第9話 初代のお言葉
立会いの日は、九月の三日でございました。
場所はウィンズロウ公爵邸の客間でございます。夫人と、顧問の方と、ハーヴィー。こちら側はわたくし一人でございます。父は領地から出て参りませんでした。出て参らぬようにと、わたくしからお願いいたしました。父が出れば、家と家の話になります。これは、わたくしと目録の話でございます。
王室系譜寮からも二人お見えになりました。長官のラドクリフ様と、ネイサン様でございます。寮がなぜ立ち会うのかと顧問の方がお尋ねになりましたので、ラドクリフ様がこうお答えになりました。
「原本を納めていただく先が当寮でございます。どなたがお持ちかは、当寮の関心事でございます」
◇
顧問の方の主張は、三つでございました。
一つ。目録は当家の書庫について書かれたものである。二つ。それが作られたのは、婚約者としてこの家に出入りする間である。三つ。ゆえに職務の産物であり、当家に属する。
筋の通ったお話でございました。わたくしは、最後まで黙って伺いました。
「ウェイクフィールド嬢。何かございますか」
「三つとも、そのとおりでございます」
顧問の方は、少し戸惑われたようでございました。
「お認めになる」
「事実は、そのとおりでございますので」
「では」
「事実を三つ並べても、結びは出てまいりません。結びを出しますのは、家の定めか、国の定めでございます」
◇
「当家の定めなら、ございますわ」
夫人がそう仰いました。
「代々、書庫のものは書庫に置くと決まっております」
「書き付けはございますか」
ラドクリフ様が、静かにお尋ねになりました。
「……口伝でございます」
「では、書き付けを探しましょう」
ラドクリフ様は、ハーヴィーのほうをご覧になりました。
「家令どの。この書庫が建った折の覚書がおありと伺っております。先月、お見つけになったとか」
「ございます」
「拝見できますか」
ハーヴィーは、一度だけ夫人をご覧になりました。夫人は頷かれました。断る筋がございません。断れば、隠しているのと同じになります。
◇
覚書は、一葉でございました。
紙は厚うございます。三百年経っておりますので、縁が茶色くなっております。書かれた字は大きく、行の数は九つでございました。
ラドクリフ様は、それを卓の上で開かれました。
古い言葉でございます。今の言い方に直しながら、ゆっくりお読みになりました。
「——この書庫を建つるにあたり、後の代のために定め置く」
誰も口を挟みませんでした。
「——書庫の管を、家の者に限るべからず」
夫人の指が、膝の上で一度動きました。
「——家の者は、家の恥を書かず。恥を書かざれば、目録は欠く。ゆえに数うる者は外より招くべし」
ラドクリフ様は、そこで一度お顔を上げられました。
「——外より招きし者の書きしものは、その者に属す。家はこれを取り上ぐべからず。取り上げなば、次に招く者、来たらず」
◇
部屋が動かなくなりました。
顧問の方が、書面をお繰りになる音だけがいたします。同じところを二度繰っておられました。
「……ラドクリフ卿」
「はい」
「その解しかたは、いささか」
「解しておりません。読み上げただけでございます」
ラドクリフ様は、覚書を卓の上へ置き直されました。
「顧問どの。三つの主張のうち、一つ目と二つ目は事実でございます。三つ目だけが定めの話でございました。当家の定めをお尋ねしたところ、この一葉が出てまいりました」
「これは、三百年前のものでございます」
「はい。この家でいちばん古い定めでございます」
顧問の方は、それ以上何も仰いませんでした。
わたくしは、その九行を頭の中で並べ直しました。
初代の公爵様は、家の者に目録を作らせませんでした。理由も書いてございます。家の者は家の恥を書きません。書かなければ目録は欠けます。欠けた目録は、無いのと同じでございます。
三百年前の方はそれをご存じでした。ご存じの上で、外の者を招く仕組みをお作りになりました。招いた者の書いたものを取り上げれば次が来ないことまで、書き足しておられます。
書き足す方は、たいてい一度失敗しております。
◇
最初の目録係の名は、覚書の九行目にございました。
ございましたが、読めませんでした。
その一行だけ、墨が飛んでおります。紙の傷み方から見て、水が回ったのだと思われます。姓の頭の一字が半分だけ残っておりました。
「惜しゅうございますな」
ラドクリフ様がそう仰いました。
「三百年前に、外から招かれた目録係がおりました。名が読めませんので、寮の帳面にも載せられません」
わたくしは、その一字をしばらく見ておりました。
見ておりましたが、そのときは何も思い当たりませんでした。
◇
夫人は、お立ちになりました。
立たれるときに、椅子が音を立てませんでした。この方は、いつも音を立てずに椅子をお引きになります。
「顧問どの。取り下げます」
「奥様」
「三百年前のうちの人間が、そう書いておりますのよ」
夫人は、覚書のほうをご覧になりました。
「取り上げれば、次の者が来ないと。……そう書いてあるものを、取り上げるわけには参りません」
それから、わたくしのほうへ向き直られました。
「ラヴィニアさん」
「はい」
「ご迷惑をおかけしました」
「いいえ」
夫人は、それだけ仰って出ていかれました。
謝られたのは、これが初めてでございました。
◇
外へ出ますと、日が高うございました。
九月の三日は、まだ夏の終わりの日差しでございます。門のところで、ネイサン様が待っておられました。
「ウェイクフィールド嬢」
「はい」
「あの九行目でございますが」
「はい」
「寮の欠けた一区画に、外から招かれた目録係の記録が入っていたはずでございます。名が読めれば、そこが埋まります」
「読めませんでした」
「読めませんでした」
ネイサン様は、それから少し間を置かれました。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「どうぞ」
「あなたは、これからどうされますか」
わたくしは、その問いにすぐ答えませんでした。
十月の一日まで、あと二十八日ございます。
その日までのことは、いくつか考えてございました。その日より先のことを、わたくしはまだ一度も考えておりませんでした。
(目録より)第一棚 第一項 初代覚書 一葉。九行。九行目、墨飛びあり。
三百年前の方は、家の者に目録を作らせませんでした。家の者は家の恥を書かず、書かなければ目録は欠けるからでございます。取り上げれば次の者が来ない、とまで書き足しておられます。書き足す方は、たいてい一度失敗しております。次回、期日まで残り一月。時計の音は、こちらには聞こえません。――ブックマークと評価は、九行目のように墨が飛んだりいたしません。はっきり読めますので、どうぞ一つ。




