五、 裏口の流通ルート(ロジスティクス)
五、裏口の流通ルート(ロジスティクス)
「進は、生きている」
吉田川の畔の小屋で、母の滝は、町中から聞こえてくる噂話を冷徹に分析していた。
藩は凌霜隊の動向を完全に秘匿していたが、人間が生きている以上、そこには必ず「物の流れ(ロジスティクス)」が生じる。
毎日、坪牢へ運ばれるわずかな水と、そこから運び出される排泄物の量、そして時折、夜陰に紛れて運び出される「息を引き取った若者の骸」。
それらのデータを集めることで、滝は進がまだあの暗い穴の底で息をしていることを確信していた。
だが、今の進に必要なのは、精神論ではない。カロリー(栄養)と医薬品という、極めて具体的な物理量であった。
滝は、毎日寝る間も惜しんで織り上げた郡上紬を、八幡の町で最も大きな両替商であり、藩の御用商人でもある「川島屋」の裏口へと持ち込んだ。
「遠藤の女将さん、およしなされ。国賊の身内の荷など、うちの帳簿には載せられん」
主の川島が、当惑した顔で小声を出す。
だが、滝は川島の手の中に、美しく染め抜かれた最上等の藍染の紬と、これまで内職で貯め込んできたわずかな金、そして一枚の「書状」を握らせた。
「川島様。これはお取引ではございません。ただの『相談』でございます」
滝の目は、算盤を弾く商人よりも冷徹に光っていた。
「知っております。藩は今、新政府への献金で財政が完全に破綻している。
川島屋様は、藩に莫大な貸付金(債権)をお持ちのはず。もし今、青山家がお取り潰しになれば、その貸付金はすべて『紙屑』になりましょう」
川島が息を呑んだ。滝の言う通り、藩の存続は商人の死活問題だった。
「坪牢の若者たちが全員死ねば、生き残った親族たちが命懸けで新政府へ直訴するでしょう。
『藩の嘘』が暴かれれば、青山家は即座にお取り潰し、川島屋様も連鎖倒産です。……それを防ぐ方法は一つだけ。若者たちを、新政府の監査が終わるまで『生かしておく』ことです」
滝は、一介の主婦でありながら、藩の財政構造とリスクの本質を完全に突いていた。
「私が内職で稼いだこの金で、坪牢の看守たちに『賄賂(通行料)』を支払ってください。
そして、この私が作った栄養のある団子と、薬草を煎じた汁を、毎日、夜番の交代の隙に牢へ差し入れさせてほしいのです。
川島屋様には何の損もございません。藩の破滅を防ぐための、ほんのわずかな『投資』だとお考えくだされば」
川島は、目の前の「国賊の母」の恐るべき計算高さと、その裏にある底なしの情念に圧倒された。
「……分かった。ただし、万が一露見したときは、川島屋は一切関知せぬ」
こうして、組織のシステムの隙間を縫うようにして、滝が構築した「裏の流通ルート」が動き始めた。
世間が滝を「国賊の未亡人」と呼び、石を投げる裏で、彼女は冷徹な経済のロジックを使って、我が子の命を繋ぐ兵糧線を一本、確実に開通させたのである。




