第4話 これは仕事です
王室系譜寮の記録官は、昼を少し過ぎた頃にお見えになりました。
名をネイサン・ソーンリー様と仰います。子爵家の次男でいらっしゃると後で母から聞きました。そのときは存じませんでしたし、いまも家のことは存じません。この方はご自分の家のお話を一度もなさいません。
外套は焦げ茶で肘のあたりが薄うございました。よく袖を机に置く方の擦れ方でございます。
「ウェイクフィールド嬢でいらっしゃいますか」
「はい」
「王室系譜寮の記録官でございます。ウィンズロウ公爵家の系図の件で伺いました」
「わたくしは、あちらの家の者ではございません」
「存じております」
この方はそれだけ申されて黙りました。用件を言い足しません。言い足さない方は、こちらが黙っていると本当にずっと黙っておられます。
「……お上がりくださいませ」
◇
「十年に一度、家々の系図を寮に納めていただきます」
「伺っております」
「ウィンズロウ公爵家へは先月に文を出しました。返事が参りません。ですので昨日わたくしが参りました」
「書庫をご覧になりましたか」
「拝見しました」
「いかがでございましたか」
ネイサン様は少しだけ言葉をお探しになりました。
「箱がございました」
「はい」
「箱がたいへん多うございました」
わたくしは頷きました。書庫の箱は三百二十一ございます。系図の箱がございますのは五の棚で、そこだけで四十七でございます。
五の棚の箱は、去年の秋に二つ増えました。増えた分も、番号は続きで振ってございます。
「家令の方が三日探しておられるそうです。わたくしも半日探しました。三代前の婚礼の系図が要るのですが、出てまいりません」
「五の棚の第四十項でございます」
ネイサン様はそこで初めてわたくしの顔をご覧になりました。
「……いま、なんと」
「五の棚の、第四十項でございます。窓を背にして左から五つ目の棚、下から二段目。箱の蓋の内側に赤い紐が結んでございます」
「なぜ、赤い紐を」
「婚礼のものには赤を結んでございます。訃報には黒を。土地のものには何も結びません」
紐は、母の裁縫箱から出た端切れでございます。買ったものではございませんので、帳面にはございません。
◇
「ウェイクフィールド嬢」
「はい」
「その控えを、拝見できますか」
「お見せはいたします。お渡しはいたしません」
「渡していただこうとは思っておりません」
わたくしは、束を持って参りました。ネイサン様は、束を受け取る前に手を布でお拭きになりました。それから両手で受け取られました。
紙をお繰りになる速さが、夫人ともハーヴィーとも違いました。一枚を三つ数えるほどでご覧になって、次へ移られます。読んでいらっしゃるのではなく、形を見ておられるのだと分かりました。
二十枚ほど繰ったところで手をお止めになりました。
「これは」
「はい」
「表題の付け方が、寮のものと違います」
「さようでございますか」
「寮は収めたものの名をそのまま書きます。『婚礼系図』と書きます。ここには『婚礼系図(花嫁の家名で引けます)』と書いてあります」
「そのほうが早うございますので」
「早い」
「探す方は、婚礼という言葉を思いつく前に、家の名を思い出されます」
ネイサン様はその紙をしばらくご覧になっておりました。
「……これは、置いた者の並びではありませんね」
「はい」
「探す者の並びです」
◇
ネイサン様は巻末の手前で手をお止めになりました。挟んである紙を、指の先で少しだけ持ち上げられます。
「これは」
「北の窓の隙間風のことでございます。七の棚を壁から離した理由を書いてございます」
「理由を」
「はい」
「……寮の目録には、理由が書いてございません」
「さようでございますか」
「収めた物の名と、番号と、日付だけでございます。なぜそこに置いたのかは、置いた者と一緒に辞めていきます」
ネイサン様は挟み紙を元の位置にお戻しになりました。戻された位置が指二本ぶん狂っておりません。
◇
ネイサン様は束を閉じて卓にお戻しになりました。戻すときも両手でございました。
「ウェイクフィールド嬢。一つ、こちらの事情を申し上げます」
「はい」
「寮の記録にも欠けがございます」
「欠け」
「三百年前の、ある一区画でございます。書庫がいくつか建った頃の分がまとめて抜けております。火事とも紛失とも、記録が残っておりません」
「ウィンズロウの書庫も、三百年前でございます」
「ですから参りました」
ネイサン様はそこで初めて言葉を選ぶ間を置かれました。
「公爵家の書庫には初代の覚書があると聞いております。目録の第一項に、そう書いてございました」
「一葉ございます」
「読まれましたか」
「日付と表題は控えました。中は読んでおりません」
「なぜ」
「読む理由がございませんでしたので」
この方はその答えに頷かれました。頷き方が少し長うございました。
「ウェイクフィールド嬢。念のために申し上げますが、系図の提出には期限がございます」
「いつまででございましょう」
「今年のうちでございます」
「今年」
「日は、寮が改めて文でお知らせいたします。もっとも、お知らせする先はウィンズロウ公爵家でございますが」
◇
お帰りの際に、ネイサン様は玄関で足をお止めになりました。
「ウェイクフィールド嬢」
「はい」
「一つ、申し上げてもよろしいですか」
「どうぞ」
「これは仕事です」
わたくしは、お礼を申し上げました。
お褒めいただいたのだと思いました。十年のあいだに褒めていただいたことは何度かございます。ご丁寧な方だと思いました。
ネイサン様は、それだけ仰って帰られました。門のところで一度だけ振り返られて、それから真っ直ぐに歩いていかれました。振り返られたのは、道をお間違えになったからだと思います。
◇
夕方になって、母が茶を持って参りました。母は卓の上の束をご覧になって、それから一言だけ仰いました。
「あの方、あなたのことを一度も『お嬢様』とお呼びにならなかったわね」
わたくしは、その言葉の意味を考えました。
考えて、思い当たりませんでした。呼び方は家によって違います。あの方はご自分の家のお話をなさいませんので、そういう家なのでしょう。
卓の上の束はそのままにしておきました。麻紐は結び直しておりません。あの方の繰り方では、紙の順が乱れませんでしたので。
(目録より)第五棚 第四十項 婚礼系図(花嫁の家名で引けます) 三代前。
「これは仕事です」という一行を書きたくて、前の三話を書いたようなところがございます。褒め言葉のつもりではないのでございます。当人のほうは世辞と受け取って、丁寧にお礼を申し上げております。門のところで一度だけ振り返られたのも、道をお間違えになったのだと思っております。次回、公爵家に札紙が八百枚届きます。書庫の箱は、三百二十一しかございません。




