第6話 本はすべてございます
ハイベリーの紙屋が参りましたのは、月が変わってすぐでございました。
この紙屋とは十年の付き合いでございます。春と秋に、中判の紙を届けてくれます。今年の秋の分にはまだ早うございますが、母の便箋が切れましたので寄ってもらいました。
「お嬢様。お屋敷のこと、伺いました」
「ええ」
「差し出がましいことを申しますが、これからも紙はお届けいたします」
「助かります」
紙屋は、荷を解きながら世間話をいたしました。この人の世間話は、いつも荷の中身から始まります。
「このごろ、公爵様のお屋敷から大きな注文が入りましてね」
「さようですか」
「札紙を、八百枚。それと、細い墨を二十本」
◇
札紙と申しますのは、箱に下げる札に使う厚手の紙でございます。八百枚と申しますと、書庫の箱の数の二倍を超えます。
「札を、付け替えていらっしゃるのでしょうね」
「そのようで。人も入れておられます」
「人」
「町の写字屋から、四人ほど。日雇いだそうで」
わたくしは、勘定をいたしました。
書庫の箱は、全部で三百二十一ございます。一つの箱に札を下げるだけなら、四人で三日もあれば済みます。
ですが、札に何と書くかを決めるのは札を書く人ではございません。中を見て、何のものか判じて、それから書きます。判じるほうに時がかかります。
「四人で、どのくらいかかりましょうね」
「さあ。あちらの家令さんは、三月と仰ってましたが」
わたくしは、それ以上申しませんでした。
紙屋は帰りぎわに、もう一つ申しました。
「あちらのお屋敷、うちの荷を勝手口じゃなく玄関で受け取りなさるようになりましたよ」
「玄関で」
「へえ。書庫の脇の廊下が、いま通れないそうで」
箱を出して並べておられるのだと思いました。並べれば、探すあいだは通れません。三百二十一の箱を廊下に出しますと、廊下は端から端まで埋まります。
◇
その週の終わりに、ハーヴィーから文が参りました。
短い文でございます。この方の文はいつも短うございます。
——第一棚第一項、初代覚書、見つかり申し候。目録の記載どおりの位置に有り。
わたくしは、その一行を読んで少し安堵いたしました。位置が合っていたのなら、目録は正しく働いております。
文には、続きがございました。
——中を検め候えども、古き言葉にて意を取り難し。書庫を建てし折の由来書きと存じ候。家の格を示す品と見え候につき、系図の件には関わり無きものと判じ候。
わたくしは、その二行を二度読みました。
初代の覚書を、わたくしも読んでおりません。読んでおりませんので、関わりがあるとも無いとも申せません。
ただ、目録に第一項として置いたのはわたくしでございます。置いた理由は一つでございます。書庫でいちばん古い紙だからでございます。
いちばん古い紙が、いちばん軽い紙とは限りません。
◇
十日ほどして、ハーヴィーからもう一通参りました。
——札、三百二十一枚下げ終わり候。ただし『系図』と書きたる札、十一枚に相成り候。いずれが三代前のものか判じ難く候。また『書簡』の札は四十三枚に候。
わたくしは、その文を読んで筆を取りかけました。取りかけて、置きました。
お答えする筋がございません。お尋ねの形になっておりませんので。
札は、増やすと引けなくなります。三百二十一の箱に三百二十一枚の札を下げましても、同じ言葉が十一枚あれば、それは十一箱を開けるのと同じでございます。
札の仕事は、名を付けることではございません。分けることでございます。
◇
夜に、母が机のところへ参りました。
わたくしは目録を開いて、七の棚の項を数え直しておりました。数え直す用はございません。手が空くと、数えてしまいます。
「ラヴィニア」
「はい」
母は、わたくしの手元をご覧になりました。開いていたのは、七の棚の五十項目ばかりが並んだ一枚でございます。
母は、その紙をしばらくご覧になっておりました。それから、こう仰いかけました。
「その並べ方は——」
そこで止まられました。
「……いいえ。なんでもないの」
「お母様」
「お茶を、置いていくわね」
母は茶を置いて、出ていかれました。
わたくしは、開いた紙を見ました。七の棚の項は、日付順でも大きさ順でもございません。北の窓からの光が届く順に並べてございます。朝に明るくなる段のものを先に、夕まで暗い段のものを後に。
この並べ方を、わたくしは誰にも教わっておりません。
教わっていないと思っておりました。
◇
母が、この十年、一度も書庫のことをお聞きにならなかったことは、前に申し上げました。
一度だけ、二年目の冬に、母がわたくしの手をご覧になったことがございます。指の腹が墨で黒うございました。母は何も仰らずに、その晩、灯りの油を足してくださいました。
それきりでございます。
聞かない方だと思っておりました。関心がないのだと思っておりました。この二つは、外から見ると同じ形をしております。
◇
公爵夫人からの文が届きましたのは、その三日後でございます。
夫人の文は長うございました。長い文には、たいてい一行だけ用がございます。
前半は、解消の書面が滞りなく済んだことへの謝辞でございました。中ほどは、家同士の付き合いを今後も大切にしたいというお話でございました。
用は、最後の三行でございました。
——なお、書庫の控えの件、当家の家令ならびに顧問と検め候ところ、当家の財として扱うべきものと存じ候。返してもらいます。
最後の一文だけ、書き言葉ではございませんでした。
書き終えてから、ご自分で足された行だと思います。
◇
わたくしは、文を二度読んで机に置きました。
置いてから、目録の巻末を開きました。十行の日付の下に、余白が指二本ぶんございます。
この余白は、書き足すために空けてございます。
十年、毎年少しずつ埋めてまいりました。今年の分は、まだ書いておりません。書く用がなくなりましたので。
わたくしは、その余白をしばらく見ておりました。
返してもらいます、と夫人はお書きになりました。
返すという言葉は、もともとあちらにあったものに使います。あの束は、あちらにあったことがございません。あの束が置かれていたのは、いつも机の上でございました。夜の、この家の机の上でございます。
(目録より)第七棚 第三項 北窓の覚え 一葉。理由書き(棚を壁より離す件)。
札は、増やすと引けなくなります。三百二十一の箱に三百二十一枚下げましても、「系図」と書かれた札が十一枚ございましたら、十一箱を開けるのと同じでございます。札の仕事は、名を付けることではございません。分けることでございます。次回、公爵家から歩いて朝までかけて、十二の子が門に立っております。




