと、何者かに突然背中を叩かれた。
「うぐっ!?」
背中を叩かれた衝撃そのものはたいしたものではなかったが、筋肉痛が上乗せされて思わず声が出る。昨日のドクロシャツ達の襲撃を思いだし、逃げるように前方に跳んで、叩いてきた人物を確認した。
「よう、朝からラブラブじゃねーか。ふざけてんのか亮くん、授業中うしろからシャーペンでめった刺しにしてやるから覚悟しろ」
新田がうらめしそうな顔で立っていた。さっき千華に抱きつかれたのを見られていたのだろう。どいつもこいつも、どうして身体に触れてほしくないときに限ってスキンシップが旺盛なんだ。
新田とともに教室へ向かう。
「くそ、いまだに信じられねぇ。どうしてお前みたいなさえない草食系男子の極みが、あの国分さんとおつきあいなんてミラクルを起こせたんだ」
新田は悔しそうにしている。その疑問については俺も新田と同意見だ。
「はーあ、俺にも人前で抱きついてくれるような女子はおらんもんか……」
「そのおしゃべりなところを改めてみたらどうかな」
嫌味を言ってみる。実際、新田は見てくれは悪くない。『Nステ』と呼ばれるように、他人の噂話を垂れ流すというマイナスイメージだけで周囲からの評判を落としているのだ。
「なにっ!? 俺は口から生まれたからそれは無理だな」
きっぱりと言い放った。なんていさぎよいやつ。
「でも、独りのほうが気楽かも知れないぞ。相手に気を使うこともないし、メールや出かける約束に煩わされることもない」
フォローしたつもりだったのだが、新田は呆れ顔で口をぱくぱくさせた。
「出た。出た出た出た! 出ました! これが勝ち組の余裕ってやつか! お前そんなやつじゃなかっただろう亮! どこいっちまったんだあのころのお前は!」
冗談で言ったのだろうが、新田から「そんな奴じゃない」と言われて、俺は一瞬どきりとした。
動揺を新田に悟られないよう、あしらうように鼻で笑ってその場をごまかし、教室へ向かう階段をのぼる。
「はぁ、亮でさえバラ色の夏休みを送るというのに、俺ときたら……」
嘆きながら、新田は教室の扉を開けた。
始業前のざわついた教室。俺たちはそれぞれ自分の席に着く。落ちついたとたんにじっとりとした暑さを感じて、俺はシャツの首元をはたいて風を通そうとした。
貧乏高校の悲しいところで、教室にはクーラーなんてぜいたく品は設置されていない。周りをみると、教室中のあちこちでうちわや下敷きであおいでいる姿が見られる。
亮の席から見て右のほうに座っている古林典子も、文庫本を熱心に読みながら、額には汗のしずくが光っている。
クラスメートの中にはワイシャツのボタンを全部外しているやつまでいる。そのひどく着崩された制服姿を見て、俺は思わず昨日のドクロシャツたちを連想した。
ドクロシャツたちは、亮の学校の制服を来ていた。校内の人間に詳しい新田ならばもしかすると、昨日俺を襲ったメンバーについて何か知っていることがあるかもしれない。
「新田、そういえば、昨日ひどい目にあったんだよ」
「んぁ」
新田は机に突っ伏し、うちわを仰いでいた。俺の言葉に顔もあげず、やる気のない声で返事をする。
「昨日、帰り道にこの学校の制服を着た不良グループに絡まれてね」
そう言うと、新田はようやく顔を起こし、目を丸くした。
「え、マジで?」
「一、二発殴られた。なんとか隙を見て逃げ出したんだけれど」
本当は不良たちの半分は撃退し、逃げたのは相手のほうだったのだが、亮の身でやったとは言えない。
「んー、それは担任とか生活指導とかに相談したほうがいいんじゃないのか?」
「いや、逆恨みの仕返しも怖いし……相手がわかれば避けることはできるかなと思って」
新田の提案はもっともだったが、もし先生や両親にまで話が広がると、ドクロシャツを撃退したことまでわかってしまいそうだった。それは避けたい。
「それもそうか……確かに、学校の中で、カツあげとかヤバいことをやってる連中がいるっていうのは聞いたことがあるけど……どれも昔の話なんだよな」
「そうなのか?」
「ほら、黒砂さんがさ。全員更生させたっていう話があるだろ。あれは事実みたいでさ、実際それから先、不良の被害にあったっていう話はぱったり聞かなくなった」
では、俺を襲ったやつらは一体なんだったのか。他の学校の生徒がうちの学生服を手に入れて偽装した、というのではさすがに手が込みすぎている。もしくは「女帝会長」に捕まらないように、これまで隠れていた新勢力か?
「あの噂は? 『女帝会長』が不良を牛耳っているっていう」
「それはないな。完全なガセネタだ」
間をおかず、はっきりと新田は答えた。
「黒砂さんが不良を更生させても、そいつらを牛耳って悪いことをするっていうのは考えられない」
「なんで?」
「黒砂さんは超がつく完璧主義者なんだ。生徒会の他のメンバーはそれで苦労をしてるみたいだけどな」
新田は小林典子のほうを見て、小さく溜息をついた。
「完璧……」
昨日手伝った、壁のポスターの一糸乱れぬ配置と、そのときの黒砂幸の真剣なまなざしを思い出した。
完璧。確かに黒砂幸が好きそうな言葉だ。
生徒会長としての「完璧な」仕事。
女としての「完璧な」容姿。
高校生としての「完璧な」学力。
校内をとりしきる「完璧な」生徒会長。
新田はさらに続けた。
「だから生徒会長になったとき、自分が生徒会長をやってる学校で不良みたいなのが居るのがガマンならない、って理由でそいつらを更生させたんだ。生徒会を率いて一人ひとり説き伏せたってさ」
なるほど、その話が正しいなら、更生させたドクロシャツたちに命令してわざわざ悪事を働かせるというのは理屈が合わない。
それにしても、新田の情報網、恐るべし。
「もともと不良だったやつらがまた悪さを企んだだけじゃねーの? 多分関係ねーよ、黒砂さんは」
新田はシャーペンを指先でくるくると回した。
「むしろ、不良対策なら黒砂さんに相談してみたらいいんじゃないか? たぶん全力で片付けてくれるぜ、それこそ完璧に」
「そうだね、いいかもしれない」
新田の話を信じないわけではない。だが俺の中ではまだ、ドクロシャツたちが言っていた「聞いてない」という言葉がくすぶっていた。
ドクロシャツたちが黒砂幸に言われて俺を襲ったのでなくても、新田並みに校内の事情を熟知しているであろう黒砂幸にドクロシャツたちのことを話せば、なんらかの情報が得られるかもしれない。
そこまで考えたとき、始業を告げるチャイムが鳴った。




