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婚約解消いたします。書庫の目録はわたくしの私物ですので、持って参ります  作者: 卯月まゆ


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9/15

第9話 初代のお言葉

 立会いの日は、九月の三日でございました。


 場所はウィンズロウ公爵邸の客間でございます。夫人と、顧問の方と、ハーヴィー。こちら側はわたくし一人でございます。父は領地から出て参りませんでした。出て参らぬようにと、わたくしからお願いいたしました。父が出れば、家と家の話になります。これは、わたくしと目録の話でございます。


 王室系譜寮からも二人お見えになりました。長官のラドクリフ様と、ネイサン様でございます。寮がなぜ立ち会うのかと顧問の方がお尋ねになりましたので、ラドクリフ様がこうお答えになりました。


「原本を納めていただく先が当寮でございます。どなたがお持ちかは、当寮の関心事でございます」


    ◇


 顧問の方の主張は、三つでございました。


 一つ。目録は当家の書庫について書かれたものである。二つ。それが作られたのは、婚約者としてこの家に出入りする間である。三つ。ゆえに職務の産物であり、当家に属する。


 筋の通ったお話でございました。わたくしは、最後まで黙って伺いました。


「ウェイクフィールド嬢。何かございますか」


「三つとも、そのとおりでございます」


 顧問の方は、少し戸惑われたようでございました。


「お認めになる」


「事実は、そのとおりでございますので」


「では」


「事実を三つ並べても、結びは出てまいりません。結びを出しますのは、家の定めか、国の定めでございます」


    ◇


「当家の定めなら、ございますわ」


 夫人がそう仰いました。


「代々、書庫のものは書庫に置くと決まっております」


「書き付けはございますか」


 ラドクリフ様が、静かにお尋ねになりました。


「……口伝でございます」


「では、書き付けを探しましょう」


 ラドクリフ様は、ハーヴィーのほうをご覧になりました。


「家令どの。この書庫が建った折の覚書がおありと伺っております。先月、お見つけになったとか」


「ございます」


「拝見できますか」


 ハーヴィーは、一度だけ夫人をご覧になりました。夫人は頷かれました。断る筋がございません。断れば、隠しているのと同じになります。


    ◇


 覚書は、一葉でございました。


 紙は厚うございます。三百年経っておりますので、縁が茶色くなっております。書かれた字は大きく、行の数は九つでございました。


 ラドクリフ様は、それを卓の上で開かれました。


 古い言葉でございます。今の言い方に直しながら、ゆっくりお読みになりました。


「——この書庫を建つるにあたり、後の代のために定め置く」


 誰も口を挟みませんでした。


「——書庫の管を、家の者に限るべからず」


 夫人の指が、膝の上で一度動きました。


「——家の者は、家の恥を書かず。恥を書かざれば、目録は欠く。ゆえに数うる者は外より招くべし」


 ラドクリフ様は、そこで一度お顔を上げられました。


「——外より招きし者の書きしものは、その者に属す。家はこれを取り上ぐべからず。取り上げなば、次に招く者、来たらず」


    ◇


 部屋が動かなくなりました。


 顧問の方が、書面をお繰りになる音だけがいたします。同じところを二度繰っておられました。


「……ラドクリフ卿」


「はい」


「その解しかたは、いささか」


「解しておりません。読み上げただけでございます」


 ラドクリフ様は、覚書を卓の上へ置き直されました。


「顧問どの。三つの主張のうち、一つ目と二つ目は事実でございます。三つ目だけが定めの話でございました。当家の定めをお尋ねしたところ、この一葉が出てまいりました」


「これは、三百年前のものでございます」


「はい。この家でいちばん古い定めでございます」


 顧問の方は、それ以上何も仰いませんでした。


 わたくしは、その九行を頭の中で並べ直しました。


 初代の公爵様は、家の者に目録を作らせませんでした。理由も書いてございます。家の者は家の恥を書きません。書かなければ目録は欠けます。欠けた目録は、無いのと同じでございます。


 三百年前の方はそれをご存じでした。ご存じの上で、外の者を招く仕組みをお作りになりました。招いた者の書いたものを取り上げれば次が来ないことまで、書き足しておられます。


 書き足す方は、たいてい一度失敗しております。


    ◇


 最初の目録係の名は、覚書の九行目にございました。


 ございましたが、読めませんでした。


 その一行だけ、墨が飛んでおります。紙の傷み方から見て、水が回ったのだと思われます。姓の頭の一字が半分だけ残っておりました。


「惜しゅうございますな」


 ラドクリフ様がそう仰いました。


「三百年前に、外から招かれた目録係がおりました。名が読めませんので、寮の帳面にも載せられません」


 わたくしは、その一字をしばらく見ておりました。


 見ておりましたが、そのときは何も思い当たりませんでした。


    ◇


 夫人は、お立ちになりました。


 立たれるときに、椅子が音を立てませんでした。この方は、いつも音を立てずに椅子をお引きになります。


「顧問どの。取り下げます」


「奥様」


「三百年前のうちの人間が、そう書いておりますのよ」


 夫人は、覚書のほうをご覧になりました。


「取り上げれば、次の者が来ないと。……そう書いてあるものを、取り上げるわけには参りません」


 それから、わたくしのほうへ向き直られました。


「ラヴィニアさん」


「はい」


「ご迷惑をおかけしました」


「いいえ」


 夫人は、それだけ仰って出ていかれました。


 謝られたのは、これが初めてでございました。


    ◇


 外へ出ますと、日が高うございました。


 九月の三日は、まだ夏の終わりの日差しでございます。門のところで、ネイサン様が待っておられました。


「ウェイクフィールド嬢」


「はい」


「あの九行目でございますが」


「はい」


「寮の欠けた一区画に、外から招かれた目録係の記録が入っていたはずでございます。名が読めれば、そこが埋まります」


「読めませんでした」


「読めませんでした」


 ネイサン様は、それから少し間を置かれました。


「一つ、伺ってもよろしいですか」


「どうぞ」


「あなたは、これからどうされますか」


 わたくしは、その問いにすぐ答えませんでした。


 十月の一日まで、あと二十八日ございます。


 その日までのことは、いくつか考えてございました。その日より先のことを、わたくしはまだ一度も考えておりませんでした。

(目録より)第一棚 第一項 初代覚書 一葉。九行。九行目、墨飛びあり。


三百年前の方は、家の者に目録を作らせませんでした。家の者は家の恥を書かず、書かなければ目録は欠けるからでございます。取り上げれば次の者が来ない、とまで書き足しておられます。書き足す方は、たいてい一度失敗しております。次回、期日まで残り一月。時計の音は、こちらには聞こえません。――ブックマークと評価は、九行目のように墨が飛んだりいたしません。はっきり読めますので、どうぞ一つ。

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