三、 システムに捨てられた若者たち
三、システムに捨てられた若者たち
凌霜隊の進撃は、まさに「悲劇のデッドヒート」であった。
江戸へ到着した彼らを待っていたのは、すでに崩壊しつつある旧幕府軍の敗走の波であった。彼らは彰義隊と共に上野の山で戦い、敗れると、さらに北へと敗走した。
彼らが最終的に行き着いたのは、雪深い陸奥の国、会津若松城(鶴ヶ城)であった。
「撃て! 凌霜の名に恥じるな!」
十七歳の進は、泥と血にまみれながら、会津の土塁に張り付いていた。
周囲には、新選組の生き残りや、会津の白虎隊といった、時代に取り残された「敗者」たちが、狂気のような防衛戦を続けている。新政府軍の放つ最新のミニエー弾が、容赦なく若者たちの身体を弾き飛ばしていく。
進たちの持つ旧式の銃は、雨や雪でたちまち不発となり、最後には刀を抜いて白兵戦を挑むしかなかった。それは、近代的な軍事システム(資本と火力)の前に、古い「忠義」という精神論が、無残に粉砕されていくプロセスそのものであった。
「冷たい……、お腹が空いた……」
隣で、同郷の若い藩士が、腹から血を流しながら、故郷の吉田川の名前を呟いて息を引き取った。
四十五名いた凌霜隊のメンバーは、激戦の中で一人、また一人と倒れ、その数は瞬く間に半数へと減っていった。
同じ頃、故郷の郡上八幡では、滝の予期した通りの「組織の裏切り」が、完璧な形で実行されていた。
東山道を進む新政府軍が郡上城下に到達した際、郡上藩は即座に降伏し、官軍の軍門に下った。藩の経営陣は、自らの保身を確実にするため、新政府の監察官に対して、血も涙もない「稟議書」を提出したのである。
『江戸へ向かった凌霜隊なる一団は、藩の命令を無視して勝手に脱走した、我が青山家のコントロールを離れた「不逞の賊」に他ならない。藩としては、彼らを一族の恥とみなし、直ちに除籍・勘当処分とした』
この一枚の書類によって、滝たちの生活は一瞬にして暗転した。
「国賊の母親」「裏切り者の身内」
昨日まで「藩の誇りの家族」と持ち上げていた近隣の住人たちは、一転して滝の家に生ゴミや石を投げ込み、井戸の水を汲むことさえ禁じた。
藩からの米の配給(二十石)は即座に停止され、滝は住み慣れた家を追われ、吉田川の川べりにある、風も防げないような荒れ果てた小屋へと移り住むことを余儀なくされた。
「滝さん、もう諦めなされ。進さんは会津で死んだという噂だ。国賊の身内として、この町で生きていくのは無理だ。どこか他国へ逃げなされ」
かつて親しかった近所の人間が、哀れみの目を向けながらも、自分に飛び火するのを恐れて遠巻きに言う。
だが、滝は決して首を縦に振らなかった。彼女は、ボロ布のような着物をまといながらも、毎日、夜遅くまで狂ったように機のペダルを踏み続け、郡上紬を織り続けた。その手はひび割れ、血が滲んでいたが、その目は少しも死んでいなかった。
「いいえ、私はどこへも行きません。あの子は、私の息子は、必ず生きてこの八幡へ帰ってきます」
滝は知っていた。今ここで自分が逃げ出し、遠藤家という存在を消してしまえば、藩の思惑通り、進たちは「最初から存在しなかった暴走兵」として、歴史の闇に葬り去られてしまう。自分がここで踏みとどまり、生活の拠点を維持し続けることだけが、藩という巨大な組織の嘘に対する、唯一の「抵抗」なのだ。
慶応四年、九月。会津若松城は、ついに降伏し、開城した。
生き残った凌霜隊の若者たちは、新政府軍によって捕らえられ、罪人として故郷・郡上八幡へと送り返されることとなった。
彼らを待っているのは、かつて自分たちを騙して戦場へ送り出した、あの藩の経営陣による、さらなる冷酷な「監禁システム」であった。
吉田川に立ち込める秋の霧の中を、罪人として縛られた進たちの列が、間もなく城下へと入ってこようとしていた。
滝は、冷たい風に吹かれながら、吉田川の橋の袂に立ち、その瞳に、かつてない強固な「赫の決意」を漲らせていた。




